映画評「聖地には蜘蛛が巣を張る」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2022年デンマーク=ドイツ=スウェーデン=フランス合作映画 監督アリ・アッバシ
ネタバレあり
今世紀の初めにイランで起きた事件を基に作られたフィクション。
イラン東北部の宗教都市マシュハドで、売春婦が連続して絞殺されて遺棄される事件が起こる。犯人は男性記者シャリフィ(アラシュ・アシュティアニ)に連絡して、イスラム教に基づき町の浄化をしていると告げる。
事件に興味を持った女性記者ラヒミ(ザール・アミール=エブラヒミ)は町を訪れ、警察から情報を聞き出す。隣にシャリフィがいたから比較的すんなり行くが、これが単独であったらどうだったろうか? 実際同じ警察担当者から女性であることを理由に日本なら犯罪とも目されかねないセクハラ的言動を取られる。
さて、彼女が調査中にも事件が続発するので、彼女は売春婦に成りすまして犯人が頻繁に目撃された場所に立つ。早速姿を現した犯人サイード(メフディ・バジェスタニ)のバイクに乗ると、自宅と目される建物に連れ込まれる。妻子が実家に出かけている時に犯行に及ぶようである。
しかるに、シャリティがバイクを見失ったことから彼女は予想通り襲撃され、命からがら逃げだす。彼女の命を張った囮調査の結果、サイードは逮捕される。
しかし、売春婦をよく思わぬ市民が男女を問わず多い為サイードの態度は不遜を極める。 それでも、判決は4回の死刑プラスα。お金で量刑すら変わることのあるイランらしく、独房に現れた判事が死刑場から逃(のが)れられるよう手配する旨を告げて去る。果たしてどうなるだろうか?
2005年が背景であればこういう話にならなかったであろう。何故なら、この映画を見る限り携帯電話が全く活用されていない。2001~2002年においてイランのケータイ普及率が世界平均より低かったのではないか。ケータイを活用すれば追跡に失敗してもそう焦る必要はなかったはずだ。それを別にして、犯人がバイクで来るのが明らかなのに小回りの利かない車で追うのは余り賢くないと思いましたな。
さて、イスラム的戒律に批判的な立場で作られているのは明らかなので、当然作られたのはイランでなく、イラン出身の監督アリ・アッバシが現在暮らすデンマークである。
一見、殺人と売春という戒律に反する事項の二項対立で、殺人は売春より悪いと判じられたというお話に見えるが、恐らく判事は指導者や道徳警察でもない者が勝手に罰を加えたことを許さなかったのではないか。つまり第三の要素があったと僕には見える。
本作は反イスラム的な立場であるが、最終的に僕が感じたのは、戒律を建前にしたミソジニーである。イスラム教徒ほどでないにしても日本でも保守の人にミソジニストが多く、セクハラを訴える女性に対して服装などへの言及がよく為される。
この映画でも人々が沙汰するのは売春婦のみで、買う側の男性は何の非難もされない。実に奇妙なことで、寧ろ買春をする男がいるから売春という商売が成り立つという側面がある。イスラム圏の男女差別という問題を大きく超えたミソジニーの側面を強く表し、普遍的な作品になっているところを買いたい。
経団連はどうも政府(自民党政権)寄りと感じて余り好かなかったが、選択性夫婦別姓に関する態度は頼もしい。これが経済的にマイナスという意見が強くなれば、自民党極右という少数の為に遠慮している自公政権も動くだろう。夫婦同姓強制が国も一応進めているように見える女性役員の増加などのブレーキ役になっているのは明らかなので、政府が国会に働きかけて進むのは数年のうちかもしれない。次の選挙で現野党が勝てば2年内に実現するだろう。
2022年デンマーク=ドイツ=スウェーデン=フランス合作映画 監督アリ・アッバシ
ネタバレあり
今世紀の初めにイランで起きた事件を基に作られたフィクション。
イラン東北部の宗教都市マシュハドで、売春婦が連続して絞殺されて遺棄される事件が起こる。犯人は男性記者シャリフィ(アラシュ・アシュティアニ)に連絡して、イスラム教に基づき町の浄化をしていると告げる。
事件に興味を持った女性記者ラヒミ(ザール・アミール=エブラヒミ)は町を訪れ、警察から情報を聞き出す。隣にシャリフィがいたから比較的すんなり行くが、これが単独であったらどうだったろうか? 実際同じ警察担当者から女性であることを理由に日本なら犯罪とも目されかねないセクハラ的言動を取られる。
さて、彼女が調査中にも事件が続発するので、彼女は売春婦に成りすまして犯人が頻繁に目撃された場所に立つ。早速姿を現した犯人サイード(メフディ・バジェスタニ)のバイクに乗ると、自宅と目される建物に連れ込まれる。妻子が実家に出かけている時に犯行に及ぶようである。
しかるに、シャリティがバイクを見失ったことから彼女は予想通り襲撃され、命からがら逃げだす。彼女の命を張った囮調査の結果、サイードは逮捕される。
しかし、売春婦をよく思わぬ市民が男女を問わず多い為サイードの態度は不遜を極める。 それでも、判決は4回の死刑プラスα。お金で量刑すら変わることのあるイランらしく、独房に現れた判事が死刑場から逃(のが)れられるよう手配する旨を告げて去る。果たしてどうなるだろうか?
2005年が背景であればこういう話にならなかったであろう。何故なら、この映画を見る限り携帯電話が全く活用されていない。2001~2002年においてイランのケータイ普及率が世界平均より低かったのではないか。ケータイを活用すれば追跡に失敗してもそう焦る必要はなかったはずだ。それを別にして、犯人がバイクで来るのが明らかなのに小回りの利かない車で追うのは余り賢くないと思いましたな。
さて、イスラム的戒律に批判的な立場で作られているのは明らかなので、当然作られたのはイランでなく、イラン出身の監督アリ・アッバシが現在暮らすデンマークである。
一見、殺人と売春という戒律に反する事項の二項対立で、殺人は売春より悪いと判じられたというお話に見えるが、恐らく判事は指導者や道徳警察でもない者が勝手に罰を加えたことを許さなかったのではないか。つまり第三の要素があったと僕には見える。
本作は反イスラム的な立場であるが、最終的に僕が感じたのは、戒律を建前にしたミソジニーである。イスラム教徒ほどでないにしても日本でも保守の人にミソジニストが多く、セクハラを訴える女性に対して服装などへの言及がよく為される。
この映画でも人々が沙汰するのは売春婦のみで、買う側の男性は何の非難もされない。実に奇妙なことで、寧ろ買春をする男がいるから売春という商売が成り立つという側面がある。イスラム圏の男女差別という問題を大きく超えたミソジニーの側面を強く表し、普遍的な作品になっているところを買いたい。
経団連はどうも政府(自民党政権)寄りと感じて余り好かなかったが、選択性夫婦別姓に関する態度は頼もしい。これが経済的にマイナスという意見が強くなれば、自民党極右という少数の為に遠慮している自公政権も動くだろう。夫婦同姓強制が国も一応進めているように見える女性役員の増加などのブレーキ役になっているのは明らかなので、政府が国会に働きかけて進むのは数年のうちかもしれない。次の選挙で現野党が勝てば2年内に実現するだろう。
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