映画評「聖バンサン」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1947年フランス映画 監督モーリス・クローシェ
ネタバレあり
フランス人でもクリスチャンでもない僕は全く知らなかったが、現在のNPOのような活動を17世紀に行ったカトリック教会の聖人であるヴァンサン・ド・ポールの伝記映画である。プライムビデオにて鑑賞。
17世紀初め、伯爵ゴンディの領地の町に神父として赴任したヴァンサン(ピエール・フレネー)は、ペスト患者として隔離され死ぬのを待たれていた中年女性の死体を発見、飢えたその娘を救い出す。
この町のエピソードに、ヴァンサンの恵まれぬ者に対する考えと本作のテーマが明示されている。貧乏人のみが真に貧乏人を救える、これなり。
ヴァンサンは、伯爵夫人マルゲリート(リーズ・ドラマール)が善意に目覚めたのに気付くと新たな慈善活動を求めて町を去るが、彼女に再び発見されて、教会の公務を仰せ付けられることになる。宰相リシュリュー枢機卿(エイメ・クラリオン)に命じられてガレー船のチャプレン(誨僧)を務めた後、教会に戻らず、独力の慈善活動を経、やがて聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ愛徳姉妹会を創設する。
愛徳姉妹会は、ルイーズ・ド・マリヤック(イヴォンヌ・ゴードー)の支援で共同で始めたものだが、この辺りは日本人には解りやすく作られていない。だから、後段におけるマリヤックへの言及にピンと来ないところが出て来る。お金は要らないが食事だけ賄ってほしいと貧民援助を申し出たマルガリート・ナソーなる女性の存在が愛徳姉妹会の着想となったようである。
しかるに、ヴァンサンの過度の要求が女性たちを大いに疲弊させる。彼はそれを悟るともはやそれ以上の活動的協力を求めず、自分をずっと見ていてほしいとだけ願う。
映画はここから20年程を一気に進め、最後(最期)の日に至る。修道女ジャンヌを呼ぶと、 “パンやスープは金持ちでも配れるが、 ずるさをも持ち合わせている貧者に必要なのは優しさや愛である” と名言を吐くのである。
ヴァンサンの人間性に頭が下がる。この人物が聖人に列せられるのは尤もであると思う。ヴァンサンに扮するピエール・フレネーが「犯人は21番に住む」の公立探偵(刑事)と全くタイプの違う役柄を好演。
クロード・ルノワールのカメラは、バストショットからロングまでのショットを多用して随時使い分け、がっちりと彼らの行動を捉える。主人公に文字通り迫る時に数か所アップがあるだけで、誠に品がある。
今年は余りアメリカ映画を観ていない。半世紀を超える映画鑑賞歴の中で、これほどアメリカ映画を観なかった年はない。最後に観たアメリカ映画は7月28日の「ザ・レポート」である。あらら。
1947年フランス映画 監督モーリス・クローシェ
ネタバレあり
フランス人でもクリスチャンでもない僕は全く知らなかったが、現在のNPOのような活動を17世紀に行ったカトリック教会の聖人であるヴァンサン・ド・ポールの伝記映画である。プライムビデオにて鑑賞。
17世紀初め、伯爵ゴンディの領地の町に神父として赴任したヴァンサン(ピエール・フレネー)は、ペスト患者として隔離され死ぬのを待たれていた中年女性の死体を発見、飢えたその娘を救い出す。
この町のエピソードに、ヴァンサンの恵まれぬ者に対する考えと本作のテーマが明示されている。貧乏人のみが真に貧乏人を救える、これなり。
ヴァンサンは、伯爵夫人マルゲリート(リーズ・ドラマール)が善意に目覚めたのに気付くと新たな慈善活動を求めて町を去るが、彼女に再び発見されて、教会の公務を仰せ付けられることになる。宰相リシュリュー枢機卿(エイメ・クラリオン)に命じられてガレー船のチャプレン(誨僧)を務めた後、教会に戻らず、独力の慈善活動を経、やがて聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ愛徳姉妹会を創設する。
愛徳姉妹会は、ルイーズ・ド・マリヤック(イヴォンヌ・ゴードー)の支援で共同で始めたものだが、この辺りは日本人には解りやすく作られていない。だから、後段におけるマリヤックへの言及にピンと来ないところが出て来る。お金は要らないが食事だけ賄ってほしいと貧民援助を申し出たマルガリート・ナソーなる女性の存在が愛徳姉妹会の着想となったようである。
しかるに、ヴァンサンの過度の要求が女性たちを大いに疲弊させる。彼はそれを悟るともはやそれ以上の活動的協力を求めず、自分をずっと見ていてほしいとだけ願う。
映画はここから20年程を一気に進め、最後(最期)の日に至る。修道女ジャンヌを呼ぶと、 “パンやスープは金持ちでも配れるが、 ずるさをも持ち合わせている貧者に必要なのは優しさや愛である” と名言を吐くのである。
ヴァンサンの人間性に頭が下がる。この人物が聖人に列せられるのは尤もであると思う。ヴァンサンに扮するピエール・フレネーが「犯人は21番に住む」の公立探偵(刑事)と全くタイプの違う役柄を好演。
クロード・ルノワールのカメラは、バストショットからロングまでのショットを多用して随時使い分け、がっちりと彼らの行動を捉える。主人公に文字通り迫る時に数か所アップがあるだけで、誠に品がある。
今年は余りアメリカ映画を観ていない。半世紀を超える映画鑑賞歴の中で、これほどアメリカ映画を観なかった年はない。最後に観たアメリカ映画は7月28日の「ザ・レポート」である。あらら。
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