古典ときどき現代文学:読書録2024年秋号
季刊になって3回目。あっと言う間に発表時期がやって来ます。
さて、皆様を悩ませてきた大古典は大分少なくなり(バラエティ=多様性=の関係上ゼロにはしない)、一般的な古典もほどほど、新しい作品やミステリーなど娯楽性の高い作品が増えて来たのはウェルカムなのではないでしょうか。僕は映画ファンですから、映画化された小説を選びやすい。当ブログ訪問者には丁度良いかもしれません。
予告通り、芥川賞全集は読了。その直後の作品も一つ読みましたよ。
常連の皆さんに紹介された作品を早めに読むことができるようになり、かなり一般的な読書録に近づいて来たような気もします。
読書好きとしては、「千夜千冊」の松岡正剛の逝去が残念でした。文学以外の本に関しては時々氏のリストを参考にすることがありますが、新しい紹介に与れないのは寂しい。合掌。
それでは、ご笑覧ください。
藤沢 周平
「黒い蠅」
★★★★一時期よく映画化されたので、藤沢文士を是非読んでみたいと思っていたが、図書館へ行っても蔵書数が多くて何を読んで良いかとんと解らない。僕が持っている日本文学大辞典に「暗殺の年輪」という中編が紹介されていたので、その小説をタイトルにした文春文庫の初期中編集を選んでみた。その最初の一編がこれで、主役はおしのという出戻りである。この家に通っている老植木屋は元岡っ引き。偶然幼馴染の宗次郎と再会したことから、岡っ引きの顔を蘇らせた植木屋から彼を逃れさせる義務を感じる。この一編を読んで藤沢というデビューの遅かった時代小説家の人気の理由が解る。男女の関係の切なさに心打たれない人は朴念仁であろう。
「暗殺の年輪」
★★★★ある藩の重鎮を暗殺する羽目になった主人公馨之介が、謂わば父親の不始末の責任を取らされた母親の為に引受けるが、どうも父も自分も権力者集団に巧く操られているのではないかと確信して武家の矜持を捨てる。その密談が行われた飲み屋の娘や暗殺をもちかけた若侍の妹の主人公への思いも絡めて、実に地味溢れる作品と言うべし。幕切れが少しピンと来なかったので★一つ下げる。作品ごとの★は多く4つにしてあるが、短編集「暗殺の年輪」としては★5つを進呈したい。
「ただ一撃」
★★★★これは映画化したい。鼻水を始終流すほど老いぼれた隠居侍が、藩の仕官を目指してやって来た剣豪に立ち向かう羽目になる。彼こそ伝説的な剣豪なのだ。その心境を強固にする為に嫁に手を付ける。嫁女(よめじょ)は義父の気持ちを知って承知する。その後が凄いが、敢えて説明すまい。映画化するなら、隠居侍に田中泯。嫁に和久井映見。ともに20年くらい前という条件の幻想映画館で、そうなれば監督は必然的に20年くらい前の山田洋次となる(笑)
「溟い海」
★★★この中編集に収められた作品のうち一番古い作品らしい。葛飾北斎の晩年の差し迫った状況をその心境と共に描き出して、若手安藤広重の台頭を恐れて晩節を汚しかけて最後に踏み留まる。他の中編と違って男女が織りなす化学反応を描いていず、それに絡む切なさはないのだが、北斎が全く受け付けない不肖の息子の元内妻お豊の存在感がその出番の少なさに反して実に重い。
「囮」
★★★★★版元で仕事をしている幸吉は病弱の妹の為に十手も預かってい、仕事の合間に殺人犯の情婦おふみを見張るうち片想いに陥る。成行きで半ばものにしてしまうが、情夫を捕えられた彼女は姿を消す。設定に面白味があるが、後味は切ない。フランスを舞台に翻案し、主人公を「望郷」の頃のジャン・ギャバンにやらせ、ジュリアン・デュヴィヴィエに監督させたら良い作品になりそうだ。
ブラム・ストーカー
「ドラキュラ」
★★★★映画化でお馴染みの怪奇小説。内容は改めて読むまでもないくらいよく知っているわけだが、原作はどの映画版より男性が多く登場する。彼らが四騎士のようにヒロインを守ろうとするのだ。詳細な註が付いた水声社の完訳版がお薦め。これによって理解が著しく広がる。細かすぎる注釈に批判的な立場になることが多い僕だが、これは断然注釈を読むべし。
町田 康
「きれぎれ」
★★第123回(2000年上半期)芥川賞受賞作。文体に関して僕は正統派を好むので、ロック・バンドのアーティストでもある作者のパンク的な破壊的文章を好ましく思わないが、どうも部分的な夢は言うまでもなく、本作全体が主人公の夢だったと思わせなくもない構成は悪くない、と思う。
松浦 寿輝
「花腐し」
★★同じく第123回芥川賞受賞作。この人も一文が長い。映画版を直前に観ているので、読んでいる最中に映画の映像が浮かんできて邪魔する感じになったのは惜しい。借金を背負った青年実業家が、不動産で食っている男の代りに、壊す予定のアパートに一人残っている貧乏男に追い出す為に出かけるが、ミイラ取りがミイラになる。そこにマッシュルームでハイになる謎の令嬢も絡んで来るが、全体としては主人公の失った女性への後悔がノスタルジーに変質していくような後味。映画の昭和ノスタルジーの奔出ぶりとは少し違う。
青来 有一
「聖水」
★★★第124回(2000年下半期)芥川賞受賞作。長崎。隠れキリシタンにもなれなかった裏切り者の末裔たちが、主人公の父親の作り上げた企業の後継を巡ってもめる。聖水とは彼らが販売する湧水で、その効果を主人公を覚めた目で見るが、後継者と目された父親の従弟が階段を外される。それと言うのも彼が新興宗教の教祖になりつつあるからなのである。という内容。文体は正統的で好みだが、三人称で書かれたほうが馬力が出そうなお話と思う。
堀江 敏幸
「熊の敷石」
★★★同じく第124回芥川賞受賞作。芥川賞全集最終巻は5作全てが僕が余り好みとしない一人称小説なのだ。この小説の語り手は、ほぼ作者と思われるが、半ばエッセイ的なので、一人称がふさわしいだろう。舞台はフランスで、かつてフランスに留学した日本人青年がかつての知人と青年と再会するが、彼がユダヤ人であることなどから様々な悲劇が浮き彫りになっていく。ちょっと19世紀前半までのロマン主義の香りを引きずっていると僕も感じたが、実際銓衡 (選考) 者の中にヨーロッパ・コンプレックスと批判した人もいるらしい。
玄侑 宗久
「中陰の花」
★★★★第125回(2001年上半期)芥川賞受賞作。新聞でも時々エッセイを読んだ作者の僧侶としての立場を投影した内容。主人公の僧侶も超常現象には疑問を禁じ得ない立場で、仏教の様々なエレメントが科学的に説明できるとしている一方で、おがみやとその死を通して彼の思いは揺れるのだ。文体も内容も正統的で、個人的には読み応えが高い。
ジーン・シャープ
「独裁主義から民主主義へ」
★★★★無抵抗主義と似て非なる政治的抵抗。例えば、ストライキやボイコットなど枚挙にいとまがない。直接的な暴力に頼ると、独裁者に攻撃の口実を与え、あるいは仮に独裁者が倒れても別の独裁者を生む可能性が高い。アフリカの政権交代を見るとそれが正しいことが解る。政治的抵抗がうまく嵌ると、独裁者を倒すのは案外たやすい。短いパンフレットに近い著作なので、手に取りやすいと思う。
スタニスワフ・レム
「ソラリス」
★★★★二度本格的に映画化された、ポーランドのSF作家によるハードSF。タルコフスキー版がイメージに近いが、レムは宇宙生命とのコンタクトが目的であったので不興を覚えたらしい。生命か非生命か、人の思いを具現化できる力のある惑星ソラリスの “海” により、自分のミスで死に別れた恋人と再会した科学者の気持ちが胸を打つ。この部分をロマンスとして映画化したスティーヴン・ソダーバーグ版も当然レムの不興を買った。僕も愚かな大衆なので、主人公の思いにぐっと来てそこに面白味を感じる次第だが、生命や神をめぐる哲学的なアプローチも一読に価する。
アリス・ウォーカー
「カラーパープル」
★★★★★スピルバーグの映画版も悪くないが、小説の機微には及ばない。(本文中に出て来るベッシー・スミスの A Good Man Is Hard to Find が発表されるのは1928年。それより数年前から始まるので)1920年頃からスタートし、恐らく1940年頃(ヒロインの妹が乗る英国に向う船がドイツ軍に撃沈されたという噂がある)までのお話。人種差別と男尊女卑を当たり前と思っていたヒロインのセリーが、色々な人々の交流を経て、妹への肉親的愛は別として、愛を向ける対象が神から人へ変わる。後半主張が強くなりすぎて鼻白むところもあるものの、胸を打たれざるを得ない。
長嶋 有
「サイドカーに犬」
★★★★これも映画になっているが、すっかり見たことを忘れていた。狙いが不鮮明に感じた映画版と違って原作は非常に面白い。僕がゆっくり読んでも映画の半分もかからない時間で読めるので、狙いなど考える前に終わってしまう。語り手は、20年前10歳の時に母が家出していた間、父の愛人 “洋子さん” と過ごしたひと夏の冒険を綴る。芥川賞候補になったものの受賞には至らなかった作品だが、 “洋子さん” の豪快な性格が面白く、下の芥川賞受賞作より個人的には楽しめた。 “洋子さん” と括弧つきにしたのは、本文がそうなっているから。登場人物にさんを付けるほど常識外れではない。
「猛スピードで母は」
★★★第126回(2001年下半期)芥川賞受賞作。こちらもローティーンの少年が主人公だが、三人称による叙述という違いがある。但し、僕が映画用語として使う主観的三人称である。シングルマザーの母親が前述作の “洋子さん” の姉妹のように豪快な人物。どちらも訳あり家庭の子供たちがテーマだが、重くならないのは軽妙な文体のおかげだ。舞台は北海道。主人公が暮らすM市は紋別市、母親の両親が暮らすS市は士別市。小説の情報から地名は簡単に特定できるわけだから、ぼかす必要もなかったがなあ。
天藤 真
「大誘拐」
★★★★メーカーに務めていた時に僕がソ連絡みで関係のあった取引先ニチメン(本作映画版の共同製作者)から会社として何枚かチケットを買わされて当然僕は映画館まで観に行った。監督が岡本喜八だから、文句を言うには及ばなかったが、他の社員の心情は知りません。全く先例がないわけではないが、誘拐被害者(92歳の老婦人=日本有数の大富豪)が加害者とコンビを組むだけでなく、加害者を指導するというアイデアが非常に面白くかつ愉快。彼女を恩人と感じる県警本部長も事件解決ならずも名探偵ぶりを発揮している。
ホン・イン(虹 影)
「飢餓の娘」
★★★★★中国重鎮市に生れた作者の自伝的小説。1950年代末に起こり数年続いた中国の大飢饉の時に生れたヒロイン (即ち作者) は思春期後半に文化大革命時代の影を引きずる教師に思慕と軽蔑が入り混じるような複雑な心情を抱く。中国貧民窟のトイレ事情が多く描出されるのに、 彼女のロマンスと母親の不倫 (ヒロインはその相手の子供) という名のロマンスの二重奏が切なく響き合う。 大飢饉と文化大革命に対して直接的に批判するスタンスではないものの、即実的ながら物凄い迫力を持つ描写のうちに間違いなく非難の思いがある。英国に渡ったから書けたという部分はあるだろうが、中国でも部分的に削除はあるものの読めるらしい。
ジェイムズ・ホッグ
「悪の誘惑」
★★貴族を父とする兄と神父を父とする弟が一人の人物の介在によって対立を深めていき、殺人に発展していく。善悪を論点とした時、神父を父とする弟の方が悪魔めいているのが興味深いが、弟を魅惑する変幻自在の謎の人物は悪魔にちがいない。第一部を編者による客観的叙述、第二部を殺人犯による告白(という主観文章)、第三部がホッグ自身も絡んで来る編者が書いた文章、という具合に進む。一種のメタフィクションのゴシック・ホラー。ホッグなる作者の正体が一番の謎か?
假名垣 魯文
「西洋道中膝栗毛」
★★洋行をテーマに、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」を明治初めにパロディー化した戯作。横浜を出て香港やシンガポールなどで弥次喜多が珍道中を繰り広げる。句読点はないわ、通常ポイントの文章を補足する二行の文字が小さすぎて難儀する。文語だが、文章自体はそう難しくない。
モーリス・ルブラン
「813」(再)
★★★★小学5年生で夢中になったルパン・シリーズ(但し中学生向けくらいのもの)のうちこれは読んでいなかったので、中学生になって読んでみた。ところが、小学時代の感動がまるでないのである。理由は、一つ僕が甘いだけのロマンティシズムからやや脱しようとしていた時期であること、一つ訳が小学生向けであったこと、一つ大長編をある程度の長さにまとめたものであること、などであろう。今回は第一部と第二部を別冊にした小学高学年から中学生向けながら完全版なので、当時の印象と違ってぐっと面白い。実際これは結構評判の高かったもので、ミステリーのベスト100などを選ばせると結構入ったりする。ポー以来の数字やアルファベットに絡むトリックに加え、濃厚なロマンティシズムと冒険もの要素が加わる。やはりアルセーヌ・ルパンは、大デュマに連なる系列にあると思う。何と言っても、捜査陣のトップがルパンその人だったという人を食っている(ルパンでは珍しくもないのだが)。殺人はしないという主義のルパンが、結果的のものを含めて、三人を死に至らしめているのは残念。
「続813」(再)
★★★★続とあるが、厳密には第二部。ドイツ皇帝まで繰り出し“ちょっと風呂敷を広げ過ぎだろう”と序盤のうちは苦笑したが、犯人と愛する女性の謎が織り交ぜられた内容を最後まで読むうちにしっくりしてくる。ルブランの設計の鮮やかさと言うべきである。ルパン・シリーズは中学生向けくらいの訳が丁度良い。大人向けの訳は散文的すぎる気がする(ものが多い)。
近藤 芳美
「早春歌」
★★★歌集。この人の師匠の一人・土屋文明は母校(高校)の大先輩。この歌集の最初の句は高校の現国授業で習った記憶がある。昭和十年代の短歌が中心で、少女だった後の妻との交際や結婚後の夫婦の愛情交換ぶりを扱った歌が多い。舞台は満州で、夫婦の居場所の地理関係で理解に勘違いしていたところあり。
吉野 秀雄
「寒蝉集」
★★★地元西毛(西群馬)の歌人である。愛妻の死に絡む歌を大量に収める。後半は地元・群馬を離れて関西の古寺などを訪れて観照的に歌い、時折前年に亡くなった妻への思いが湧出するところにじーんとさせられる。基本的に「万葉集」へ傾倒が目立ち、奈良時代のような言葉遣いや雅語が多い。
ダニエル・パウル・シュレーバー
「ある神経病者の回想録」
★★★ドイツの控訴院の部長にまで上りつめながら、恐らく現在言う統合失調症で、神と通じていると信じ自分が脱男性化 (つまり女性化) すると信じた人物の回想記。これだけ論理的な文章を書く以上、調子が良い時期だったと思われるが、禁治産者扱いについてかつて自分が所属した控訴院で勝訴しながら、病気から抜け出すことは不可能だった。ドイツ人であるから聖母マリアから距離を置くプロテスタントと思われるが、神との関係を考えた時僕は彼がマリアに思いを馳せたように思う。その辺を指摘する人は誰もいないけれども。
レフ・トルストイ
「イヴァン・イリイチの死」
★★★★イヴァン・イリイチなる裁判官が亡くなる。これは第三者の立場から事実関係を綴るのが第一章で、第二章から本人の心情を三人称で綴る(つまりヘンリー・ジェイムズ式)という形式が映画的で秀逸。40代で難病にかかった主人公の死への恐怖が綴られるが、死が訪れる直前に自分の死で家族が救われるという思いに死の恐怖が消え去る。トルストイ流に言えば【死が終わる】のである。
フョードル・M・ドストエフスキー
「鰐」
★★★ユーモラス千万な不条理小説。カフカの「変身」に感触的に似ているが、もっと解りやすい。鰐に吞み込まれた男が鰐と共存することを決意する。その理屈がナンセンスで、自分は鰐の栄養で生きていると同時に鰐は彼によって生きている。正に不条理。
京極 夏彦
「姑獲鳥の夏」
★★★★★日本三奇書(ミステリー)に次ぐ奇書と言っても良いのではないか。実際衒学趣味は、小栗虫太郎「黒死館殺人事件」に量的に匹敵しようかと言っても良いもので、あちらの西洋文化蘊蓄に対して、こちらは日本民俗蘊蓄ぶりがなかなか凄い。探偵の多さも特徴で、鬱状態で事実上何の役にも立たない語り手も探偵役を担っているし、古書書店の店主にして現代の陰陽師・京極堂、一種の超能力者である私立探偵榎木津、京極堂の妹・敦子、そして公立探偵 (刑事) 木場である。それぞれに持ち味と得意分野があり、近年のプロ野球の分業制のような感じ。面白いのは、宗教家だからこそ霊魂を認めないという立場の京極堂で、その徹底的な論理性により一見非現実的な事件を解決してみせるのである。文章その他も古典趣味である。漢字の使いかたその他、昭和26年当時の雰囲気を大いに出しているが、時代考証的に言えば、当時はまだ一応刑事を探偵と呼ぶ習慣が残っていたらしいので、刑事が “探偵” を馬鹿にする発言は間違いではないが少しだけ違和感がある。せめて素人探偵くらいにした方が良かったかもしれない。1953年に公開されたアメリカの刑事映画「探偵物語」は必ずしも誤訳ではなかったのだ。姑獲鳥に “うぶめ” とルビを振ってあることにも意味があることが最後に判る。
野間 宏
「青年の環 第3巻:表と裏と表」
★★★★戦後書き始めた頃は作者自身をモデルにした市役所職員・矢花正行がやや主人公っぽく感じたが、20年近くたって再開したこの第3巻では恩を仇で返すような田口の悪行を暴き彼を破滅させることに奔走する大道出泉(だいどういずみ)に比重が傾いている感あり。田口は大道の出自と性病の過去をネタに恩のある一家を強請ろうとしていたらしいが、大道の調査の結果、田口は矢花が奔走している部落出身者ということを暴かれ、自らの計画を水泡に帰す。大道の心理が「失われた時を求めて」のように顕微鏡を覗くが如き感覚で綴られる。文庫本にすれば4000ページにもならんかという超大作を、今頃読むのは僕くらいなものか?
イーデン・フィルポッツ
「赤毛のレドメイン家」(再)
★★★大学生になりたての頃に読んだ。それ以来の再読で、登場人物自体がトリックとなっているのがこの時代のものでは案外珍しい? 別々に暮らすレドメイン家の三老人が次々と殺される事件を、現役刑事と元刑事の探偵というダブル探偵仕立てで読ませる。横溝正史などと違った形で片方が引き立て役になる。
ホレス・ウォルポール
「オトラント城」
★★★★ウォルポールが昔のイタリアの小説を翻訳したという体裁で当初発表した中世ロマンス。ゴシック小説の嚆矢とされている。城主の嫡子が結婚の直前に巨大な兜に潰されて死ぬという事件が起き、城主は后と別れて嫁と結婚しようと画策。その間に立つ聖職者や農民にしては教養のある若者、城主の娘などが絡んで波乱万丈の展開する。所謂ゴシック小説というより超常現象が絡むダーク・ファンタジーという感じで、そこへ小者をコメディ・リリーフとして繰り出して来る。
ジーン・リース
「サルガッソーの広い海」
★★★何と「ジェーン・エア」のパスティーシュ。狂人とされたロチェスター夫人の物語である。ジーン・リースは夫人同様西インド諸島出身のクレオール(現地で生まれ育った白人女性)。夫人の西インド諸島(現ドミニカ共和国ではないドミニカ島)時代を彼女自身の語りと、名前は一切出てこない白人男性(つまりロチェスター)の語りで綴る。簡単に言えば、ジーンは、自分たちが原住民にも本土の白人にも愛されない立場に怒っているのである。その象徴がロチェスター夫人であり、彼女の人生を借りてその怒りをぶつけている。ロチェスターの語りに解りにくいところがある。
アーサー・ゴールデン
「さゆり」
★★★★映画「SAYURI」の原作で、映画版は識者から色々事実誤認を指摘されていたが、小説は相当しっかりしている。いずれにしても、現在の日本人の多くはお座敷や芸者のことなど知らないのではないか。その意味でここに書かれた置屋のシチュエーションなど実に興味深い次第で、妹分を連れまわす説明など溝口健二「祇園囃子」を思い起こさせるところが随所にある。京言葉、舞妓や芸者の使う言葉の訳に腐心したことが伺われ、相当楽しく読んだ。
福永 武彦
「草の花」
★★★★福永武彦は中学生の頃短編集「夢見る少年の昼と夜」を読んで透明な文章の書き手と思った。しかし、彼の文章を読むのはそれ以来。これが出世作で、清新の文章という印象は変わらない。夏目漱石「こころ」に影響を受けたような構成で、 冒頭と最後の書き手は“私”だが、真の主人公は病院で肺結核手術中に死んだ汐見で、“私”に残された彼の手記が中核を成す。 そこには若者の愛と苦悩が書き綴られている。最近はこういうロマン主義のムードを持つ小説は見られなくなりましたね。
伊丹 十三
「ヨーロッパ退屈日記」
★★★★常連モカさんが紹介してくれた講演で内田樹が本書を戦後日本批判と看破しているが、その情報なしにそこまで読み取るのは無理。本書で取り上げられる映画は出演した「北京の55日」と「ロード・ジム」。個人的には後者を監督したリチャード・ブルックスの映画論が面白いが、ここで伊丹は欧州における米国人の妙な行動を取り上げることで米国人批判をやっているように読める。内田の指摘がなくてもぎりぎり理解できたか否かという微妙なところ。車や飲食の蘊蓄が多く、一般人は洒脱なエッセイとして読めばよいだろう。 本書によって “随筆” に代わって “エッセイ” という言葉が広まったとかしなかったとか。
川端 康成
「水晶幻想」
★★★1930年代に書かれた短編で、どうもジェームズ・ジョイスばりの“意識の流れ”を真似たらしいことが伺える。三十代くらいの既婚女性の心理を綴ったもので、内容的には戦後のマルグリット・デュラスを思い起こさせたりもする。プルースト「失われた時を求めて」等、大体この手はお話の起伏には関心がないので、その観点で読むと退屈する。僕は中間くらいを行くので、退屈もしないが、感激するほどでもない。
ドロシー・L・セイヤーズ
「ナイン・テイラーズ」
★★★英国の地方で、頭と両手のない死体が既に別人が埋められている墓穴から発見される。彼は誰で、誰が殺し、どういう事情でそこに埋められたのか。戦前の英国ミステリーの傑作として名高いが、日本人には全くピンと来ない9つの鐘をめぐって極めて衒学的なので、大いに読み手を選ぶ。京極夏彦に似て、神秘主義的な謎を現実の視点で切り崩していく手法ながら、彼ほどには通俗的趣向を張り巡らせない。テイラーは teller の訛りらしく、鐘のこと。
室生 犀星
「杏っ子」
★★★★犀星の自伝的小説。本人以外の文学者は、芥川龍之介、菊池寛、佐藤春夫など、実名で登場する。本人と娘(室生朝子)が実名でないのは対象として相対化すること、実話以外の要素を加える目的があるからだろう。犀星その人である主人公の詩人にして作家は豪胆であり、自ずと文章も豪胆、読み応えがある。前半の関東大震災での騒動など具体的で面白く、後半はうって変わって戦後長女と次男の失敗に終わる結婚模様。長女の小説家志願の夫は大した才能もない癖に義父に対抗意識を燃やし酒に溺れるが、彼女はなかなか別れることが出来ない。主人公は息子のドライすぎる妻への評価が高いが、僕は長女を人間的に買う。我慢強かったからではない。自己を確立していると思えたからである。僕は幻想映画館で、この杏子に香川京子を配した。実際の映画化でも香川京子であった。僕の頭の中では主人公は佐分利信だが、実際は山村聰。
プルタルコス
「プルターク英雄伝:キモーン/ルークッルス」
★プルタルコスは高潔な人が好きなので、ギリシャの将軍・政治家キモーンのほうを人間として買うのは例の通り。しかし、軍人・政治家としては甲乙つけがたいとする。戦闘については相変わらず、解りにくい。
「プルターク英雄伝:ニーキアース/クラッスス」
★★高校でちゃんと世界史を習った人にはお馴染みのクラッススが出て来てほんの少し面白味が出て来る。三頭政治を構成する一人で、他の二人はカエサルとポンペイウス。思い出したでしょう? しかし、プルタルコスによれば、ニーキアースもクラッススも軍人としては成功したと言えないらしい。特にクラッススへの評価が厳しい。映画ファンには「スパルタクス」でお馴染みだろう。
さて、皆様を悩ませてきた大古典は大分少なくなり(バラエティ=多様性=の関係上ゼロにはしない)、一般的な古典もほどほど、新しい作品やミステリーなど娯楽性の高い作品が増えて来たのはウェルカムなのではないでしょうか。僕は映画ファンですから、映画化された小説を選びやすい。当ブログ訪問者には丁度良いかもしれません。
予告通り、芥川賞全集は読了。その直後の作品も一つ読みましたよ。
常連の皆さんに紹介された作品を早めに読むことができるようになり、かなり一般的な読書録に近づいて来たような気もします。
読書好きとしては、「千夜千冊」の松岡正剛の逝去が残念でした。文学以外の本に関しては時々氏のリストを参考にすることがありますが、新しい紹介に与れないのは寂しい。合掌。
それでは、ご笑覧ください。
***** 記 *****
藤沢 周平
「黒い蠅」
★★★★一時期よく映画化されたので、藤沢文士を是非読んでみたいと思っていたが、図書館へ行っても蔵書数が多くて何を読んで良いかとんと解らない。僕が持っている日本文学大辞典に「暗殺の年輪」という中編が紹介されていたので、その小説をタイトルにした文春文庫の初期中編集を選んでみた。その最初の一編がこれで、主役はおしのという出戻りである。この家に通っている老植木屋は元岡っ引き。偶然幼馴染の宗次郎と再会したことから、岡っ引きの顔を蘇らせた植木屋から彼を逃れさせる義務を感じる。この一編を読んで藤沢というデビューの遅かった時代小説家の人気の理由が解る。男女の関係の切なさに心打たれない人は朴念仁であろう。
「暗殺の年輪」
★★★★ある藩の重鎮を暗殺する羽目になった主人公馨之介が、謂わば父親の不始末の責任を取らされた母親の為に引受けるが、どうも父も自分も権力者集団に巧く操られているのではないかと確信して武家の矜持を捨てる。その密談が行われた飲み屋の娘や暗殺をもちかけた若侍の妹の主人公への思いも絡めて、実に地味溢れる作品と言うべし。幕切れが少しピンと来なかったので★一つ下げる。作品ごとの★は多く4つにしてあるが、短編集「暗殺の年輪」としては★5つを進呈したい。
「ただ一撃」
★★★★これは映画化したい。鼻水を始終流すほど老いぼれた隠居侍が、藩の仕官を目指してやって来た剣豪に立ち向かう羽目になる。彼こそ伝説的な剣豪なのだ。その心境を強固にする為に嫁に手を付ける。嫁女(よめじょ)は義父の気持ちを知って承知する。その後が凄いが、敢えて説明すまい。映画化するなら、隠居侍に田中泯。嫁に和久井映見。ともに20年くらい前という条件の幻想映画館で、そうなれば監督は必然的に20年くらい前の山田洋次となる(笑)
「溟い海」
★★★この中編集に収められた作品のうち一番古い作品らしい。葛飾北斎の晩年の差し迫った状況をその心境と共に描き出して、若手安藤広重の台頭を恐れて晩節を汚しかけて最後に踏み留まる。他の中編と違って男女が織りなす化学反応を描いていず、それに絡む切なさはないのだが、北斎が全く受け付けない不肖の息子の元内妻お豊の存在感がその出番の少なさに反して実に重い。
「囮」
★★★★★版元で仕事をしている幸吉は病弱の妹の為に十手も預かってい、仕事の合間に殺人犯の情婦おふみを見張るうち片想いに陥る。成行きで半ばものにしてしまうが、情夫を捕えられた彼女は姿を消す。設定に面白味があるが、後味は切ない。フランスを舞台に翻案し、主人公を「望郷」の頃のジャン・ギャバンにやらせ、ジュリアン・デュヴィヴィエに監督させたら良い作品になりそうだ。
ブラム・ストーカー
「ドラキュラ」
★★★★映画化でお馴染みの怪奇小説。内容は改めて読むまでもないくらいよく知っているわけだが、原作はどの映画版より男性が多く登場する。彼らが四騎士のようにヒロインを守ろうとするのだ。詳細な註が付いた水声社の完訳版がお薦め。これによって理解が著しく広がる。細かすぎる注釈に批判的な立場になることが多い僕だが、これは断然注釈を読むべし。
町田 康
「きれぎれ」
★★第123回(2000年上半期)芥川賞受賞作。文体に関して僕は正統派を好むので、ロック・バンドのアーティストでもある作者のパンク的な破壊的文章を好ましく思わないが、どうも部分的な夢は言うまでもなく、本作全体が主人公の夢だったと思わせなくもない構成は悪くない、と思う。
松浦 寿輝
「花腐し」
★★同じく第123回芥川賞受賞作。この人も一文が長い。映画版を直前に観ているので、読んでいる最中に映画の映像が浮かんできて邪魔する感じになったのは惜しい。借金を背負った青年実業家が、不動産で食っている男の代りに、壊す予定のアパートに一人残っている貧乏男に追い出す為に出かけるが、ミイラ取りがミイラになる。そこにマッシュルームでハイになる謎の令嬢も絡んで来るが、全体としては主人公の失った女性への後悔がノスタルジーに変質していくような後味。映画の昭和ノスタルジーの奔出ぶりとは少し違う。
青来 有一
「聖水」
★★★第124回(2000年下半期)芥川賞受賞作。長崎。隠れキリシタンにもなれなかった裏切り者の末裔たちが、主人公の父親の作り上げた企業の後継を巡ってもめる。聖水とは彼らが販売する湧水で、その効果を主人公を覚めた目で見るが、後継者と目された父親の従弟が階段を外される。それと言うのも彼が新興宗教の教祖になりつつあるからなのである。という内容。文体は正統的で好みだが、三人称で書かれたほうが馬力が出そうなお話と思う。
堀江 敏幸
「熊の敷石」
★★★同じく第124回芥川賞受賞作。芥川賞全集最終巻は5作全てが僕が余り好みとしない一人称小説なのだ。この小説の語り手は、ほぼ作者と思われるが、半ばエッセイ的なので、一人称がふさわしいだろう。舞台はフランスで、かつてフランスに留学した日本人青年がかつての知人と青年と再会するが、彼がユダヤ人であることなどから様々な悲劇が浮き彫りになっていく。ちょっと19世紀前半までのロマン主義の香りを引きずっていると僕も感じたが、実際銓衡 (選考) 者の中にヨーロッパ・コンプレックスと批判した人もいるらしい。
玄侑 宗久
「中陰の花」
★★★★第125回(2001年上半期)芥川賞受賞作。新聞でも時々エッセイを読んだ作者の僧侶としての立場を投影した内容。主人公の僧侶も超常現象には疑問を禁じ得ない立場で、仏教の様々なエレメントが科学的に説明できるとしている一方で、おがみやとその死を通して彼の思いは揺れるのだ。文体も内容も正統的で、個人的には読み応えが高い。
ジーン・シャープ
「独裁主義から民主主義へ」
★★★★無抵抗主義と似て非なる政治的抵抗。例えば、ストライキやボイコットなど枚挙にいとまがない。直接的な暴力に頼ると、独裁者に攻撃の口実を与え、あるいは仮に独裁者が倒れても別の独裁者を生む可能性が高い。アフリカの政権交代を見るとそれが正しいことが解る。政治的抵抗がうまく嵌ると、独裁者を倒すのは案外たやすい。短いパンフレットに近い著作なので、手に取りやすいと思う。
スタニスワフ・レム
「ソラリス」
★★★★二度本格的に映画化された、ポーランドのSF作家によるハードSF。タルコフスキー版がイメージに近いが、レムは宇宙生命とのコンタクトが目的であったので不興を覚えたらしい。生命か非生命か、人の思いを具現化できる力のある惑星ソラリスの “海” により、自分のミスで死に別れた恋人と再会した科学者の気持ちが胸を打つ。この部分をロマンスとして映画化したスティーヴン・ソダーバーグ版も当然レムの不興を買った。僕も愚かな大衆なので、主人公の思いにぐっと来てそこに面白味を感じる次第だが、生命や神をめぐる哲学的なアプローチも一読に価する。
アリス・ウォーカー
「カラーパープル」
★★★★★スピルバーグの映画版も悪くないが、小説の機微には及ばない。(本文中に出て来るベッシー・スミスの A Good Man Is Hard to Find が発表されるのは1928年。それより数年前から始まるので)1920年頃からスタートし、恐らく1940年頃(ヒロインの妹が乗る英国に向う船がドイツ軍に撃沈されたという噂がある)までのお話。人種差別と男尊女卑を当たり前と思っていたヒロインのセリーが、色々な人々の交流を経て、妹への肉親的愛は別として、愛を向ける対象が神から人へ変わる。後半主張が強くなりすぎて鼻白むところもあるものの、胸を打たれざるを得ない。
長嶋 有
「サイドカーに犬」
★★★★これも映画になっているが、すっかり見たことを忘れていた。狙いが不鮮明に感じた映画版と違って原作は非常に面白い。僕がゆっくり読んでも映画の半分もかからない時間で読めるので、狙いなど考える前に終わってしまう。語り手は、20年前10歳の時に母が家出していた間、父の愛人 “洋子さん” と過ごしたひと夏の冒険を綴る。芥川賞候補になったものの受賞には至らなかった作品だが、 “洋子さん” の豪快な性格が面白く、下の芥川賞受賞作より個人的には楽しめた。 “洋子さん” と括弧つきにしたのは、本文がそうなっているから。登場人物にさんを付けるほど常識外れではない。
「猛スピードで母は」
★★★第126回(2001年下半期)芥川賞受賞作。こちらもローティーンの少年が主人公だが、三人称による叙述という違いがある。但し、僕が映画用語として使う主観的三人称である。シングルマザーの母親が前述作の “洋子さん” の姉妹のように豪快な人物。どちらも訳あり家庭の子供たちがテーマだが、重くならないのは軽妙な文体のおかげだ。舞台は北海道。主人公が暮らすM市は紋別市、母親の両親が暮らすS市は士別市。小説の情報から地名は簡単に特定できるわけだから、ぼかす必要もなかったがなあ。
天藤 真
「大誘拐」
★★★★メーカーに務めていた時に僕がソ連絡みで関係のあった取引先ニチメン(本作映画版の共同製作者)から会社として何枚かチケットを買わされて当然僕は映画館まで観に行った。監督が岡本喜八だから、文句を言うには及ばなかったが、他の社員の心情は知りません。全く先例がないわけではないが、誘拐被害者(92歳の老婦人=日本有数の大富豪)が加害者とコンビを組むだけでなく、加害者を指導するというアイデアが非常に面白くかつ愉快。彼女を恩人と感じる県警本部長も事件解決ならずも名探偵ぶりを発揮している。
ホン・イン(虹 影)
「飢餓の娘」
★★★★★中国重鎮市に生れた作者の自伝的小説。1950年代末に起こり数年続いた中国の大飢饉の時に生れたヒロイン (即ち作者) は思春期後半に文化大革命時代の影を引きずる教師に思慕と軽蔑が入り混じるような複雑な心情を抱く。中国貧民窟のトイレ事情が多く描出されるのに、 彼女のロマンスと母親の不倫 (ヒロインはその相手の子供) という名のロマンスの二重奏が切なく響き合う。 大飢饉と文化大革命に対して直接的に批判するスタンスではないものの、即実的ながら物凄い迫力を持つ描写のうちに間違いなく非難の思いがある。英国に渡ったから書けたという部分はあるだろうが、中国でも部分的に削除はあるものの読めるらしい。
ジェイムズ・ホッグ
「悪の誘惑」
★★貴族を父とする兄と神父を父とする弟が一人の人物の介在によって対立を深めていき、殺人に発展していく。善悪を論点とした時、神父を父とする弟の方が悪魔めいているのが興味深いが、弟を魅惑する変幻自在の謎の人物は悪魔にちがいない。第一部を編者による客観的叙述、第二部を殺人犯による告白(という主観文章)、第三部がホッグ自身も絡んで来る編者が書いた文章、という具合に進む。一種のメタフィクションのゴシック・ホラー。ホッグなる作者の正体が一番の謎か?
假名垣 魯文
「西洋道中膝栗毛」
★★洋行をテーマに、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」を明治初めにパロディー化した戯作。横浜を出て香港やシンガポールなどで弥次喜多が珍道中を繰り広げる。句読点はないわ、通常ポイントの文章を補足する二行の文字が小さすぎて難儀する。文語だが、文章自体はそう難しくない。
モーリス・ルブラン
「813」(再)
★★★★小学5年生で夢中になったルパン・シリーズ(但し中学生向けくらいのもの)のうちこれは読んでいなかったので、中学生になって読んでみた。ところが、小学時代の感動がまるでないのである。理由は、一つ僕が甘いだけのロマンティシズムからやや脱しようとしていた時期であること、一つ訳が小学生向けであったこと、一つ大長編をある程度の長さにまとめたものであること、などであろう。今回は第一部と第二部を別冊にした小学高学年から中学生向けながら完全版なので、当時の印象と違ってぐっと面白い。実際これは結構評判の高かったもので、ミステリーのベスト100などを選ばせると結構入ったりする。ポー以来の数字やアルファベットに絡むトリックに加え、濃厚なロマンティシズムと冒険もの要素が加わる。やはりアルセーヌ・ルパンは、大デュマに連なる系列にあると思う。何と言っても、捜査陣のトップがルパンその人だったという人を食っている(ルパンでは珍しくもないのだが)。殺人はしないという主義のルパンが、結果的のものを含めて、三人を死に至らしめているのは残念。
「続813」(再)
★★★★続とあるが、厳密には第二部。ドイツ皇帝まで繰り出し“ちょっと風呂敷を広げ過ぎだろう”と序盤のうちは苦笑したが、犯人と愛する女性の謎が織り交ぜられた内容を最後まで読むうちにしっくりしてくる。ルブランの設計の鮮やかさと言うべきである。ルパン・シリーズは中学生向けくらいの訳が丁度良い。大人向けの訳は散文的すぎる気がする(ものが多い)。
近藤 芳美
「早春歌」
★★★歌集。この人の師匠の一人・土屋文明は母校(高校)の大先輩。この歌集の最初の句は高校の現国授業で習った記憶がある。昭和十年代の短歌が中心で、少女だった後の妻との交際や結婚後の夫婦の愛情交換ぶりを扱った歌が多い。舞台は満州で、夫婦の居場所の地理関係で理解に勘違いしていたところあり。
吉野 秀雄
「寒蝉集」
★★★地元西毛(西群馬)の歌人である。愛妻の死に絡む歌を大量に収める。後半は地元・群馬を離れて関西の古寺などを訪れて観照的に歌い、時折前年に亡くなった妻への思いが湧出するところにじーんとさせられる。基本的に「万葉集」へ傾倒が目立ち、奈良時代のような言葉遣いや雅語が多い。
ダニエル・パウル・シュレーバー
「ある神経病者の回想録」
★★★ドイツの控訴院の部長にまで上りつめながら、恐らく現在言う統合失調症で、神と通じていると信じ自分が脱男性化 (つまり女性化) すると信じた人物の回想記。これだけ論理的な文章を書く以上、調子が良い時期だったと思われるが、禁治産者扱いについてかつて自分が所属した控訴院で勝訴しながら、病気から抜け出すことは不可能だった。ドイツ人であるから聖母マリアから距離を置くプロテスタントと思われるが、神との関係を考えた時僕は彼がマリアに思いを馳せたように思う。その辺を指摘する人は誰もいないけれども。
レフ・トルストイ
「イヴァン・イリイチの死」
★★★★イヴァン・イリイチなる裁判官が亡くなる。これは第三者の立場から事実関係を綴るのが第一章で、第二章から本人の心情を三人称で綴る(つまりヘンリー・ジェイムズ式)という形式が映画的で秀逸。40代で難病にかかった主人公の死への恐怖が綴られるが、死が訪れる直前に自分の死で家族が救われるという思いに死の恐怖が消え去る。トルストイ流に言えば【死が終わる】のである。
フョードル・M・ドストエフスキー
「鰐」
★★★ユーモラス千万な不条理小説。カフカの「変身」に感触的に似ているが、もっと解りやすい。鰐に吞み込まれた男が鰐と共存することを決意する。その理屈がナンセンスで、自分は鰐の栄養で生きていると同時に鰐は彼によって生きている。正に不条理。
京極 夏彦
「姑獲鳥の夏」
★★★★★日本三奇書(ミステリー)に次ぐ奇書と言っても良いのではないか。実際衒学趣味は、小栗虫太郎「黒死館殺人事件」に量的に匹敵しようかと言っても良いもので、あちらの西洋文化蘊蓄に対して、こちらは日本民俗蘊蓄ぶりがなかなか凄い。探偵の多さも特徴で、鬱状態で事実上何の役にも立たない語り手も探偵役を担っているし、古書書店の店主にして現代の陰陽師・京極堂、一種の超能力者である私立探偵榎木津、京極堂の妹・敦子、そして公立探偵 (刑事) 木場である。それぞれに持ち味と得意分野があり、近年のプロ野球の分業制のような感じ。面白いのは、宗教家だからこそ霊魂を認めないという立場の京極堂で、その徹底的な論理性により一見非現実的な事件を解決してみせるのである。文章その他も古典趣味である。漢字の使いかたその他、昭和26年当時の雰囲気を大いに出しているが、時代考証的に言えば、当時はまだ一応刑事を探偵と呼ぶ習慣が残っていたらしいので、刑事が “探偵” を馬鹿にする発言は間違いではないが少しだけ違和感がある。せめて素人探偵くらいにした方が良かったかもしれない。1953年に公開されたアメリカの刑事映画「探偵物語」は必ずしも誤訳ではなかったのだ。姑獲鳥に “うぶめ” とルビを振ってあることにも意味があることが最後に判る。
野間 宏
「青年の環 第3巻:表と裏と表」
★★★★戦後書き始めた頃は作者自身をモデルにした市役所職員・矢花正行がやや主人公っぽく感じたが、20年近くたって再開したこの第3巻では恩を仇で返すような田口の悪行を暴き彼を破滅させることに奔走する大道出泉(だいどういずみ)に比重が傾いている感あり。田口は大道の出自と性病の過去をネタに恩のある一家を強請ろうとしていたらしいが、大道の調査の結果、田口は矢花が奔走している部落出身者ということを暴かれ、自らの計画を水泡に帰す。大道の心理が「失われた時を求めて」のように顕微鏡を覗くが如き感覚で綴られる。文庫本にすれば4000ページにもならんかという超大作を、今頃読むのは僕くらいなものか?
イーデン・フィルポッツ
「赤毛のレドメイン家」(再)
★★★大学生になりたての頃に読んだ。それ以来の再読で、登場人物自体がトリックとなっているのがこの時代のものでは案外珍しい? 別々に暮らすレドメイン家の三老人が次々と殺される事件を、現役刑事と元刑事の探偵というダブル探偵仕立てで読ませる。横溝正史などと違った形で片方が引き立て役になる。
ホレス・ウォルポール
「オトラント城」
★★★★ウォルポールが昔のイタリアの小説を翻訳したという体裁で当初発表した中世ロマンス。ゴシック小説の嚆矢とされている。城主の嫡子が結婚の直前に巨大な兜に潰されて死ぬという事件が起き、城主は后と別れて嫁と結婚しようと画策。その間に立つ聖職者や農民にしては教養のある若者、城主の娘などが絡んで波乱万丈の展開する。所謂ゴシック小説というより超常現象が絡むダーク・ファンタジーという感じで、そこへ小者をコメディ・リリーフとして繰り出して来る。
ジーン・リース
「サルガッソーの広い海」
★★★何と「ジェーン・エア」のパスティーシュ。狂人とされたロチェスター夫人の物語である。ジーン・リースは夫人同様西インド諸島出身のクレオール(現地で生まれ育った白人女性)。夫人の西インド諸島(現ドミニカ共和国ではないドミニカ島)時代を彼女自身の語りと、名前は一切出てこない白人男性(つまりロチェスター)の語りで綴る。簡単に言えば、ジーンは、自分たちが原住民にも本土の白人にも愛されない立場に怒っているのである。その象徴がロチェスター夫人であり、彼女の人生を借りてその怒りをぶつけている。ロチェスターの語りに解りにくいところがある。
アーサー・ゴールデン
「さゆり」
★★★★映画「SAYURI」の原作で、映画版は識者から色々事実誤認を指摘されていたが、小説は相当しっかりしている。いずれにしても、現在の日本人の多くはお座敷や芸者のことなど知らないのではないか。その意味でここに書かれた置屋のシチュエーションなど実に興味深い次第で、妹分を連れまわす説明など溝口健二「祇園囃子」を思い起こさせるところが随所にある。京言葉、舞妓や芸者の使う言葉の訳に腐心したことが伺われ、相当楽しく読んだ。
福永 武彦
「草の花」
★★★★福永武彦は中学生の頃短編集「夢見る少年の昼と夜」を読んで透明な文章の書き手と思った。しかし、彼の文章を読むのはそれ以来。これが出世作で、清新の文章という印象は変わらない。夏目漱石「こころ」に影響を受けたような構成で、 冒頭と最後の書き手は“私”だが、真の主人公は病院で肺結核手術中に死んだ汐見で、“私”に残された彼の手記が中核を成す。 そこには若者の愛と苦悩が書き綴られている。最近はこういうロマン主義のムードを持つ小説は見られなくなりましたね。
伊丹 十三
「ヨーロッパ退屈日記」
★★★★常連モカさんが紹介してくれた講演で内田樹が本書を戦後日本批判と看破しているが、その情報なしにそこまで読み取るのは無理。本書で取り上げられる映画は出演した「北京の55日」と「ロード・ジム」。個人的には後者を監督したリチャード・ブルックスの映画論が面白いが、ここで伊丹は欧州における米国人の妙な行動を取り上げることで米国人批判をやっているように読める。内田の指摘がなくてもぎりぎり理解できたか否かという微妙なところ。車や飲食の蘊蓄が多く、一般人は洒脱なエッセイとして読めばよいだろう。 本書によって “随筆” に代わって “エッセイ” という言葉が広まったとかしなかったとか。
川端 康成
「水晶幻想」
★★★1930年代に書かれた短編で、どうもジェームズ・ジョイスばりの“意識の流れ”を真似たらしいことが伺える。三十代くらいの既婚女性の心理を綴ったもので、内容的には戦後のマルグリット・デュラスを思い起こさせたりもする。プルースト「失われた時を求めて」等、大体この手はお話の起伏には関心がないので、その観点で読むと退屈する。僕は中間くらいを行くので、退屈もしないが、感激するほどでもない。
ドロシー・L・セイヤーズ
「ナイン・テイラーズ」
★★★英国の地方で、頭と両手のない死体が既に別人が埋められている墓穴から発見される。彼は誰で、誰が殺し、どういう事情でそこに埋められたのか。戦前の英国ミステリーの傑作として名高いが、日本人には全くピンと来ない9つの鐘をめぐって極めて衒学的なので、大いに読み手を選ぶ。京極夏彦に似て、神秘主義的な謎を現実の視点で切り崩していく手法ながら、彼ほどには通俗的趣向を張り巡らせない。テイラーは teller の訛りらしく、鐘のこと。
室生 犀星
「杏っ子」
★★★★犀星の自伝的小説。本人以外の文学者は、芥川龍之介、菊池寛、佐藤春夫など、実名で登場する。本人と娘(室生朝子)が実名でないのは対象として相対化すること、実話以外の要素を加える目的があるからだろう。犀星その人である主人公の詩人にして作家は豪胆であり、自ずと文章も豪胆、読み応えがある。前半の関東大震災での騒動など具体的で面白く、後半はうって変わって戦後長女と次男の失敗に終わる結婚模様。長女の小説家志願の夫は大した才能もない癖に義父に対抗意識を燃やし酒に溺れるが、彼女はなかなか別れることが出来ない。主人公は息子のドライすぎる妻への評価が高いが、僕は長女を人間的に買う。我慢強かったからではない。自己を確立していると思えたからである。僕は幻想映画館で、この杏子に香川京子を配した。実際の映画化でも香川京子であった。僕の頭の中では主人公は佐分利信だが、実際は山村聰。
プルタルコス
「プルターク英雄伝:キモーン/ルークッルス」
★プルタルコスは高潔な人が好きなので、ギリシャの将軍・政治家キモーンのほうを人間として買うのは例の通り。しかし、軍人・政治家としては甲乙つけがたいとする。戦闘については相変わらず、解りにくい。
「プルターク英雄伝:ニーキアース/クラッスス」
★★高校でちゃんと世界史を習った人にはお馴染みのクラッススが出て来てほんの少し面白味が出て来る。三頭政治を構成する一人で、他の二人はカエサルとポンペイウス。思い出したでしょう? しかし、プルタルコスによれば、ニーキアースもクラッススも軍人としては成功したと言えないらしい。特にクラッススへの評価が厳しい。映画ファンには「スパルタクス」でお馴染みだろう。
この記事へのコメント
「鰐」
これ、おもしろそうなので読んでみたいです。
ドストエフスキー、好きなのですよ。
読んだ数は少ないのですが、登場人物の描き方や場面の見方がユーモラスで、基本的に劇中の人物に向ける視線にあたたかみがあるのですよね。
>藤沢周平 「暗殺の年輪」
昔10冊ほどは読んだのですが、その後本は全部寄付してしまいました。
亡父の遺品整理の折に何冊かは手元に持って帰りましたが手つかずで放置状態です。
(同じようなものも読んでたんだ、と苦笑い…ついでに寝床周りの本の山を見て親子じゃのうと苦笑いでした。)
アマゾンでざっと検索してみて記憶に残っているものを挙げてみますと、 「蝉しぐれ」「花のあと」「玄鳥」「用心棒日月抄」
この辺はモカ好みです。
それに今回の「暗殺の年輪」
「たそがれ清兵衛」は今更感があり未読ですが、父の本があるのでまた気が向いたら読んでみます。
藤沢周平を読むと何というか…こう…背筋が伸びる感があります。
ちなみに「野間宏」は父も読んでいたようですが、私の残り時間を鑑みて(笑) 断念します。
>イーデン・フィルポッツ 「赤毛のレドメイン家」
私も何十年ぶりかで再読を試みましたが、「え~っ、こんなに面白くなかったか?」となってしまいました。クイーンやヴァンダインに比べるとなんだか緩い・・・いや、クイーンもヴァンダインも今読んだらどうなんだろう?
確かフィルポッツってクリスティーのご近所在住のご隠居さんだったとか? 違いましたかね?
>フョードル・M・ドストエフスキー 「鰐」
鰐は魚ではありませんが「魚の体内に入る」というモチーフは旧約聖書のヨナ記からきているんじゃないでしょうか?
「ピノキオ」なんかは正にそうだと思います。
本作は帝政ロシアの官僚主義の中で(飲み込まれた中で)しか生きられないと思い込んだ人間、生きてるんだか死んでるんだか分らん状態の人間を揶揄しているように思われますがいかがでしょう?
>ホン・イン(虹 影)「飢餓の娘」
高評価、うれしいです! 再読したいのですが、貸した友人が関東地方の友人にまた貸したようで返ってきません。 評価が高かったゆえの事とあきらめました。
(トイレの描写や川を流れてくるゴミのようなものを食べるシーンとか描写はストレートなんですが中国独特の露悪趣味は全くなかったですね。
もっと読まれてもいい本だと思うのですが、タイトルがあまりひきつけないのかなぁ・・・今更アマゾンにレビューを書いても遅いですしね。)
重慶市は「長江哀歌」の舞台に近い(もうちょっと川下にあの武漢がある)のを思い出して映画をみたくなりました。
「姑獲鳥の夏」が★5つ!
高評価に私も嬉しく思います。
初めて読んだ時は本当に衝撃を受けた作品です。
次作「魍魎の匣」も大好きです。
ページ数が多く衒学も多いシリーズですが、ぜひ集大成と言える5作目「絡新婦の理」まで読んで頂きたいです。
モーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン」シリーズも好きです。
マイベストは「カリオストロ伯爵夫人」です。
それと関連して、宮崎駿のアニメ「ルパン三世 カリオストロの城」も大好きですね。
「ソラリス」も難解ながら、原作もタルコフスキーの映画版も魅力的でした。
スタニスワフ・レムの映画化では、他に「金星ロケット発進す」「イカリエ-XB1」を観ましたが、どちらも結構好きでしたね。
>>フョードル・M・ドストエフスキー
>>「鰐」
>これ、おもしろそうなので読んでみたいです。
面白いですし、長くないので、良いですよ。
ドストエフスキーは年を重ねるに従って長くかつ深刻になっていきますが、初期は本当に手に取りやすい。
>>藤沢周平
>「蝉しぐれ」「花のあと」「玄鳥」「用心棒日月抄」
>この辺はモカ好みです。
最初の二つは映画になっていますね。それだけでもモカさんのセンスが伺えますよ。
>藤沢周平を読むと何というか…こう…背筋が伸びる感があります。
そう思いますね。また、読んでみます。
>ちなみに「野間宏」は父も読んでいたようですが、私の残り時間を鑑みて(笑) 断念します。
「青年の環」は勿論、「真空地帯」も決して短くない。
>>イーデン・フィルポッツ 「赤毛のレドメイン家」
>私も何十年ぶりかで再読を試みましたが、「え~っ、こんなに面白くなかったか?」となってしまいました。
戦前の本格探偵小説全盛期の作品は、概してそんな感じがあります。
>確かフィルポッツってクリスティーのご近所在住のご隠居さんだったとか?
そうらしいです。
娘への性的虐待を彼女が発表して以降、作家として干されたらしい(死後なのに)。僕は性格と果実は別に考えますが。
性的虐待が著名人には一番致命的みたいですね。殺人のほうがまだ良いような感じです。
>>フョードル・M・ドストエフスキー 「鰐」
>鰐は魚ではありませんが「魚の体内に入る」というモチーフは旧約聖書のヨナ記からきているんじゃないでしょうか?
それは否定できませんね。
>本作は帝政ロシアの官僚主義の中で(飲み込まれた中で)しか生きられないと思い込んだ人間、生きてるんだか死んでるんだか分らん状態の人間を揶揄
そんなところだと思います。敢えて狙いにつては触れませんでしたが。
>>ホン・イン(虹 影)「飢餓の娘」
>高評価、うれしいです!
忖度ではありませんよ。本当に素晴らしかった。
>もっと読まれてもいい本だと思うのですが、タイトルがあまりひきつけないのかなぁ
そうかもしれませんねえ。
僕はこのタイトルには惹かれますけど。
>重慶市は「長江哀歌」の舞台に近い
重慶は、甥の細君の出身地です。彼女は度し難いほど気が強くて極端な態度を取るので、彼はかなり困っているらしい。
それはともかく、「長江哀歌」は見事でしたねえ。
>「姑獲鳥の夏」が★5つ!
抜群でした。
やはりミステリーは今のものほうが面白いのでは?
>ぜひ集大成と言える5作目「絡新婦の理」まで読んで頂きたいです。
言われるまでもなく^^v
>モーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン」シリーズも好きです。
>マイベストは「カリオストロ伯爵夫人」です。
本当ですか!?
嬉しいですねえ。このシリーズを読んでなければ、僕は読書好きになっていなかったでしょう。
僕のベストも「カリオストロ伯爵夫人」です。僕が読んでそう思ったのは、
池田宣政(南洋一郎の別名義)訳で、タイトルは「七つの星の謎」でしたが、これにはワクワクしましたねえ。
>宮崎駿のアニメ「ルパン三世 カリオストロの城」も大好きですね。
ルパンが結婚したクラリスと同じ名を持つ少女が出てきますしねえ。彼女の名前は一時忘れていましたが、僕の初恋の人ですね^^
>「ソラリス」も難解ながら、原作もタルコフスキーの映画版も魅力的でした。
原作者がけなしたからと言って、映画版について、読者まして映画ファンはそれに同調する必要はないと思いますね。
天藤真の「大誘拐」について、コメントしたいと思います。
まず誘拐という悲惨になりがちな犯罪が、ここまでユーモアたっぷりに描かれているのは凄いですね。
和歌山の一地方で起きた事件は、テレビ中継によって全国、全世界に知れ渡り、国会で討論され、最終的には米軍まで巻き込んでしまいます。
虹の童子の強気の要求に、和歌山県警の井刈本部長が負けじと挑戦。
その挑戦に、虹の童子がさらに意表をつくようなことを言い出すというやり取りも面白いですし、テレビ局や警察を出し抜く場面も最高ですね。
本当にワクワクしてしまいます。内容的にも色々と工夫されていて全く飽きさせません。
人物造形も素晴らしいですね。誘拐犯の3人組の抜け加減も憎めないのですが、何と言っても、とし子刀自のキャラクターが最高ですね。
普段は皆に慕われている、優しいおばあちゃんのとし子刀自ですが、頭の良さとしたたかさも持ち合わせており、しかも長い人生を生きているだけに酸いも甘いもかみ分けています。
誘拐されている身でありながら、誘拐犯たちに知恵を貸し、5000万円の身代金は少なすぎる、末代までの恥だと言って怒り、「犯人からの要求状」も代筆しています。
3人と、とし子刀自の連携プレーも絶妙。そして、ジェラルミンケース67個分にもなる100億円をどうやって受け取るかというのが、物語のクライマックスになっていますね。
とし子刀自が、なぜ身代金を100億にしたのかというのも読みどころです。
結局、誰も不幸にならず、損もせず、本当の意味での悪役は不在でした。
ほのぼのとした暖かい雰囲気で安心して読める作品で、とても清々しい気分にさせてくれますね。
>「千夜千冊」の松岡正剛の逝去が残念
当地の新聞では石川好と並んで訃報記事が出ていました。
気骨ある先輩が次々とあちらの世界に旅立っていかれて寂しい限りです。
石川好は「ストロベリーロード」シリーズが面白かったです。
千夜千冊
単発で読むことはありましたがインデックスを順にちゃんと見たことがなかったので追悼の意を込めてみていくことにしましたが、アチャ~
あきませんわ・・・歯が立ちません・・・日暮れて道遠しです。
今頃気が付いたかと笑われそうですが、そもそもこういう人とは人間の出来が違うと痛感した次第です。
でも100冊に1冊くらいの割合で私の好きな本をとってもチャーミングに紹介してくれていて心が和みました。
例えば 「あしながおじさん」「犬のことば辞典」(きたやまようこ)
「見物記」(みうらじゅん&いとうせいこう)「夫婦善哉」
「全国アホバカ分布図」(松本修)「放浪記」 植草甚一 尾崎翠 e.c.t
可笑しかったのがフォースターで、松岡氏の書いてることがまるで分らず白旗上げて撤退したんですが、城山三郎「もう、きみには頼まない」を読んだら「わかる」「わからない」に関して一寸釘を刺されていて老婆の頭は大混乱でした。
先生、お時間あればかみ砕いて解説願います。
ジャン・ジュネ 「泥棒日記」
これは良かったです。 コクトーやサルトルがなんと言おうがお構いなしでジュネの本質を見抜いていて、すごいなぁと感服しました。
あと、昔懐かしの「不思議の国のトムキンス」 岡潔 「春宵十話」
「銃・病原菌・鉄」もありましたね。
それから私の好きな書評家、斎藤美奈子の「本の本」を取り上げて褒めていたのは我がことのように嬉しいです。
紹介されていたなかで今後読みたいのは田中貴子、西部邁かな・・
正剛セレクションはエンタメ系は少ないし難し気なのが大半ですしね。
北一輝とかも気になりますが、また「わからん」とか言いいそうで無暗と 手出しするのは禁物ですね。
>天藤真の「大誘拐」
誘拐された方が、誘拐犯を指導するというアイデアが面白かったですね。
刀自が物凄い頭脳の持ち主で・・・
映画版ももう一度観ましょう。
>石川好は「ストロベリーロード」シリーズが面白かったです。
この辺りは疎いので読んでみようと思います。
>先生、お時間あればかみ砕いて解説願います。
何という無理難題を(笑)
フォースターは「インドへの道」を読んでいたので、何となく解りますが、城山三郎「もう、きみには頼まない」は未読。
何ともならないような気がするなあ(笑)
>ジャン・ジュネ 「泥棒日記」
近日中に読むこと決定。氏の文章も読みまする。
>正剛セレクションはエンタメ系は少ないし難し気なのが大半ですしね。
そうですね。
下手に手を出さないほうが無難かもしれません。
モカさんが触れていた本で読んでいない作者・作品はなるべく読んでみます。
>フォースターは「インドへの道」を読んでいたので、何となく解りますが、城山三郎「もう、きみには頼まない」は未読。
言葉足らずでした。すいません。
フォースターの「インドへの道」が取り上げられていますが、作品自体というよりは松岡氏のフォースター論のようなものが、私には何を言わんとしておられるのか「分からな」かったのです。
「さっぱり分からへん・・・」と思って他の読んだことのある作家を探したら城山三郎がでてきました。そこで取り上げている作品の事ではなくて前振り?前説?で「分かりやすい」と「分かりにくい」はどちらもすべてを台無しにする反応である、と。「分かりやすければよいというもんではない」ということだとは思うのですが・・・ 厳しいなぁ・・・ (T_T)
お願いは城山三郎は関係なくて松岡氏の「フォースター論」は簡単にいえばこういうことが書いてあるんとちゃいますか~と教えてほしいのであります。よろしく <(_ _)>
>ジャン・ジュネ 「泥棒日記」
近日中に読むこと決定。氏の文章も読みまする。
本って読みたいと思った時が「読み時」なので人様の読書計画をとやかく言う筋合いうはないのですが、無理しないでくださいね。
ジュネなんて無理して読んだらろくな事ないですよ。
「泥棒日記」は新訳も出ていないようですし。
しかし1960年代はちょっとしたジュネブームだったようです。
夫所有のジャンジュネ全集をだしてきたら1967年5月初版で翌68年10月には4刷になっています。こんな密かに隠れて読む?ような本が1年半で4回増販してたんですよ。
ちょっと本を開いてみますとね・・最初の一行が
徒刑囚の服は薔薇色と白の縞になっている。
わぁ~懐かしい! 掴みが最高ですな (笑)
若気の至りで言葉に酔って読んでいたようです。
>松岡氏のフォースター論のようなものが
城山三郎との関連を含めて、大体がところは掴めていましたが、確かに把握しにくいところはありました。
うまく出来ればやってみますが、出来そうもなければ放置新聞ということでヨロシクです^^
>「泥棒日記」は新訳も出ていないようですし。
「花のノートルダム」を読んでいますから大丈夫と思いますが、あれは新訳だったかな?
無理はしませんがね^^
>夫所有のジャンジュネ全集
ローリング・ストーンズを聴き、ジュネを読む。格好良いですね!