映画評「私がやりました」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2023年フランス映画 監督フランソワ・オゾン
重要なネタバレあり。鑑賞予定のある方はご注意あれ。

何を作るか予想が出来ないところのあったアラン・パーカーはサムライと思ったが、フランソワ・オゾンもサムライではなかろうか。ジョルジュ・ベルとルイ・ヴェルヌイユによる原作戯曲があるとは雖も、こういう洒落た映画を観ると僕は舞い上がる。「8人の女たち」(2002年)には及ばないと思うものの、捻り具合が実に楽しい。

色魔で名高い映画プロデューサーのモンフェランが、無名女優マドレーヌ(ナディア・テレスクウィッツ)が面接を終えた直後に、死体として発見される。かくして彼女は第一容疑者になるが、やっていないものはやっていないと言うしかない。 しかし、ずっこけ予審判事ラビュセ(ファブリス・ルキーニ)の “正当防衛が認められれば無罪となる” との一言から、 彼女のルームメイトの新進弁護士ポーリーヌ(レベッカ・マルデール)が敢えて彼女をやったことにし、男性VS女性の観点で正当防衛を訴え、無罪判決を勝ち取る。

これによって女性たちの英雄になったマドレーヌは舞台に映画に引っ張りだこになり、ポーリーヌも色々と仕事を抱える立場になる。これだけでも一応のアイデアとして軽く膝を打つ着想であるが、その後少し手詰まり感が出て来る。

それを打破するのが、真犯人即ちサイレント時代の大女優オデット・ショメルト(イザベル・ユペール)の登場である。
 現場で盗むはずの30万フランを手に入れらなかったので、自分の犯行を盗んで成功したマドレーヌには30万フランを彼女に与える義務があると変な論理で彼女たちを脅迫する。実現が難しいと知るや、オデットはずっこけ判事のところへ行くが、こちらも乗っては来ない。

これの何が面白いかと言えば、犯行そのものをしていないと暴かれると甚だまずい、という常識の逆を行くシチュエーションの創設である。これには本当に膝を打った。

しかも、その後の展開がさらに良い。
 息子との結婚を反対している倒産寸前のタイヤ・メーカー社長ボナール氏(アンドレ・デュソリエ)の許を訪れ、縁のある建築家(ダニー・ブーン)の協力の下、マドレーヌは犯行そのものがなかったことを告白し、支援を申し出て相手を懐柔、結婚を認めてもらうだけでなく、オデットへの支払いもさせる。

基本的には誰も不幸にならないハッピー・エンドである。それもこれも出て来る男たちが全員バカだから・・・という辺りも面白い。
 こういうのは下手に扱うとフェミニズムが目立って不快な映画になりかねないが、その匙加減が実に良い。裁判場面を別にすると男とか女とかを沙汰していないから出来たことと思う。
 幕切れは、フランソワ・トリュフォーの「終電車」を思い出させる。

フランソワ違いでした。

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