映画評「モンパルナスの夜」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1933年フランス映画 監督ジュリアン・デュヴィヴィエ
ネタバレあり

先週ジャン・ルノワールの「十字路の夜」(1932年)なる日本未公開作品を観た。かの作品はフランスのフィルム・ノワールの嚆矢であると言われ、ジョルジュ・シムノンの生んだメグレ警視が初めてスクリーンに現れた作品である。
 かの作品をプライム・ビデオで探す時にちょっとこの作品が目に入り、1980年代に一度観ているが、同じようにメグレ警視を主人公にしたミステリーである為、ジュリアン・デュヴィヴィエとルノワールの演出の違いを確認してみようかと思って選んでみた。

原作は日本では断然有名な「男の首」。

少し知恵の足りないような中年ウルタン(アレクサンドル・リニョール)がチェコ移民の医者崩れラデック(ヴァレリー・インキジノフ)の言うがままに大金を得ようと、フランス系米国人の老婦人の家に入ると、彼女は死んでいて、ラデックが後始末をするからと言うのに従って、その血の付いた手と靴の痕を部屋に残したまま去る。
 それがまるで嘘であったために手もなくウルタンは逮捕されるが、事件を指揮するメグレ警視(アリ・ボール)は男が従犯に過ぎないと見て、移送する最中に車が故障したふりをして逃げろという主犯が書いたと見せかけたメモまで用意して故意に脱走させる。
 警視は、彼を追跡監視するうちにさる飲食店の窓越しにウルタンが注視する男即ちラデックを発見する。そこからラデックは殺害の実行犯であり、老婦人の財産を狙って彼女の殺人を示唆したのは甥のウィリー(ガストン・ジャケ)であることを突き止める。

「男の首」は何年か前に読んだが、既に忘却の彼方。ウィキペディア日本版の余りに手抜きの梗概を読む限り、原作はもっと大胆に見える。映画は倒叙ものと言って良いから、本格推理的に見ると当てが外れる可能性が高い。

デュヴィヴィエはやはり情緒と詩情の人で、自然主義のルノワールが即実的に物凄いスピードで展開するのとは違う。捜査過程におけるシークエンスの切り替えは色々なアングルからのワイプで行い、得意のスクリーン・プロセスを使って登場人物の感情を描出する。メグレの捜査方法の面白味やお話の妙味を味わいたいならルノワールより断然こちらをお薦めする。

演出としては既に述べたようにワイプでシークエンスを繋いでいく手法が目立つが、もっと個別には、ウルタンを逃がす前の移送中の会話を全て画面外の声で通すアイデアが面白い。カメラが自動車の流れる窓外を延々と写し、車内で会話が進むのである。事前に屋外の自由という空気感を醸成しようとしたのかもしれない。

ジェラール・フィリップが画家モディリアニに扮した伝記映画のタイトルは「モンパルナスの灯」。紛らわしいですな。

この記事へのコメント

モカ
2024年06月19日 18:54
「モンパルナスの灯」
アヌーク・エーメが亡くなりましたね。先日のフランソワーズ・アルディに続いて、若き日の憧れの人がまた亡くなってしまいました。
オカピー
2024年06月19日 22:28
モカさん、こんにちは。

>「モンパルナスの灯」

本文でタイトルを間違えていたので直しました^^;
投稿前に確認したのですけど、違っていました。おかしいなあ。

>アヌーク・エーメが亡くなりましたね。先日のフランソワーズ・アルディに続いて

1940年代から映画に出られた方で、「男と女」シリーズの最新作で見ても余り老け込んでいない印象がありました。
年齢を考えるとしようがないんですが。

フランソワーズ・アルディは80歳。
「わたしのフランソワーズ」という歌を書いた松任谷由実もがっかりしていることでしょう。

合掌!