映画評「狙われた男」(1956年)

☆☆☆(6点/10点満点中)
1956年日本映画 監督・中平康
ネタバレあり

三日前に取り上げた「犯人は21番に住む」に倣って言えば、「犯人は銀座に住む」の巻。あの映画に似て、こちらも狭いコミュニティの中に犯人がいる。

銀座の雑居街でビルの三階にある美容院のマダムが殺される。内藤武敏の刑事が聞き込みに界隈を歴訪する。この行動によって、美容院と同じ側に位置するバーの雇われマダム南寿美子の弟・牧真介が過失致死の服役から出所したばかりと知れ渡り、町民から容疑者扱いを受けるだけでなく仕事にも付けない。

前科者の社会復帰はいずれの時代も問題で、人権意識が高まった現在では当時よりは大分良くなってはいると思う。保護司を殺してしまうような輩が出て来ると他の前科者が迷惑を被るのは目に見えている。

閑話休題。
 美容院マダムの娘・天路圭子は、事件の前夜母親が向い側ビルの二階にある商社で起きた事件を目撃したと刑事に語る。アルフレッド・ヒッチコック監督「裏窓」の世界である。かの傑作は本作製作の1年前1955年に公開されているから、脚本を書いた新藤兼人は参考にしましたな。
 牧青年は、姉からその商社の社長市村俊幸らが片目の男を連れ出して去るのを目撃した、と聞いた後、何者かに襲われる。暫くしてそ片目の男の死体が浮かび上がる。何故か市村は関西に移転すると言って、懸想しているバー・マダムを誘う。
 かくして犯人の見当を付けた牧が相手と対決することになる。

「犯人は21番に住む」が夫婦がそれぞれ独自に犯人に近づくのに似て、こちらも警察と容疑者が別々に真犯人に接近する。
 早い段階で犯人と殺害理由が想像され方向づけられる倒叙ミステリーとしてはなまなかなのだが、容疑者が身の潔白を明かす為に頭を捻り危険に遭遇し、最後に真犯人と対峙するというサスペンスとしてはコンパクトに楽しめる。主人公と警察との関係をもう少し密に描いていれば小傑作になったのではないだろうか。

これがデビュー作の中平康は、ヒッチコックばりに空撮から入り、やや俯瞰の状態で小ビル群が向かい合っている路地を捉え続け、天路圭子が母親の死体を発見して驚きの声をあげるまでの経緯を死体を見せることなく堂々たるタッチで撮っている。彼女をすぐに追ったりはせずに、ここで大体の建物のロケーションを説明し、さらに後段で逆方向からも見せている。ヒッチコック的アイデアである。
 社会復帰の難しさを重要視してしまうと、かかるスリラーならではのカメラワークを見るのがおざなりになってしまう。この映画で真の主役は建物であり、真に良いのはカメラである。次作「狂った果実」のシャープな感覚は偶然生まれたものではない。
 主人公の主観と見られるダッチ・アングルもある。この間客観描写と見えるダッチ・アングルも実は多く主観的客観ショットではないかと先日気付いた。この映画のダッチ・アングルはそれを証明していないだろうか?

銀座にもこんな風景があったんだねえ。

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