映画評「六月十三日の夜」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1932年アメリカ映画 監督スティーヴン・ロバーツ
ネタバレあり

古くても定評のある名作ならそれなりに観る人がいるだろうが、1936年に40歳で亡くなった才人スティーヴン・ロバーツが長生きしていればジョン・フォードやウィリアム・ワイラーのような有名監督になっていたであろうし、本作など傑作としてもっと見られることになったに違いない。
 当時の観客になったつもりでハンディを考慮して☆★を付けたので、高評価に余り期待して貰っても困るのだが、よく出来た映画である。

二人の新聞配りの少年の話から始まる導入部からして快調で、少年の説明に導かれて壁や生垣のみで遮られた4軒の住宅に住む四家庭が紹介されていく。「アンナ・カレーニナ」風に言えばそれぞれの家にそれなりの苦悩がある。その中で本作の主題となるのがカリー家の夫婦関係である。即ち、
 有望なピアニストだったのに交通事故で将来を奪われ精神を病んでいるエルナ(エイドリアン・アレン)が、夫ジョン(クライヴ・ブルック)と隣家の美人トルーディ(ライラ・リー)との仲を邪推し、その帰宅間際の6時30分頃に拳銃自殺を遂げる。
 帰宅したジョンは妻の死体に驚き思わず拳銃に触れ、トルーディの迷惑になるのを避ける為に彼女の遺書を焼却してしまう。
 彼は7時10分の列車で帰宅したと尋問に答えるが、裁判で隣家の人々は午後6時10分の列車から降りるのを撃、あるいは6時半頃家に入っていくのを目撃したと証言する。

単純な誤認もあるが、証言者の多くが自分に不都合な情報を隠す為に嘘をついていることを観客は知っている。
 例えば、トルーディの弟ハーバート(ジーン・レイモンド)は母親に逆らって隣家の娘ジンジャー(フランシス・ディー)とこっそり結婚したので真相を話すことが出来ない。主婦メイジーは酒飲みの義父(チャーリー・グレイプウィン)と仲が悪く、まして禁酒グループに入っているので、彼の悪友が酒を持って義父を訪れたことを黙っている。ジョンと思われたのは実はこの悪友だ。
 しかるに、他所の町に移っていたがジンジャーの連絡で駆けつけたトルーディが、あるいは酒飲み爺さんが、今までの証言を覆す証言をする。しかし、検事も粘るのである。さて、この後審理はどうなっていくか。

単なる家庭の問題を描く小市民映画かと思っていると、突然法廷ミステリーに早変わりする。事前にそれを予想させる字幕があるとはいうものの(列車の汽笛と時計の針=午後6時10分=を丹念に重ねているので、後段に意味を成してくるだろうと僕は見当を付けた)、それでも意外な展開に驚く。
 そして、それまで丹念に紹介されてきた家庭の問題が一々裁判に関わって来るわけで、脚本の出来栄えに大いに感心させられる。1932年と言えば、日本ではまだサイレント期ですぞ。

前の証言者の言葉を次の場面の証言者が引き継ぐというアイデアは当時としてはなかなか画期的だったのではないか、と思う。

英語版の Wikipedia を見ると、ロバーツの代表作から本作と「或る日曜日の午後」という二大傑作が抜けている。センスないの。確かに「或る日曜日の午後」は現在観ると、面白味が伝わりにくいと思うけれど。

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