映画評「ランジュ氏の犯罪」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1936年フランス映画 監督ジャン・ルノワール
ネタバレあり

プライム・ビデオにジャン・ルノワールの未鑑賞作品が幾つかあるので、ぼつぼつ観ている。

十字路の夜」と同様にフィルム・ノワールと思って観始めたが、ジャンルとしてのフィルム・ノワールではなかった。

若い男と年上と見られる女のカップルが国境近くのイン(イギリスによくある宿屋兼飲食店)にやって来る。飲食している男たちが新聞が報道している逃走犯ととその情婦ではないかと話していると、女ヴァランティーヌ(フロレル)がその通りと言って、殺人犯ランジュ氏(ルネ・ルフェーヴル)が犯行を起こすまでの経緯を語って聞かせる。という形で本章が始まる。

ランジュは雑誌に連続西部小説を書いている作家で、投機的に出版社をやっているバタラ(ジュール・ベリー)に一応認められて契約するが、勝手に文章が帰られるなどして不満を覚えている。
 バタラは女癖も悪く、秘書エディット(イザベル・バタイユ)を情婦とするだけでは済まず、洗濯屋のマダムである語り部ヴァランティーヌとも昵懇だったことがあり、そこで働くおぼこ娘エステル(ナディヤ・シビルスカヤ)にも手を出してい、経営難に陥って逃げた後その妊娠が判明、彼女の恋人で、出版社がありランジュが暮らす建物の管理人の息子を悲嘆させる。
 経営者不在の中ランジュなどが奮闘して出版社を軌道に乗せると、列車事故で死んだとされたバタラが列車で知り合った神父のいでたちで現れ、会社は自分のものだと主張する。周囲が宴会で浮かれる中ランジュは相手から奪った銃で一発撃つと、相手は倒れる。

この時はまだ絶命していないが、人々がパーティーに浮かれて泥酔者の救命の声を無視した為に間もなく死ぬ。カメラが泥酔者を追って360度回ってその前後を見せるところが圧巻。

かくしてヴァランティーヌに伴われてランジュはこの国境地帯にやって来たのである。そして、彼女は(突き出すか否かの)判断はあなた方に任せると言い、男たちは “無罪” とばかりに二人を自由にする。

自由を尊重するルノワールらしい幕切れであるが、狂騒のうちに人間存在の卑小を見せていく手法にこそ「ゲームの規則」(1939年)を頂点とするルノワールの映画哲学がよく発揮され、「ゲームの規則」ほど鮮やかではないが、ニコニコさせられてしまう。

万人受けするジュリアン・デュヴィヴィエに比べて、ルノワールは気取っていないが大衆には高尚にすぎる向きがあるので日本での公開が限られたのだろう。

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