映画評「バカ塗りの娘」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2023年日本映画 監督・鶴岡慧子
ネタバレあり
青森県のご当地映画のようになりかねない要素があるけれども、そうはなっていない。
青森の伝統工芸 “津軽塗” は丹念(バカ丁寧)に幾層にも塗り重ねるのでバカ塗りと俗に言うらしいのだが、職人の数が減って来たその伝統を継続するのは並大抵ではない。
青木家の現当主(小林薫)は、期待していた息子ユウ(坂東隆汰)が家業を継がないと宣言した為諦めムードを禁じ得ない。ぼんやりとしていてアルバイト先のスーパーでも失敗の多い娘・美也子(堀田真由)が退職した後、兄ユウと同性結婚する為に英国に行くという恋人、花屋の鈴木君(宮田俊哉)に連れられて一緒に入った廃校に置きっ放しになっているピアノを発見して天啓を受け、市役所の許可を取ると、父の手伝いをしていた時に憶えた技術をピアノ改装に投入、病気に倒れるほど根をつめて、遂に完成させる。
その完成ぶりは見事で、外国にまで運ばれて紹介されることになる。
謂わば、 サクセス・ストーリーとホーム・ドラマとを上手く絡み合わせた佳作。 Allcinemaの最新の投稿者が仰るように真面目すぎるという印象が強いけれども、登場人物の心境を探るのがなかなか面白い映画ではないかと思う。
そのキーワードは伝統を守ることと保守である。
伝統を守ること=保守であるが、 古臭い人間に見えるヒロインの父も離婚して出て行った母(片岡礼子)もそうではない。二人は実は似た者同士で、“女の子に漆は無理”という観点で共通するものがある。 一見保守的にすぎる言葉だが、 実はそうでなくて伝統を守り続けることの難しさを知っているが故の親心なのである。
どうして二人が過度の保守主義者ではないと言えるのか? それは息子の同性結婚については達観していることが伺えるからである。父親が息子がその話をしてきた時に怒るのは、家業を継がないこととそれに絡めて自分の “家族” 発言を否定したことに対してであることが容易に伺われる。そんな父も娘の根の詰め方にやがて感心して完成した作品を見に来る。
先の当主である美也子の祖父(坂本長利)が死んで、その通夜に家族一同が久しぶりに集まり、わだかまりが一掃される。その後の成功譚の描き方は少々煩い感じがなくもないが、なかなか気持ちの良いエンディングではないだろうか。
兄の同性婚の話が必要だったかどうかが映画を評する上で重要なトピックになり得るが、上述したように、とりわけ父親の保守性を測るツールとして必要だったと僕は思う。これがあって真に伝統を守ること(保守)の意味が明らかにされよう。真の保守は余りに急でなければ変化を認めるのである。
世間で保守と言われる人は、実際には保守なのではなく、単なる国家主義者だったり全体主義者だったりする。大学や学者を国家の言うなりにしようとする姿勢が見えるが、こんなことをしていると日本は益々弱い国になる。短期的にはプラスになっても長期的にはマイナスになる。彼らは基礎学問よりすぐに結果の出るものを、あるいは文系より理系を重んじる。大発明・大発見は基礎の積み重ねから生まれ、海外のビジネスマンと話をする時に哲学や文学を知らないと馬鹿にされる。
2023年日本映画 監督・鶴岡慧子
ネタバレあり
青森県のご当地映画のようになりかねない要素があるけれども、そうはなっていない。
青森の伝統工芸 “津軽塗” は丹念(バカ丁寧)に幾層にも塗り重ねるのでバカ塗りと俗に言うらしいのだが、職人の数が減って来たその伝統を継続するのは並大抵ではない。
青木家の現当主(小林薫)は、期待していた息子ユウ(坂東隆汰)が家業を継がないと宣言した為諦めムードを禁じ得ない。ぼんやりとしていてアルバイト先のスーパーでも失敗の多い娘・美也子(堀田真由)が退職した後、兄ユウと同性結婚する為に英国に行くという恋人、花屋の鈴木君(宮田俊哉)に連れられて一緒に入った廃校に置きっ放しになっているピアノを発見して天啓を受け、市役所の許可を取ると、父の手伝いをしていた時に憶えた技術をピアノ改装に投入、病気に倒れるほど根をつめて、遂に完成させる。
その完成ぶりは見事で、外国にまで運ばれて紹介されることになる。
謂わば、 サクセス・ストーリーとホーム・ドラマとを上手く絡み合わせた佳作。 Allcinemaの最新の投稿者が仰るように真面目すぎるという印象が強いけれども、登場人物の心境を探るのがなかなか面白い映画ではないかと思う。
そのキーワードは伝統を守ることと保守である。
伝統を守ること=保守であるが、 古臭い人間に見えるヒロインの父も離婚して出て行った母(片岡礼子)もそうではない。二人は実は似た者同士で、“女の子に漆は無理”という観点で共通するものがある。 一見保守的にすぎる言葉だが、 実はそうでなくて伝統を守り続けることの難しさを知っているが故の親心なのである。
どうして二人が過度の保守主義者ではないと言えるのか? それは息子の同性結婚については達観していることが伺えるからである。父親が息子がその話をしてきた時に怒るのは、家業を継がないこととそれに絡めて自分の “家族” 発言を否定したことに対してであることが容易に伺われる。そんな父も娘の根の詰め方にやがて感心して完成した作品を見に来る。
先の当主である美也子の祖父(坂本長利)が死んで、その通夜に家族一同が久しぶりに集まり、わだかまりが一掃される。その後の成功譚の描き方は少々煩い感じがなくもないが、なかなか気持ちの良いエンディングではないだろうか。
兄の同性婚の話が必要だったかどうかが映画を評する上で重要なトピックになり得るが、上述したように、とりわけ父親の保守性を測るツールとして必要だったと僕は思う。これがあって真に伝統を守ること(保守)の意味が明らかにされよう。真の保守は余りに急でなければ変化を認めるのである。
世間で保守と言われる人は、実際には保守なのではなく、単なる国家主義者だったり全体主義者だったりする。大学や学者を国家の言うなりにしようとする姿勢が見えるが、こんなことをしていると日本は益々弱い国になる。短期的にはプラスになっても長期的にはマイナスになる。彼らは基礎学問よりすぐに結果の出るものを、あるいは文系より理系を重んじる。大発明・大発見は基礎の積み重ねから生まれ、海外のビジネスマンと話をする時に哲学や文学を知らないと馬鹿にされる。
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