映画評「ヒポクラテスたち」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1980年日本映画 監督・大森一樹
ネタバレあり

大森一樹監督が京都の医大時代の経験を踏まえて作った青春群像劇。大学在学中に観た。四十数年ぶりの再鑑賞だ。

6回生になってもどの科に進むか決まらない医科大生・古尾谷雅人は、他の五人即ち産婦人科の息子・光田昌弘、医療に情念を燃やす狩場勉、既に妻子のある柄本明、未だに野球に拘っている野球少年上がりの西塚肇、そして紅一点の伊藤蘭と共に、臨床実習に臨む。
 それぞれ医療に対する思いは違い、大学図書館の司書・真喜志きさ子を孕ませて堕胎させた古尾谷は担当した医師が偽医者だったと知って悩んでノイローゼになり、自分の通う大学の精神科の患者になる。紅一点の蘭ちゃんは医者としてやっていく自信を持てずそれこそ行き詰まる。それでも多くは研修医になっていくのである。

半自伝的な映画を作ろうとすれば自分を主人公にしたがるのが人情だろうが、大森監督がモデルになったのは古尾谷扮する主人公ではなく、映画を作っている医学生の一人にちがいない。

大学病院と主人公らが暮らす寮が主な舞台で、ユーモラスな描写が少なくなく明朗な青春劇仕立てであるから、出て来る将来の医者候補は蘭ちゃんを除いて一見軽薄な人ばかりに見えるが、いつもしかつめらしくても観客は退屈するだけである。
 軽薄らしい古尾谷も医学に絡む色々な体験をするうちに精神を病むくらいに医学や人生に真剣なところがあったわけだが、この映画の殊勲は彼が病気に陥っていくところでさえユーモラスに描き切ったことである。これを韓国映画のように途中からシリアス一辺倒になり真面目くさったまま終わりにしたのではトーンが一貫しないと僕も批判したことであろう。

この終幕で大森監督は表現に、パートカラーやジャンプ・ショットならぬジャンプ・ストップモーションなど色々なアイデアを投入して面白く見せていて、映画マニアが高じて映画作家になった人の手になるものだなあと感じさせる。

脇役に後に目立つ役者が大勢登場し、ゲスト出演者に鈴木清順(病院泥棒役)や手塚治虫(医師役)がいる。清順はともかく手塚氏は貴重だろう。その他僕が知っている4人の映画批評家の名前もあり驚いた。

大森監督では「恋する女たち」(1986年)も好きだが、やはり本作が一番楽しんだろうか。

古尾谷雅人は90年代になって本当にノイローゼになって、 2003年に行ってしまった。 ノイローゼと言えば、 “行き詰まる” の意味で “煮詰まる” を使う人が多い。 “詰まる” で混同しているのだ。 “力不足” の意味で逆の意味の “役不足” を使う人も結構いるが、 ”水を差す” と勘違いして意味がまるで違う “流れに竿を差す” を使う人もいるね。

この記事へのコメント

モカ
2024年06月17日 16:44
こんにちは。

 >脇役に後に目立つ役者が大勢登場

 役者ではないですが、元フォーククルセダーズの北山修が放射線科の先生役で出ていたのが面白かったです。
クレジットにはジキルハイド(?)になっていましたが。
 今は精神科医として活躍されている北山先生も京都府立医科大学出身ですね。
1970年頃、実際に白衣を着て大学の前の歩道を歩いておられるのを目撃したことがありました。 背が高くてハンサムなので間違えようがないです。(^^)v

調べてみたら大森監督と大学入学年が同じで学校も近かったので、あの辺のどこかでニアミスしていたかもしれません。

たまたま昨日図書館で「京都 絵になる風景 銀幕の舞台をたずねる」という本を借りてきましたが、この映画は載っていませんね。
「パッチギ」はあるのに…何でやろ?


 

 
オカピー
2024年06月17日 22:30
モカさん、こんにちは。

>北山修が放射線科の先生役で出ていたのが面白かったです。

クレジットで見た記憶があります。出演場面では認識しなかったのですけど。
わが姉が「戦争を知らない子供たち」というエッセイ?を買っていましたね。

>大森監督と大学入学年が同じで学校も近かったので、あの辺のどこかでニアミスしていたかもしれません。

そういう想像は楽しいですねえ。

中学校の近くに私立中高校があり、そこに布袋寅泰が通っていたのですよ。3学年違うので、すれ違うことはなかったでしょうがね。

僕が惜しかったと思うのは、ゴダイゴのタケカワユキヒデと一緒に大学を卒業できなかったこと。彼は11年も通ったのですが、僕も楽をする為に留年を繰り返した為、一年違いでのがしました。先に卒業した友人によれば、彼が総代を務めたそうです。

>「京都 絵になる風景 銀幕の舞台をたずねる」
>「パッチギ」はあるのに…何でやろ?

そういうこともあるでしょう^^