映画評「ラブ・レター」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1998年日本映画 監督・森崎東
ネタバレあり

浅田次郎の短編集「鉄道員(ぽっぽや)」に収められた同名好短編を森崎東が映画化した人情劇。
 原作はごく短い作品だから余白が多く、脚本を担当をした中島丈博が腕を振るっている部分が多い。原作は、この映画がちょうど1時間に達したところから始まり、巻き戻し的に過去のことが語られながら進むわけだが、映画はその巻き戻し部分を1時間までのお話とし、原作のような巻き戻しは一切なし。多少フラッシュバックがある程度である。

短編だからお話の骨格は単純。

不法滞在の外国女性をフーゾクに斡旋するヤクザの一味として働く三〇代後半と思しきチンピラ吾郎(中井貴一)が、上司から、中国から出稼ぎに来てフーゾクに身を沈める妙齢美人・白蘭(耿忠)との偽装結婚を押し付けられる。まともに逢ったのは、入管への事前準備と出頭の時の一度だけである。

彼女との接触を禁じられた彼が結婚の事実さえ忘れかけた頃 “妻” の死が伝えられる。
 映画では原作には全くない、その死を彼が前妻と勘違いするユーモアが挿入されている。これは良し悪しか。

かくして彼女が死んだ千葉の海浜地帯まで舎弟サトシ(山本太郎)と遺体の引き取りに行く。彼は彼女の残した彼への愛情溢れる手紙に涙を禁じ得ない。自らの人生を反省した彼は彼女の遺骨を持って故郷の北海道サロマに帰る。

僕もヒロインの手紙に泣いた。涙が止まらなかった。
 中には単なる金儲けの為に日本にやって来るけしからん外国人もいる(円安の為に減っていくはず)だろうが、この時代、東アジア・東南アジアの女性の多くは故郷に残した家族の為に当時は他国より金を儲けることが出来た日本にやってき、身を削って働いた。戦前から戦後数年間にかけて東北農村地帯の女性たちも似たようなものであっただろう。
 その切ない事実だけで僕は落涙を禁じ得ず、同時にヒロインの手紙に自らを照らして恥じた主人公の思いにもぐっと来た。

主人公は自分のあげたイミテーション・ダイヤの結婚指輪を大事にし彼に感謝する白蘭に顔向けできないという思いを抱く。彼女が賞賛する人間性など持っていない。だから、彼は警察に行った時にざっとした確認だけで終わったことに怒るのである。彼としては警察にもっと厳しくチェックされ、ばれることが寧ろ本望だったのにちがいない。インチキ野郎の自分への罰である。
 一々説明があるわけではないものの、行間から彼のそうした心情を僕は強く感じたのである。チンピラに零落しているが、元来デリケートな性格だったのだと思う。彼女は死んだ後一緒の墓に埋めてほしいと願う。今や彼女の願いに沿うべく故郷の北海道へ戻ることが使命となる。

見事な作劇ではあるまいか。難点はセンチメンタリズムが過剰であること。原作の短編ゆえの味の良さに比べると、くどくやりすぎた感じがする。もう少し抑えても同じ、或いはそれ故に却ってそれ以上に感銘させることが出来たと思い、敢えてその辺を厳しく考える。

浅田次郎や中島丈博は、小説も映画も傑作だった「飢餓海峡」が頭にあっただろうか。爪を後生大事に保管するかの作品のヒロイン八重と、本作の白蘭が重なって見えた。主人公が帰る(厳密には「飢餓海峡」では帰らないが)のも同じ北海道だ。

日本の入管は厳しすぎる気がする。難民だけでなく、永住資格のある人についても在留カードを携帯しないだけで永住資格を剥奪することもできるよう法律を変えるという。甥の細君はまだ中国国籍のままだが、いくら大企業勤務のエリートと雖も、いずれ日本国籍にしないと安心して暮らせないかもしれぬ。幸いにも見た目は日本人と区別できないから、滅多なことでは職質など受けないだろうが。入管関係者はこの映画を観よ!

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