映画評「ヌードの映画史~黎明期から現代へ~」

☆☆★(5点/10点満点中)
2020年アメリカ映画 監督ダニー・ウルフ
ネタバレあり

映画鑑賞が趣味になってから暫くして、アメリカ映画にはヌードが出てこず、欧州映画や日本映画に見られる事実に気づいた。
 僕が映画を観始めた1970年頃に出て来るアメリカ映画は1965年より前の映画が多く、従ってハリウッドの自主的な映画倫理規定であるヘイズ・コードを守る映画ばかりだったので、映画誕生の時からずっと性的な規制が緩かった欧州映画とは違ったわけである。
 日本は欧州ほど緩くはないが、戦前の映画で女性の裸が出ることもなくはなかったと思う。
 尤も、アメリカ映画も1934年にヘイズ・コードが成立するまではかなり自由に撮られていたという事実があり、個人的にもその類の映画を幾つか観ることが出来た。

本作は、映画黎明期から時系列に沿ってアメリカ映画が裸をどう扱っていたかを説明するドキュメンタリーで、僕の映画経験を裏打ちする内容である。

ヘイズ・コードができた後、映画会社は巧みにそれに触れないようになるべく大衆が受けるものを作ろうとする。お金儲けの為とは言え、涙ぐましいですぞ。
 50年代後半にヘイズ・コードを余り守らず、ヌードを見せる映画も出て来るが、やはり本格化するのは1968年にコードがなくなってからで、コードの代りにレイティング・システムが作られる。
 ここで面白いのは「真夜中のカーボーイ」のような、性的要素はあるが過激ではない映画もハードコア・ポルノも同じようにX(成人映画)であることだ。恐らく日本では「真夜中のカーボーイ」は一般映画であったと思う。その頃日本は成人映画と一般映画しかなかったので、ヌードが多く濡れ場もあった「アマゾネス」(1973年)すら一般映画で小学生(僕は高校生になる直前で、友人三人と観に行った)でも観られたくらいだ。
 映画会社が宣伝効果があるので競ってXを取ろうとしたという話も面白い。

アメリカ映画でヌードが当たり前になって以降のお話と、取り上げられる作品は殆どマニアックで映画史的に余り価値がないような気がするが、ヌード女優という言い方が興味深い。一般女優とポルノ女優の間くらいに位置する、裸にならない映画にはまず出ない女優のことだ。
 本作でインタビューされた女優は概ね “搾取 (エクスプロイテーション) の為の ヌードは良くないが、 必要性(芸術性)があるのであれば良い” とする。その為に出来た職業がインティマシー・コーディネーターなる職業。製作側と男女優の間に入りもめ事を避ける為に働く。MeToo運動によって浮上し、より重要な職種となったわけだが、多くの人にとってかの運動がなければ知られなかった仕事であろう。

本編はエクスプロイテーション映画の女囚映画にかなり時間を割いている。中高生の時に確かに女囚映画がよく放映され、よく観た。映画的には問題外だが、僕も思春期でしたので。

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