映画評「親密さ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2013年日本映画 監督・濱口竜介
ネタバレあり
長くても感嘆しまくった「ハッピーアワー」より約1時間短いとはいえ、上映時間が4時間15分もあるドラマ。
方法論としては似ているが、こちらは所謂 “即興演出” が少ないのではないかと感じた。そもそも演劇がテーマなので、前述作のワークショップや朗読会に比べて、仮にあったとしても目立たないのかもしれない。
佐藤亮を作家、平野鈴を演出家とする劇団がある。二人は同棲をしている恋人同士でもあるが、新作の芝居を巡ってしばしば対立する。その新作劇の題名が「親密さ」である。
開巻後1時間50分頃に始まるこの劇中劇は4時間を少し超えるところまで、つまり2時間10分中断することなく続く。諸事情で休まずに4時間15分見続けることが出来ないので3回に分けて観たが、途中で中断した劇中劇をリジュームして観たら劇中劇であることを全く忘れて見ている自分に気付いた。つまり映画であることを忘れ、自分が舞台の観客同然になっていたのである。それを映画観客に引き戻すのが洒落た椅子の存在ということになる。
4つの詩の朗読を絡めて、二人の男性(作者である詩人役の佐藤君とルームシェアする男性役の新井満)と二人の女性(伊藤綾子、手塚加奈子)の複雑な思慕関係を描く芝居である。しかし、この関係は、実は新井満と彼を巡る二人の女性の三角関係にすぎなかったということが途中から判ってなかなか面白い。
佐藤と手塚の加奈子ちゃんは血の繋がらない兄妹(再婚した父親の息子と母親の娘)、彼女の大学の一年先輩である伊藤綾子を彼の恋人と加奈子は思い込んでいるが実は真の兄妹。
いずれにしてもこの二人の先輩後輩女性は新井満君を慕っているのである。設定上は綾子ちゃんが前の恋人で、加奈子ちゃんが進行中の関係だが、彼の思いはそう単純ではない。彼が兵庫に5年間の出向をすることでルームシェア関係など大きく変わることになる。
内容を短くまとめることが難しいし、僕には分析しかねるところがあるが、この四者は距離感の調整で悪戦苦闘しているのだろう。人間はそういう面倒臭い存在でもあるし、それがまた面白いところでもある。それは舞台の外側の鈴ちゃんと佐藤君の関係にも敷衍することが出来る。
極めてリアルなお話のように見えて、その背景では朝鮮半島に有事が起っているという設定である。これがどの程度有機的な意味を持っているか少々疑問なのであるが、2年後義勇兵の音楽隊員として半島に駐留している佐藤君は打って変わって陽気な青年になってい、駅で再会した鈴ちゃんとの距離が、物理的に近かった2年前より、ずっと近い感じすらする。尤も、二人は芝居の直前の朝まだきの陸橋でいつの間にか手を繋いでもいるのだが。そして、この二つの場面が映画的に断然美しい。
ラスト・シーンについて語りましょう。別の列車に乗った二人が並行して走る列車から走りながら愛敬を振りまき合う。やがてその列車は途中で二路に分かれていく。列車は分れ、二人は別れていく。何とも美しい夜の情景である。お見事と言うべし。
劇中で核に言及されるところがあるが、現実はそんな甘くない。核攻撃そのもの以上にその後が怖い。所謂核の冬である。核の冬は起こらないという言説があるが、実験の多さを証拠に一見尤もらしく否定しているものの、分散的に行われる実験と被害を大きくすることを目的とする実際の核攻撃が同じ結果をもたらすか否か疑問である。僕は気が小さいから、慎重には慎重を期すほうであります。
2013年日本映画 監督・濱口竜介
ネタバレあり
長くても感嘆しまくった「ハッピーアワー」より約1時間短いとはいえ、上映時間が4時間15分もあるドラマ。
方法論としては似ているが、こちらは所謂 “即興演出” が少ないのではないかと感じた。そもそも演劇がテーマなので、前述作のワークショップや朗読会に比べて、仮にあったとしても目立たないのかもしれない。
佐藤亮を作家、平野鈴を演出家とする劇団がある。二人は同棲をしている恋人同士でもあるが、新作の芝居を巡ってしばしば対立する。その新作劇の題名が「親密さ」である。
開巻後1時間50分頃に始まるこの劇中劇は4時間を少し超えるところまで、つまり2時間10分中断することなく続く。諸事情で休まずに4時間15分見続けることが出来ないので3回に分けて観たが、途中で中断した劇中劇をリジュームして観たら劇中劇であることを全く忘れて見ている自分に気付いた。つまり映画であることを忘れ、自分が舞台の観客同然になっていたのである。それを映画観客に引き戻すのが洒落た椅子の存在ということになる。
4つの詩の朗読を絡めて、二人の男性(作者である詩人役の佐藤君とルームシェアする男性役の新井満)と二人の女性(伊藤綾子、手塚加奈子)の複雑な思慕関係を描く芝居である。しかし、この関係は、実は新井満と彼を巡る二人の女性の三角関係にすぎなかったということが途中から判ってなかなか面白い。
佐藤と手塚の加奈子ちゃんは血の繋がらない兄妹(再婚した父親の息子と母親の娘)、彼女の大学の一年先輩である伊藤綾子を彼の恋人と加奈子は思い込んでいるが実は真の兄妹。
いずれにしてもこの二人の先輩後輩女性は新井満君を慕っているのである。設定上は綾子ちゃんが前の恋人で、加奈子ちゃんが進行中の関係だが、彼の思いはそう単純ではない。彼が兵庫に5年間の出向をすることでルームシェア関係など大きく変わることになる。
内容を短くまとめることが難しいし、僕には分析しかねるところがあるが、この四者は距離感の調整で悪戦苦闘しているのだろう。人間はそういう面倒臭い存在でもあるし、それがまた面白いところでもある。それは舞台の外側の鈴ちゃんと佐藤君の関係にも敷衍することが出来る。
極めてリアルなお話のように見えて、その背景では朝鮮半島に有事が起っているという設定である。これがどの程度有機的な意味を持っているか少々疑問なのであるが、2年後義勇兵の音楽隊員として半島に駐留している佐藤君は打って変わって陽気な青年になってい、駅で再会した鈴ちゃんとの距離が、物理的に近かった2年前より、ずっと近い感じすらする。尤も、二人は芝居の直前の朝まだきの陸橋でいつの間にか手を繋いでもいるのだが。そして、この二つの場面が映画的に断然美しい。
ラスト・シーンについて語りましょう。別の列車に乗った二人が並行して走る列車から走りながら愛敬を振りまき合う。やがてその列車は途中で二路に分かれていく。列車は分れ、二人は別れていく。何とも美しい夜の情景である。お見事と言うべし。
劇中で核に言及されるところがあるが、現実はそんな甘くない。核攻撃そのもの以上にその後が怖い。所謂核の冬である。核の冬は起こらないという言説があるが、実験の多さを証拠に一見尤もらしく否定しているものの、分散的に行われる実験と被害を大きくすることを目的とする実際の核攻撃が同じ結果をもたらすか否か疑問である。僕は気が小さいから、慎重には慎重を期すほうであります。
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