映画評「映画はアリスから始まった」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2018年アメリカ映画 監督パメラ・B・グリーン
ネタバレあり
映画会社のゴーモンは知っているが、ゴーモンが本格的な映画会社になる前に、秘書だった女性アリス・ギイが、リュミエールが世界で初めて映画公開をした1895年12月の数か月後に映画を製作・監督していたのは全く知らなかった。不勉強のそしりは免れませんな。
確認されていないものを含めるとその数1000本以上で、現在 IMDb には600本以上が記載されている。しかるに、現在 IMDb にそれだけの数の作品が列挙されるまでには長い道のりがあったことがこのドキュメンタリーを観るとよく解るのである。
フェミニストでなくても怒りたくなるようなお話だ。
二十歳そこそこで撮影機器製造販売会社の社長レオン・ゴーモンの秘書になった彼女は、リュミエールのシネマトグラフを見て衝撃を受け、社長に自らの映画製作を乞うとOKが出る。これを認めたゴーモン氏は偉い。後年彼女の名前が映画資料から消えた時に即座に訂正しなかったのは問題であるが。
彼女が最初に作ったのは「キャベツ畑の妖精」(ただし公開は4年後の1900年らしい)で、世界で初めての劇映画という説もあるようである。数日後にアップする「リュミエール!」によればリュミエール兄弟もすぐに劇映画らしきものを作っているが、数日単位の話(1週間に1本以上撮っていた計算。リュミエールの場合は撮影者が多いのでもっと多い)なので、どちらが早いか判じ難い。少なくともジョルジュ・メリエスよりは早かったのである。何と凄いことではあるまいか。
その他、着色映画や音声同期映画を “発明” している。後者について、彼女の場合は、アフレコとは反対に、先に音を録音して後でそれに合わせて撮影するスタイル。エディスン(エジソン)の場合は同時録音である。どちらも上映の際に一緒にレコードの類をかける。
フランスで数百本撮った後、1907年に撮影助手的な立場でやって来た若いフランス系英国人ハーバート・ブラシェと結婚すると程なく渡米、映画会社を作るが、浮気性の夫とうまく行かなくなるなどして1920年に映画監督を廃業、娘シモーヌと共に帰国する。その後仏米を何往復かした模様。
1958年頃のそのシモーヌと、1963年頃のアリスのインタビューも随時紹介され、なかなか貴重である。こうしたインタビューがされているところを見ると、一時よりはその名前に再び脚光が当たり始めたことが伺えるが、それでも多くの映画批評家にすら知られていなかったのだから、悲劇と言うべし。
映画の黎明期にはクレジットなどもなかったから、ゴーモン社の場合は、彼女が渡米したことを良いことに、監督を他人にしたのであろう。
僕の持っているデアゴスティーニの【映画史100年ビジュアル大百科】に彼女の名前が一ヶ所だけ見られる。ないよりは良いが、業績を考えると足りないかもしれぬ。
しかし、映画研究者が彼女を再発見し、現在のような復権を見たのは、一映画ファンとしても嬉しく思う。おかげで120年以上前の映画が断片とは言え幾つか観られるようになった。「キャベツ畑の妖精」は YouTube で観られる。
今の大半の映画より、120年以上前の映像を見る方が面白い。困ったもんですね。
2018年アメリカ映画 監督パメラ・B・グリーン
ネタバレあり
映画会社のゴーモンは知っているが、ゴーモンが本格的な映画会社になる前に、秘書だった女性アリス・ギイが、リュミエールが世界で初めて映画公開をした1895年12月の数か月後に映画を製作・監督していたのは全く知らなかった。不勉強のそしりは免れませんな。
確認されていないものを含めるとその数1000本以上で、現在 IMDb には600本以上が記載されている。しかるに、現在 IMDb にそれだけの数の作品が列挙されるまでには長い道のりがあったことがこのドキュメンタリーを観るとよく解るのである。
フェミニストでなくても怒りたくなるようなお話だ。
二十歳そこそこで撮影機器製造販売会社の社長レオン・ゴーモンの秘書になった彼女は、リュミエールのシネマトグラフを見て衝撃を受け、社長に自らの映画製作を乞うとOKが出る。これを認めたゴーモン氏は偉い。後年彼女の名前が映画資料から消えた時に即座に訂正しなかったのは問題であるが。
彼女が最初に作ったのは「キャベツ畑の妖精」(ただし公開は4年後の1900年らしい)で、世界で初めての劇映画という説もあるようである。数日後にアップする「リュミエール!」によればリュミエール兄弟もすぐに劇映画らしきものを作っているが、数日単位の話(1週間に1本以上撮っていた計算。リュミエールの場合は撮影者が多いのでもっと多い)なので、どちらが早いか判じ難い。少なくともジョルジュ・メリエスよりは早かったのである。何と凄いことではあるまいか。
その他、着色映画や音声同期映画を “発明” している。後者について、彼女の場合は、アフレコとは反対に、先に音を録音して後でそれに合わせて撮影するスタイル。エディスン(エジソン)の場合は同時録音である。どちらも上映の際に一緒にレコードの類をかける。
フランスで数百本撮った後、1907年に撮影助手的な立場でやって来た若いフランス系英国人ハーバート・ブラシェと結婚すると程なく渡米、映画会社を作るが、浮気性の夫とうまく行かなくなるなどして1920年に映画監督を廃業、娘シモーヌと共に帰国する。その後仏米を何往復かした模様。
1958年頃のそのシモーヌと、1963年頃のアリスのインタビューも随時紹介され、なかなか貴重である。こうしたインタビューがされているところを見ると、一時よりはその名前に再び脚光が当たり始めたことが伺えるが、それでも多くの映画批評家にすら知られていなかったのだから、悲劇と言うべし。
映画の黎明期にはクレジットなどもなかったから、ゴーモン社の場合は、彼女が渡米したことを良いことに、監督を他人にしたのであろう。
僕の持っているデアゴスティーニの【映画史100年ビジュアル大百科】に彼女の名前が一ヶ所だけ見られる。ないよりは良いが、業績を考えると足りないかもしれぬ。
しかし、映画研究者が彼女を再発見し、現在のような復権を見たのは、一映画ファンとしても嬉しく思う。おかげで120年以上前の映画が断片とは言え幾つか観られるようになった。「キャベツ畑の妖精」は YouTube で観られる。
今の大半の映画より、120年以上前の映像を見る方が面白い。困ったもんですね。
この記事へのコメント
京都の二条に昔の町屋を利用した”おもちゃ映画ミュージアムという面白いところがありまして、以前一度行った事があるのですが最近はHPもチェックしていませんでした。ひょっとしてと思って検索したらありました。しまったぁ…残念。
(会員になったらDVDが貰えたらしいです。)
https://toyfilm-museum.jp/news/infomation/9799.html
上のコメントは私です。
>京都の二条に昔の町屋を利用した”おもちゃ映画ミュージアムという面白いところ
京都、良いですねえ。
京大へ行って、京都に暮らしてみる手もあったかな。
>しまったぁ…残念。
>(会員になったらDVDが貰えたらしいです。)
勿体ないことしましたなあ^^
>上のコメントは私です。
名前の記載がなくても遅れてしまうシーサー・ブログは本当に罪深い。早く修正してくれないかな。
その代わり、文字数制限がないのは利点ですけど。