映画評「砂漠の生霊」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1929年アメリカ映画 監督ウィリアム・ワイラー
ネタバレあり
ピーター・B・カインの小説「三人の名付親」は映画界でもてはやされた。
サイレント時代に2度映画化された後、初のトーキー版としてウィリアム・ワイラー監督による本作が出た。ジョン・フォードが1948年に発表した同名作がよく知られている。フォードは2番目のサイレント版も監督してい、主演者の息子をセルフ・リメイクに起用した。
最初の舞台はその名もニュー・エルサレム。
四人の強盗団がいる。一味は拳銃を手にした銀行員を射殺するが、騒ぎで仲間を一人失う。ボブ(チャールズ・ビッグフォード)とトム(レイモンド・ハットン)とビル(フレッド・コーラー)は這う這うの体で砂漠に逃げ出すが、期待したオアシスは枯れ、唯一見出した水源はヒ素に汚染されている。
近くに止まっているのを目に泊めた幌馬車には若い女性が苦しそうに横たわっている。実は妊婦で、子供を出産した後、三人に名付親になってニュー・エルサレムにいる夫に届けてほしいと言ってこと切れる。その夫こそ殺した銀行員である。
自分たちの罪深さを感じた彼らは限られた水を赤ん坊に優先的に与え、戻れば絞首刑になる町へ戻ることを決心するが、重傷を負っていたトムは早々に身を引き、拳銃自殺を遂げる。さらに歩を進め、朝まだきにボブが目を覚ますとビルが消えている。
一人残り渇きに苦しむボブは、どうせ死ぬのだからとヒ素の入った水をたらふく飲み、赤ん坊を教会に届け、息絶える。
お話自体はフォードの48年版と大して変わらず、キリスト教寓話だが、フォード版がメルヘンチックなのに対してぐっと厳しい人間劇でもある。
新約聖書に出て来る三人の賢者が幼児時代のイエスにまみえるお話をなぞっている。賢者の代わりに出て来るのは人を殺した悪党たちで、赤ん坊により善なる心を蘇らせるという流れは説教臭いが、そんなことを気にする余裕も失わせるほど彼らの砂漠での彷徨が鬼気迫る。
中でも凄いのが、最初にトムが自殺する場所に生えているサボテンが殆ど十字を形作っているのを見せるショット。もう一つは意識朦朧としたボブが目の前に現れる幻想の首吊りの縄に見事に打ち勝ち、歩を進める場面である。
かく事物を象徴的に使うことに関しては、中期以降のサイレント映画やまだその名残りが残っている本作のようなトーキー初期の作品の方に断然うまいものが多い。
ワイラーが弱冠27歳にして作った傑作と言うべし。この映画の厳しさは「孔雀夫人」(1936年)や「この三人」(1936年)でもよく現れていて、さすがに長打連発とまでは行かない戦前のワイラー作品にも観るべき作品が多い。
資料によっては1930年となっている本作の製作年は1929年。29年12月に公開されている。
1929年アメリカ映画 監督ウィリアム・ワイラー
ネタバレあり
ピーター・B・カインの小説「三人の名付親」は映画界でもてはやされた。
サイレント時代に2度映画化された後、初のトーキー版としてウィリアム・ワイラー監督による本作が出た。ジョン・フォードが1948年に発表した同名作がよく知られている。フォードは2番目のサイレント版も監督してい、主演者の息子をセルフ・リメイクに起用した。
最初の舞台はその名もニュー・エルサレム。
四人の強盗団がいる。一味は拳銃を手にした銀行員を射殺するが、騒ぎで仲間を一人失う。ボブ(チャールズ・ビッグフォード)とトム(レイモンド・ハットン)とビル(フレッド・コーラー)は這う這うの体で砂漠に逃げ出すが、期待したオアシスは枯れ、唯一見出した水源はヒ素に汚染されている。
近くに止まっているのを目に泊めた幌馬車には若い女性が苦しそうに横たわっている。実は妊婦で、子供を出産した後、三人に名付親になってニュー・エルサレムにいる夫に届けてほしいと言ってこと切れる。その夫こそ殺した銀行員である。
自分たちの罪深さを感じた彼らは限られた水を赤ん坊に優先的に与え、戻れば絞首刑になる町へ戻ることを決心するが、重傷を負っていたトムは早々に身を引き、拳銃自殺を遂げる。さらに歩を進め、朝まだきにボブが目を覚ますとビルが消えている。
一人残り渇きに苦しむボブは、どうせ死ぬのだからとヒ素の入った水をたらふく飲み、赤ん坊を教会に届け、息絶える。
お話自体はフォードの48年版と大して変わらず、キリスト教寓話だが、フォード版がメルヘンチックなのに対してぐっと厳しい人間劇でもある。
新約聖書に出て来る三人の賢者が幼児時代のイエスにまみえるお話をなぞっている。賢者の代わりに出て来るのは人を殺した悪党たちで、赤ん坊により善なる心を蘇らせるという流れは説教臭いが、そんなことを気にする余裕も失わせるほど彼らの砂漠での彷徨が鬼気迫る。
中でも凄いのが、最初にトムが自殺する場所に生えているサボテンが殆ど十字を形作っているのを見せるショット。もう一つは意識朦朧としたボブが目の前に現れる幻想の首吊りの縄に見事に打ち勝ち、歩を進める場面である。
かく事物を象徴的に使うことに関しては、中期以降のサイレント映画やまだその名残りが残っている本作のようなトーキー初期の作品の方に断然うまいものが多い。
ワイラーが弱冠27歳にして作った傑作と言うべし。この映画の厳しさは「孔雀夫人」(1936年)や「この三人」(1936年)でもよく現れていて、さすがに長打連発とまでは行かない戦前のワイラー作品にも観るべき作品が多い。
資料によっては1930年となっている本作の製作年は1929年。29年12月に公開されている。
この記事へのコメント
この作品も素晴らしく、まさに「三人の名付親」の映画化の決定版でした。
やはりウィリアム・ワイラー監督は凄いです。
映画には砂漠の場面が印象的な作品が多いですが、本作もそんな作品の一つですね。
砂漠という環境の厳しさと美しさ、その中で逞しく生きる人間の姿には胸を打たれます。
内容は知っていても、あの結末には感激しました!
公開年は1929年でしたか。
それは調査不足でした。
Wikipediaや他の映画サイトも当てになりませんねえ。
>ウィリアム・ワイラー監督は凄いです。
ワイラーは何でも屋なので、追随者は殆どいないのですが、もっと研究されても良い監督ですね。
>映画には砂漠の場面が印象的な作品が多い
厳しさでは「グリード」を挙げないわけには行かないでしょう。
「眼には眼を」という中東の荒れ地を舞台にした作品も。
「モロッコ」の砂漠はロマンティック。
「アラビアのロレンス」でも重要。
>内容は知っていても、あの結末には感激しました!
そうですね。
それまでをどう描くかが監督の仕事!
>公開年は1929年でしたか。
僕はIMDbの公開データを見ています。特に昔の映画はこうした資料が重要です。お蔵になっていた映画は製作年を調べるのが難しいです。
名匠ですよね。
ただ、オカピ―さんがおっしゃっているように、いろんなジャンルで名作を遺しているので、かえって他の、たとえばヒッチコックみたいに名前が取り上げられる機会が少ないようなところがあります。
ハワード・ホークスだと、フランスの批評家が持ち上げたので日本でもとりあげられますが、ビリー・ワイルダーよりはウィリアム・ワイラーのほうが格上ではないかというのがあるので、もっと本が出たりしていてもいいんじゃないかと思います。
>ヒッチコックみたいに名前が取り上げられる機会が少ないようなところがあります。
全然少ないですね。
ワイラーのファンだと公言する映画監督を僕は知らないです。
>ハワード・ホークス
>ビリー・ワイルダー
どちらも良い監督ですが、3人で誰か選べと言われれば、僕はワイラーですね。