映画評「怪異談 生きてゐる小平次」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1982年日本映画 監督・中川信夫
ネタバレあり
架空の歌舞伎役者小幡(こばた)小平次は江戸時代に山東京伝が実在の役者をモデルに生み出した。それを大正時代の劇作家・鈴木泉三郎が新歌舞伎として戯曲化した「生きてゐる小平次」二度目の映画化。怪談や妖艶な作品を得意とした中川信夫監督の遺作である。再鑑賞。
天保13(1842)年、うだつの上がらない役者・小平次(藤間文彦)と囃子方・太九郎(石橋正次)は幼馴染で、青雲の志をもって日々励んでいるが、小平次は同じく幼馴染でもある太九郎の女房おちか(宮下順子)を横恋慕して所帯を持ちたいと思っている。太九郎が今言うDV夫であることを知っていることがその思いに拍車をかける。小平次は太九郎の子供を宿したおちかの頼みを聞いて堕胎する方法を伝授する。
太九郎は巡業先の釣り遊びの最中おちかのことを言い出した小平次を舟から突き落として殺し、慌てて家に戻る。家に戻ると小平次が先回りして待っている。こりゃ大変だわいと太九郎はおちかと道行と相成るが、休んでいた河原に小平次が現れ、太九郎と大格闘を繰り広げる。
初めて太九郎の家に姿を現した小平次はその現れ方から言って幽霊っぽいが、以降幽霊なのか実存する人間なのか、あるいは太九郎の夢なのかという曖昧さを漂わして進行する。幽霊であっても、実存であっても、不気味でなかなか凄味のある物語である。
製作が1982年であることを考えると、鈴木清順が1980年に復活して「ツィゴイネルワイゼン」、翌年「陽炎座」を作り、現在ではない世界を舞台にした妖艶な映画が人気を博したのに乗じたか、類似した印象を覚えさせる。作品としての迫力で上の二作には及ばないものの、お囃子や小芝居といった伝統芸術を見聞きする面白味も捨てがたい。
少予算で撮影に使ったフィルムは16mm。それを35mmにアップして上映したようで、粒子の粗さは何のマイナスにならないのは言うまでもない。但し、何の具合か知らないが、ショットが変わるたびにフィルムの下にノイズが一々現れるのが気になった。こういう経験は初めてだ。
“怪異談”は所謂角書(つのがき)=サブタイトルなので、あ行とします。
1982年日本映画 監督・中川信夫
ネタバレあり
架空の歌舞伎役者小幡(こばた)小平次は江戸時代に山東京伝が実在の役者をモデルに生み出した。それを大正時代の劇作家・鈴木泉三郎が新歌舞伎として戯曲化した「生きてゐる小平次」二度目の映画化。怪談や妖艶な作品を得意とした中川信夫監督の遺作である。再鑑賞。
天保13(1842)年、うだつの上がらない役者・小平次(藤間文彦)と囃子方・太九郎(石橋正次)は幼馴染で、青雲の志をもって日々励んでいるが、小平次は同じく幼馴染でもある太九郎の女房おちか(宮下順子)を横恋慕して所帯を持ちたいと思っている。太九郎が今言うDV夫であることを知っていることがその思いに拍車をかける。小平次は太九郎の子供を宿したおちかの頼みを聞いて堕胎する方法を伝授する。
太九郎は巡業先の釣り遊びの最中おちかのことを言い出した小平次を舟から突き落として殺し、慌てて家に戻る。家に戻ると小平次が先回りして待っている。こりゃ大変だわいと太九郎はおちかと道行と相成るが、休んでいた河原に小平次が現れ、太九郎と大格闘を繰り広げる。
初めて太九郎の家に姿を現した小平次はその現れ方から言って幽霊っぽいが、以降幽霊なのか実存する人間なのか、あるいは太九郎の夢なのかという曖昧さを漂わして進行する。幽霊であっても、実存であっても、不気味でなかなか凄味のある物語である。
製作が1982年であることを考えると、鈴木清順が1980年に復活して「ツィゴイネルワイゼン」、翌年「陽炎座」を作り、現在ではない世界を舞台にした妖艶な映画が人気を博したのに乗じたか、類似した印象を覚えさせる。作品としての迫力で上の二作には及ばないものの、お囃子や小芝居といった伝統芸術を見聞きする面白味も捨てがたい。
少予算で撮影に使ったフィルムは16mm。それを35mmにアップして上映したようで、粒子の粗さは何のマイナスにならないのは言うまでもない。但し、何の具合か知らないが、ショットが変わるたびにフィルムの下にノイズが一々現れるのが気になった。こういう経験は初めてだ。
“怪異談”は所謂角書(つのがき)=サブタイトルなので、あ行とします。
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