映画評「青いカフタンの仕立て屋」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
2022年モロッコ=フランス=ベルギー=デンマーク合作映画 監督マリヤム・トゥザニ
ネタバレあり
「モロッコ、彼女たちの朝」に感心したモロッコの女性監督マリヤム・トゥザニの新作で、今回もまた鮮烈だ。
モロッコ。仕立て屋を営む中年紳士ハリム(サレ・バクリ)は妻ミナ(ルブナ・アザバル)が病弱であることもあるのだろう、若い男子ユーセフ(アユーブ・ミシウィ)を雇う。腕もあり性格も良いが、次第に弱っていくミナは彼も他の職人同様すぐに出ていくだろうと夫にいじわるを言う。
その理由はハリムが公衆浴場に入って行くところから徐々に明確になっていく。
モロッコはイスラム教の国だから同性愛には厳しい筈だが、宗教規律故に女性は男性用公衆浴場に近づかないわけで、却って男色行為者の事実上の巣窟になっている。これは新発見であった。つまり、イスラムは男女関係が厳しいが故に却って同性愛者を生みかねない、という現実があるようだ。北アフリカはイラン、サウジアラビア、アフガニスタンほど戒律遵守義務が厳しくないと思われ、公衆浴場での行為を事実上黙認しているのかもしれない。
彼女のいじわるには彼の性的指向があったと判る次第で、前の職人がいつかなかった背景にもそれがあった可能性も匂って来る。この夫婦は人間として強く結ばれているが性交渉はなかったかもしれず、その関係もあるのか、映画の序盤ではミナのきつい性格が色々と描写される。
それが病状が進むに連れ、自分の先行きの長くないことを悟ってか、変わって来る。その大きな契機になったのが、ユーセフが盗ったと疑った生地が戻ってきたことで、ミナは暫くこの事実を黙っているが、彼の献身に遂に黙っていることが出来ず、それを告白し、ユーセフに赦しを乞う。翻って、ハリムは妻の耳に届く範囲の玄関先でユーセフと接触したことを赦しを乞い、ミナは二人の関係を赦し許す。
モロッコを舞台に同性愛を取り上げることはそれ自体大きなテーマであろうが、トゥザニ監督が目指したのは人間関係における愛そのものであろう。愛は嫉妬や憎しみも生む一方、赦す力も与える。その意味で本作において同性愛は主題を引き出すツールであるが、単なるツールと矮小化することを許さない感じもする。
展開上の布石、映画言語の巧みな扱いに唸った。端倪すべからざる才能と言ったら大袈裟になろうか。
展開上の布石では、彼女が踊り子だった女性の、戒律に則った地味な葬送を彼女が見て残念がるくだりが幕切れで大きく機能している。
映画言語の扱いでは、前半のユーセフの裸の背中、中盤のミナの裸の背中と来た後に、後半のミナの裸の前部を見せ、彼女が乳癌手術をしていることを解らせる辺り鮮やかと言う以上にその巧みさに感服した。
最後は戒律を超える愛の表現である。まったくあっぱれな幕切れだ。
ミナさんと言えば「巨人の星」。今のところ交流戦でジャイアンツが唯一セ・リーグ・チームで勝ち越している。
2022年モロッコ=フランス=ベルギー=デンマーク合作映画 監督マリヤム・トゥザニ
ネタバレあり
「モロッコ、彼女たちの朝」に感心したモロッコの女性監督マリヤム・トゥザニの新作で、今回もまた鮮烈だ。
モロッコ。仕立て屋を営む中年紳士ハリム(サレ・バクリ)は妻ミナ(ルブナ・アザバル)が病弱であることもあるのだろう、若い男子ユーセフ(アユーブ・ミシウィ)を雇う。腕もあり性格も良いが、次第に弱っていくミナは彼も他の職人同様すぐに出ていくだろうと夫にいじわるを言う。
その理由はハリムが公衆浴場に入って行くところから徐々に明確になっていく。
モロッコはイスラム教の国だから同性愛には厳しい筈だが、宗教規律故に女性は男性用公衆浴場に近づかないわけで、却って男色行為者の事実上の巣窟になっている。これは新発見であった。つまり、イスラムは男女関係が厳しいが故に却って同性愛者を生みかねない、という現実があるようだ。北アフリカはイラン、サウジアラビア、アフガニスタンほど戒律遵守義務が厳しくないと思われ、公衆浴場での行為を事実上黙認しているのかもしれない。
彼女のいじわるには彼の性的指向があったと判る次第で、前の職人がいつかなかった背景にもそれがあった可能性も匂って来る。この夫婦は人間として強く結ばれているが性交渉はなかったかもしれず、その関係もあるのか、映画の序盤ではミナのきつい性格が色々と描写される。
それが病状が進むに連れ、自分の先行きの長くないことを悟ってか、変わって来る。その大きな契機になったのが、ユーセフが盗ったと疑った生地が戻ってきたことで、ミナは暫くこの事実を黙っているが、彼の献身に遂に黙っていることが出来ず、それを告白し、ユーセフに赦しを乞う。翻って、ハリムは妻の耳に届く範囲の玄関先でユーセフと接触したことを赦しを乞い、ミナは二人の関係を赦し許す。
モロッコを舞台に同性愛を取り上げることはそれ自体大きなテーマであろうが、トゥザニ監督が目指したのは人間関係における愛そのものであろう。愛は嫉妬や憎しみも生む一方、赦す力も与える。その意味で本作において同性愛は主題を引き出すツールであるが、単なるツールと矮小化することを許さない感じもする。
展開上の布石、映画言語の巧みな扱いに唸った。端倪すべからざる才能と言ったら大袈裟になろうか。
展開上の布石では、彼女が踊り子だった女性の、戒律に則った地味な葬送を彼女が見て残念がるくだりが幕切れで大きく機能している。
映画言語の扱いでは、前半のユーセフの裸の背中、中盤のミナの裸の背中と来た後に、後半のミナの裸の前部を見せ、彼女が乳癌手術をしていることを解らせる辺り鮮やかと言う以上にその巧みさに感服した。
最後は戒律を超える愛の表現である。まったくあっぱれな幕切れだ。
ミナさんと言えば「巨人の星」。今のところ交流戦でジャイアンツが唯一セ・リーグ・チームで勝ち越している。
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