映画評「ヴァージニアン」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1929年アメリカ映画 監督ヴィクター・フレミング
ネタバレあり
学生時代にTVで観て大いに気に入った「落日の決闘」(1946年)は、この「ヴァージニアン」のリメイクである。というよりオーウェン・ウィスターの人気小説の3度目の映画化が本作であり、4度目が「落日の決闘」であったという次第。
トーキーとしては本作が最初の映画化であり、同時録音の為に難しかったであろう、馬の蹄や風の音といった自然音が信じられないくらいきちんと録音されている。俳優の声も実にクリアで感心というより感嘆させられた。
ワイオミング。牧童頭のヴァージニアン(ゲイリー・クーパー)が、再会した旧友スティーヴ(リチャード・アーレン)を牧童に雇った後、列車で東部出身の美人教師モリー(メアリー・ブライアン)がやって来て、暫くは彼女を巡っての二人の恋の鞘当てがお楽しみとなるコミカルなスタイルで進行する。
「大いなる西部」の男女関係を逆転させたような人間関係である。それが無法者の親分トランパス(ウォルター・ヒューストン)の登場で悲劇的な方向に傾いていく。
ヴァージニアンとトランパスが天敵的な関係になっていくだけでなく、トランパスの牛泥棒に加担したスティーヴを牧童頭故にヴァージニアンが縛り首にしなければならない。東部出身者故の人権優先的な考えを持つモリーはそれでも苦しんでそれを実行したヴァージニアンの心情を理解、深く愛情を募らせていく。
かくして二人が結婚を決めた頃、遂にトランパスとの因縁にケリを付ける日がやって来る。その決闘の時間が黄昏時だったものだから、4度目の映画版は「落日の決闘」という邦題になった。
サイレント時代に西部劇は幾つも作られているとは雖も、トーキーでは音がある故に見せ方やリズムに違うところがあるわけで、ブラックアウト時のタイミングにトーキー慣れした僕らの呼吸と合わないところが散見されるものの、一つ一つのシークエンスは短く極めてスピーディーに展開している。
余り西部劇的なものを期待すると退屈するかもしれないが、恋愛劇の要素のうちにも東部人と西部人との思想の違いが重要な要素となってい、前出「大いなる西部」に似て具体的に語られ、この辺りなかなか面白い。
最後はクーパーが四半世紀後に主演する「真昼の決闘」に近い構図で、モリーの懇願を振り切って決闘に出かける。
ここで興味深いのが、モリーがやはり人権主義的な物言いをして引き留めようとするところ。最後の彼女の口ぶりから、あの時の人権主義的な物言いは口実だったと解るのである。甘い結末ではあるが、ロマンスとして平仄が合っている。
決闘は頗るシンプルで、大体物事は次第に刺激的になることを考えると、トーキーで一番早い部類の西部劇である本作の決闘に後年の派手なものを期待するのは無理だ。それでも町の連中が決闘を知っていて家の中に籠る当たりの描写ぶりなどそこはかとなく良い。
クーパーは、映画がサイレントのままでもルドルフ・ヴァレンティノ亡き後の二枚目スターとして成功した可能性があるが、喋りが良いのでトーキーで良かっただろうと思わせる魅力を発揮。翌年の代表作「モロッコ」での主演に繋がっていく。
風が吹けばクーパー (cooper) が儲かる。
1929年アメリカ映画 監督ヴィクター・フレミング
ネタバレあり
学生時代にTVで観て大いに気に入った「落日の決闘」(1946年)は、この「ヴァージニアン」のリメイクである。というよりオーウェン・ウィスターの人気小説の3度目の映画化が本作であり、4度目が「落日の決闘」であったという次第。
トーキーとしては本作が最初の映画化であり、同時録音の為に難しかったであろう、馬の蹄や風の音といった自然音が信じられないくらいきちんと録音されている。俳優の声も実にクリアで感心というより感嘆させられた。
ワイオミング。牧童頭のヴァージニアン(ゲイリー・クーパー)が、再会した旧友スティーヴ(リチャード・アーレン)を牧童に雇った後、列車で東部出身の美人教師モリー(メアリー・ブライアン)がやって来て、暫くは彼女を巡っての二人の恋の鞘当てがお楽しみとなるコミカルなスタイルで進行する。
「大いなる西部」の男女関係を逆転させたような人間関係である。それが無法者の親分トランパス(ウォルター・ヒューストン)の登場で悲劇的な方向に傾いていく。
ヴァージニアンとトランパスが天敵的な関係になっていくだけでなく、トランパスの牛泥棒に加担したスティーヴを牧童頭故にヴァージニアンが縛り首にしなければならない。東部出身者故の人権優先的な考えを持つモリーはそれでも苦しんでそれを実行したヴァージニアンの心情を理解、深く愛情を募らせていく。
かくして二人が結婚を決めた頃、遂にトランパスとの因縁にケリを付ける日がやって来る。その決闘の時間が黄昏時だったものだから、4度目の映画版は「落日の決闘」という邦題になった。
サイレント時代に西部劇は幾つも作られているとは雖も、トーキーでは音がある故に見せ方やリズムに違うところがあるわけで、ブラックアウト時のタイミングにトーキー慣れした僕らの呼吸と合わないところが散見されるものの、一つ一つのシークエンスは短く極めてスピーディーに展開している。
余り西部劇的なものを期待すると退屈するかもしれないが、恋愛劇の要素のうちにも東部人と西部人との思想の違いが重要な要素となってい、前出「大いなる西部」に似て具体的に語られ、この辺りなかなか面白い。
最後はクーパーが四半世紀後に主演する「真昼の決闘」に近い構図で、モリーの懇願を振り切って決闘に出かける。
ここで興味深いのが、モリーがやはり人権主義的な物言いをして引き留めようとするところ。最後の彼女の口ぶりから、あの時の人権主義的な物言いは口実だったと解るのである。甘い結末ではあるが、ロマンスとして平仄が合っている。
決闘は頗るシンプルで、大体物事は次第に刺激的になることを考えると、トーキーで一番早い部類の西部劇である本作の決闘に後年の派手なものを期待するのは無理だ。それでも町の連中が決闘を知っていて家の中に籠る当たりの描写ぶりなどそこはかとなく良い。
クーパーは、映画がサイレントのままでもルドルフ・ヴァレンティノ亡き後の二枚目スターとして成功した可能性があるが、喋りが良いのでトーキーで良かっただろうと思わせる魅力を発揮。翌年の代表作「モロッコ」での主演に繋がっていく。
風が吹けばクーパー (cooper) が儲かる。
この記事へのコメント
ゲイリー・クーパーは好きな俳優で、この若い頃は特に格好いいです。
特に「モロッコ」のクーパーは大好きですね。
(「モロッコ」は作品としても私の好きな映画の上位に来ます。)
オカピーさんも仰る通り、トーキーならではの音の使い方が、サイレント時代の西部劇にはない迫力を生んでいますね。
クーパーの喋りも良いです。
この時代に野外ロケのオールトーキーというのも凄いことでしょうね。
それを考えると、この翌年にはもう「西部戦線異状なし」という大傑作が誕生しているのは驚異的としか言えないです!
「真昼の決闘」や「大いなる西部」といった後年の傑作も、この作品や過去の偉大な西部劇がなければ生まれなかったことでしょう。
それを理解せず、昔の映画をきちんと評価しない人は怪しからんです。
>モロッコ」のクーパーは大好きですね。
いやあ、あの映画は素晴らしいですねえ。
スタンバーグ絶好調でした。
>この時代に野外ロケのオールトーキーというのも凄いことでしょうね。
トーキー初期の録音の苦労話を知っているので、信じがたいことです。
本当にびっくりさせられました。
>この翌年にはもう「西部戦線異状なし」という大傑作が誕生しているのは驚異的としか言えないです!
丁度50年前に初めて観た時から、僕はずっとそう言ってきました。
1930年のフランス映画はまだサイレントっぽいところが多いですが、「西部戦線異状なし」はもうトーキーの文法を完成させていますよ。
>「真昼の決闘」や「大いなる西部」といった後年の傑作も、この作品や過去の偉大な西部劇がなければ生まれなかったことでしょう。
そうでありましょう。
>それを理解せず、昔の映画をきちんと評価しない人は怪しからんです。
世評とは関係なく名作なるものを見て評価すると豪語していた人を知っていますが、勘違いしているところがありますね。
5年や10年くらいであればともかく、大昔に映画を変えて来た作品を単純に現在の目では見てはいけない、ということです。