映画評「春に散る」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2023年日本映画 監督・瀬々敬久
ネタバレあり
かなりオーソドックスなボクシング映画である。監督は瀬々敬久。暴走しがちなので、僕の中では要注意監督だ。
アメリカでプロ・ボクサーとして所期の目的を果たせないまま引退したものの、ホテル業で成功した佐藤浩市が帰国する。偶然ボクサーとして挫折した若者・横浜流星と知り合い、以降、かつてのボクサー仲間片岡鶴太郎とルームシェアし始めた問題物件の一戸建てに住まわせ、ボクサーとしての再生を手助けする。
佐藤は、恩師である会長の娘・山口智子が引き継いだジムへの所属を希望するが、彼女は横浜の粗暴さを嫌って断る。かくして後日、横浜はフェザー級チャンピオンへの挑戦者決定戦に、彼女が期待する有望ボクサー坂東龍汰と一戦を交えることになる。
この戦いに勝った横浜は、しかし、それによって網膜に問題を起こし、心臓に問題を抱える佐藤の反対に抗いながら、結局チャンピオン松浦慎一郎と闘う試合に臨むことを決める。
師匠と弟子との関係は疑似親子ものになりがちで、本作もそうした一編として、クリント・イーストウッド監督の秀作「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)を思い起こさせるものがある。既に故人の会長との間にかつてあったであろう疑似親子の関係を思えば、ある意味義理の妹と言っても良さそうな会長の娘と佐藤の訳ありの関係にも人間劇的に面白味がある。彼女が言うように、佐藤は自分の人生の完成(有終の美)の為に横浜を利用しているのか?
佐藤の姪・橋本環奈が父の死後に同じ屋根の下に暮らす住人になり、その後彼女と横浜との関係が発展段階にあるようだが、些かの描写不足が否めない。
ドラマ部分はともかく、ボクシング映画であるからファイト・シーンの撮り方の良し悪しが重要。概ね良いが、僕が普段からスロー・モーション嫌いであることを別にしても、最終ラウンドの気の抜けたようなスローは全く問題外である。それまでの撮り方を考えれば誤魔化す為にスローを使ったのではないのは確かなのだが、それを考えれば余計にノーマル・スピードに徹底すべきであったと思う。
玉石混交と言うべし。
他人の評価を知る為にその類のサイトに行くが、映画サイトに行っても書籍サイトに行っても、 ”さん” 付けが多数派だ。しかし、有名人・偉人に “さん” を付けるのは、彼らを無名人に引き下げる行為にほかならないので却って失礼。僕はそれほど傲慢ではない。専門家も述べているように、その職能に関する話題で触れる場合は “さん” は無粋。 松本清張は「日本の黒い霧」における下山総裁に関する記述でさすがにきちんと使い分けをしていた。引退したスポーツ選手の記録を言う時に “さん付け” は無粋。 有名人に関しては “敬称なしが最大の敬称である” と東京新聞の一面コラムニストが以前書いていた。新札の顔に関してテレビ朝日のキャスターたちが渋沢栄一などに “さん付け” していたが、 どういう意味合いで使っていたのか考えている。意図なく言ったのなら笑止千万である。地元の人などが親しみを込めて使う場合は例外となるだろう。いずれにしても、SNSなどでの “さん付け” は、 その対象のためではなく、 自分が失礼な人間と思われたくなくて使っていると思われる。 しかし、 日本文化の常識に照らせば、“さんをつけないのは失礼” というのは誤解。失礼と思うほうが常識外れなのである。
2023年日本映画 監督・瀬々敬久
ネタバレあり
かなりオーソドックスなボクシング映画である。監督は瀬々敬久。暴走しがちなので、僕の中では要注意監督だ。
アメリカでプロ・ボクサーとして所期の目的を果たせないまま引退したものの、ホテル業で成功した佐藤浩市が帰国する。偶然ボクサーとして挫折した若者・横浜流星と知り合い、以降、かつてのボクサー仲間片岡鶴太郎とルームシェアし始めた問題物件の一戸建てに住まわせ、ボクサーとしての再生を手助けする。
佐藤は、恩師である会長の娘・山口智子が引き継いだジムへの所属を希望するが、彼女は横浜の粗暴さを嫌って断る。かくして後日、横浜はフェザー級チャンピオンへの挑戦者決定戦に、彼女が期待する有望ボクサー坂東龍汰と一戦を交えることになる。
この戦いに勝った横浜は、しかし、それによって網膜に問題を起こし、心臓に問題を抱える佐藤の反対に抗いながら、結局チャンピオン松浦慎一郎と闘う試合に臨むことを決める。
師匠と弟子との関係は疑似親子ものになりがちで、本作もそうした一編として、クリント・イーストウッド監督の秀作「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)を思い起こさせるものがある。既に故人の会長との間にかつてあったであろう疑似親子の関係を思えば、ある意味義理の妹と言っても良さそうな会長の娘と佐藤の訳ありの関係にも人間劇的に面白味がある。彼女が言うように、佐藤は自分の人生の完成(有終の美)の為に横浜を利用しているのか?
佐藤の姪・橋本環奈が父の死後に同じ屋根の下に暮らす住人になり、その後彼女と横浜との関係が発展段階にあるようだが、些かの描写不足が否めない。
ドラマ部分はともかく、ボクシング映画であるからファイト・シーンの撮り方の良し悪しが重要。概ね良いが、僕が普段からスロー・モーション嫌いであることを別にしても、最終ラウンドの気の抜けたようなスローは全く問題外である。それまでの撮り方を考えれば誤魔化す為にスローを使ったのではないのは確かなのだが、それを考えれば余計にノーマル・スピードに徹底すべきであったと思う。
玉石混交と言うべし。
他人の評価を知る為にその類のサイトに行くが、映画サイトに行っても書籍サイトに行っても、 ”さん” 付けが多数派だ。しかし、有名人・偉人に “さん” を付けるのは、彼らを無名人に引き下げる行為にほかならないので却って失礼。僕はそれほど傲慢ではない。専門家も述べているように、その職能に関する話題で触れる場合は “さん” は無粋。 松本清張は「日本の黒い霧」における下山総裁に関する記述でさすがにきちんと使い分けをしていた。引退したスポーツ選手の記録を言う時に “さん付け” は無粋。 有名人に関しては “敬称なしが最大の敬称である” と東京新聞の一面コラムニストが以前書いていた。新札の顔に関してテレビ朝日のキャスターたちが渋沢栄一などに “さん付け” していたが、 どういう意味合いで使っていたのか考えている。意図なく言ったのなら笑止千万である。地元の人などが親しみを込めて使う場合は例外となるだろう。いずれにしても、SNSなどでの “さん付け” は、 その対象のためではなく、 自分が失礼な人間と思われたくなくて使っていると思われる。 しかし、 日本文化の常識に照らせば、“さんをつけないのは失礼” というのは誤解。失礼と思うほうが常識外れなのである。
この記事へのコメント