映画評「キリエのうた」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2023年日本映画 監督・岩井俊二
ネタバレあり
岩井俊二は少女と言って良いくらいの若い女性を主人公にした作品が得意で、本作は、マイルドだった前回の「ラストレター」「チィファの手紙(「ラストレター」のオリジナル中国版)」とは違って、3・11を絡めて少々ハーシュな印象を伴うが、そのハーシュさの中にロマンティシズムを感じさせるところも多々あり、僕の琴線を打った。
時系列は3つあり、古い方からまとめる。
3・11で母と姉・希(=きりえ=アイナ・ジ・エンド)を失った小学3年生の女児・路花(矢山心)が故郷を離れ大阪でうろうろしているところを、小学校教師風美(黒木華)に助けられ、彼女の兄と称する夏彦(松村北斗)と再会する。少女はショックで声を失っているが、歌だけは歌える状態である。が、良かれと思って連絡した児童相談所は二人に血の繋がりがないことを理由に情報を封鎖してしまう。
その7年後、里親から逃げ出して帯広の夏彦と兄弟のように暮らしていた路花(アイナ・ジ・エンド二役)は、夏彦が家庭教師をしたことから一年先輩の高校3年生真緒里(広瀬すず)と親友になる。友達のいない者同士の絆である。
5年後、真緒里は東京の大学に進学したものの、母親(奥名恵)がスポンサーに捨てられた為に勉学を断念、イッコと称し派手な格好をして街を闊歩している時に、ストリート・シンガーのキリエこと路花(アイナ・ジ・エンド二役)と再会すると、マネージャーを気取ってキリエを売り出そうと素人なりに奮闘する。しかし、キリエが彼女を信用する余りメジャーへの道がなかなか近くならないうちに、イッコこと真緒里の結婚詐欺事件に巻き込まれる。それでもキリエは、中止させようと警察が介入して来たフェスティバルで、 何もないかのように “憐みの讃歌” と歌う。
映画は三つの時系列を随時往来し、その中で回想を交えて綴られる為に、実際の物語は、上記に書いたよりもっとミステリアスで複雑だが、解りにくさはない。
キリエは “神よ憐みたまへ” といった意味らしく、“憐みの讃歌” はキリエレイスという序盤に出て来る単語と呼応、キリスト教(路花の一家はキリスト教徒)を通奏低音に、運命の不思議を綴る物語を織りなしていく。
その意味で、今ではキリスト教伝道者をしている久保田早紀(今の名前は久米小百合)の「異邦人」を路花が歌うのは、単なる岩井の昭和ノスタルジーではなく、キリスト教徒一家として母親が歌っていたという設定の可能性が高い。オフコース「さよなら」に関しては解らない。
キリエが開巻後最初に歌う♪泣きなくないや、声も出ないや~という歌詞が、二度目に聞くと、その意味が心に沁みて来る。アイナ・ジ・エンドのハスキーな声も胸を打つ。悲しみを自らの歌で乗り越え、彼女を温かく接してくれる人々との交流を通して次第に大きな声が出るようになっていく様に感動せざるを得ない。ありふれた再生物語と一線を画すと思う。
時にテレンス・マリックのようになる画面も魅力的だ。
終盤の場面は、ビートルズの屋上ライブを思い出させる。警官がアンプからギターのコードを外すと、ジョージがそれを入れ直す。格好良かったな。あの若い警官二人が音楽ファンだったら、 心の中で “得したな” と思ったかもしれない。 そう言えば、昨日の「タモリステーション」で「異邦人」を使った懐かしいCMを久々に見た。当時僕は二十歳くらいだったと思うが、鮮烈でしたよ。
2023年日本映画 監督・岩井俊二
ネタバレあり
岩井俊二は少女と言って良いくらいの若い女性を主人公にした作品が得意で、本作は、マイルドだった前回の「ラストレター」「チィファの手紙(「ラストレター」のオリジナル中国版)」とは違って、3・11を絡めて少々ハーシュな印象を伴うが、そのハーシュさの中にロマンティシズムを感じさせるところも多々あり、僕の琴線を打った。
時系列は3つあり、古い方からまとめる。
3・11で母と姉・希(=きりえ=アイナ・ジ・エンド)を失った小学3年生の女児・路花(矢山心)が故郷を離れ大阪でうろうろしているところを、小学校教師風美(黒木華)に助けられ、彼女の兄と称する夏彦(松村北斗)と再会する。少女はショックで声を失っているが、歌だけは歌える状態である。が、良かれと思って連絡した児童相談所は二人に血の繋がりがないことを理由に情報を封鎖してしまう。
その7年後、里親から逃げ出して帯広の夏彦と兄弟のように暮らしていた路花(アイナ・ジ・エンド二役)は、夏彦が家庭教師をしたことから一年先輩の高校3年生真緒里(広瀬すず)と親友になる。友達のいない者同士の絆である。
5年後、真緒里は東京の大学に進学したものの、母親(奥名恵)がスポンサーに捨てられた為に勉学を断念、イッコと称し派手な格好をして街を闊歩している時に、ストリート・シンガーのキリエこと路花(アイナ・ジ・エンド二役)と再会すると、マネージャーを気取ってキリエを売り出そうと素人なりに奮闘する。しかし、キリエが彼女を信用する余りメジャーへの道がなかなか近くならないうちに、イッコこと真緒里の結婚詐欺事件に巻き込まれる。それでもキリエは、中止させようと警察が介入して来たフェスティバルで、 何もないかのように “憐みの讃歌” と歌う。
映画は三つの時系列を随時往来し、その中で回想を交えて綴られる為に、実際の物語は、上記に書いたよりもっとミステリアスで複雑だが、解りにくさはない。
キリエは “神よ憐みたまへ” といった意味らしく、“憐みの讃歌” はキリエレイスという序盤に出て来る単語と呼応、キリスト教(路花の一家はキリスト教徒)を通奏低音に、運命の不思議を綴る物語を織りなしていく。
その意味で、今ではキリスト教伝道者をしている久保田早紀(今の名前は久米小百合)の「異邦人」を路花が歌うのは、単なる岩井の昭和ノスタルジーではなく、キリスト教徒一家として母親が歌っていたという設定の可能性が高い。オフコース「さよなら」に関しては解らない。
キリエが開巻後最初に歌う♪泣きなくないや、声も出ないや~という歌詞が、二度目に聞くと、その意味が心に沁みて来る。アイナ・ジ・エンドのハスキーな声も胸を打つ。悲しみを自らの歌で乗り越え、彼女を温かく接してくれる人々との交流を通して次第に大きな声が出るようになっていく様に感動せざるを得ない。ありふれた再生物語と一線を画すと思う。
時にテレンス・マリックのようになる画面も魅力的だ。
終盤の場面は、ビートルズの屋上ライブを思い出させる。警官がアンプからギターのコードを外すと、ジョージがそれを入れ直す。格好良かったな。あの若い警官二人が音楽ファンだったら、 心の中で “得したな” と思ったかもしれない。 そう言えば、昨日の「タモリステーション」で「異邦人」を使った懐かしいCMを久々に見た。当時僕は二十歳くらいだったと思うが、鮮烈でしたよ。
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