映画評「ブルックリンでオペラを」
☆☆★(5点/10点満点中)
2023年アメリカ映画 監督レベッカ・ミラー
ネタバレあり
現在の欧米映画は、就業機会均等の名目の下に異なる人種・民族起用を前提に話をこしらえるから妙につまらないものばかりとなる。
それでも、現在を描く映画では、その為に白人役に有色人種を使ったり(鑑賞者全員がその事実を理解できれば問題ないがそうとは思えない)、歴史改竄をする歴史劇などよりはずっとすっきり見られる。
就業機会均等とは恐らく別の理由で色々な人種が出て来るケースも多い。本作の場合、近年主役俳優に躍り出たピーター・ディンクレイジ演じる主人公の細君アン・ハサウェイの連れ子イヴァン・エリスンが混血である。
何度も言うようにここ10年くらい作られたメジャー映画における主役の夫婦(勿論事実婚を含む)は異人種カップルばかり。多様性 (diversity) が映画製作の多様性 (variety) を阻害している。実際に異人種結婚は多くなっているはずだが、さすがにこんなに多いわけがない。映画は現実を反映するものと信じて半世紀観続けて来たが、それも今は昔である。
そしてそのエリスン君が恋に落ちるのは、白人移民(ポーランド系という設定のように思われる)の娘ハーロウ・ジェーン。
また、ディンクレイジはご存知のように矮人であるから、アンとの組合せでは昔の映画を見なれた目にはちょっと変わったカップルに見える。そういう見方がいかんということでこういう映画が作られるのは解っているが、僕の目にはかなりわざとらしすぎるのである。
アンは潔癖症すぎるセラピスト。ディンクレイジはスランプに陥ったオペラ作曲家で、気分展開に町に出て飲み屋に入ったところ、恋愛依存症と自称する女船長マリサ・トメイに誘惑される。この時の経験を基に作った新作が好評を得るが、彼にセラピーを勧められた訪れたのがアンで、極めて喜劇的なシチュエーションが生れる。しかるに、映画はこの喜劇的な設定を生かさず、寧ろアンを退場させる理由としている。
観ていて落ち着かない映画である。落ち着かなく感じられる理由は、本流らしきものが二つあることだ。
一つはディンクレイジとマリサの騒ぎ。
もう一つの流れでは、保守の権化のようなハーロウの義父が18歳になったばかりのエリスン君が16歳の彼女と関係を持ったことを未成年淫行の罪で事件化しようと図る。そんな考えを持っているのは義父一人で、皆で作戦を練る。日本の法律でさえ、年齢差の近い場合(日本では5歳未満)の例外を設けているのにニューヨーク州はそんなガードもないのか。呆れたもんですな。
ディンクレイジはマリサを使って二人を逃がす算段をする。結果を見れば、若い二人の事件は、ディンクレイジとマリサのロマンスの触媒として機能している感じで、若い二人のお話は本流でないことが解るが、観ている最中はどうなるか解らないので落ち着かないのである。
最後は、現実的な人間には不自然に映るデウス・エクス・マキナの中でも質の良くない部類で、余り楽しめるとは言えない。
監督はレベッカ・ミラー。そんな名前の女優がいたなあと思っていたら、ご本人でありました。
2023年アメリカ映画 監督レベッカ・ミラー
ネタバレあり
現在の欧米映画は、就業機会均等の名目の下に異なる人種・民族起用を前提に話をこしらえるから妙につまらないものばかりとなる。
それでも、現在を描く映画では、その為に白人役に有色人種を使ったり(鑑賞者全員がその事実を理解できれば問題ないがそうとは思えない)、歴史改竄をする歴史劇などよりはずっとすっきり見られる。
就業機会均等とは恐らく別の理由で色々な人種が出て来るケースも多い。本作の場合、近年主役俳優に躍り出たピーター・ディンクレイジ演じる主人公の細君アン・ハサウェイの連れ子イヴァン・エリスンが混血である。
何度も言うようにここ10年くらい作られたメジャー映画における主役の夫婦(勿論事実婚を含む)は異人種カップルばかり。多様性 (diversity) が映画製作の多様性 (variety) を阻害している。実際に異人種結婚は多くなっているはずだが、さすがにこんなに多いわけがない。映画は現実を反映するものと信じて半世紀観続けて来たが、それも今は昔である。
そしてそのエリスン君が恋に落ちるのは、白人移民(ポーランド系という設定のように思われる)の娘ハーロウ・ジェーン。
また、ディンクレイジはご存知のように矮人であるから、アンとの組合せでは昔の映画を見なれた目にはちょっと変わったカップルに見える。そういう見方がいかんということでこういう映画が作られるのは解っているが、僕の目にはかなりわざとらしすぎるのである。
アンは潔癖症すぎるセラピスト。ディンクレイジはスランプに陥ったオペラ作曲家で、気分展開に町に出て飲み屋に入ったところ、恋愛依存症と自称する女船長マリサ・トメイに誘惑される。この時の経験を基に作った新作が好評を得るが、彼にセラピーを勧められた訪れたのがアンで、極めて喜劇的なシチュエーションが生れる。しかるに、映画はこの喜劇的な設定を生かさず、寧ろアンを退場させる理由としている。
観ていて落ち着かない映画である。落ち着かなく感じられる理由は、本流らしきものが二つあることだ。
一つはディンクレイジとマリサの騒ぎ。
もう一つの流れでは、保守の権化のようなハーロウの義父が18歳になったばかりのエリスン君が16歳の彼女と関係を持ったことを未成年淫行の罪で事件化しようと図る。そんな考えを持っているのは義父一人で、皆で作戦を練る。日本の法律でさえ、年齢差の近い場合(日本では5歳未満)の例外を設けているのにニューヨーク州はそんなガードもないのか。呆れたもんですな。
ディンクレイジはマリサを使って二人を逃がす算段をする。結果を見れば、若い二人の事件は、ディンクレイジとマリサのロマンスの触媒として機能している感じで、若い二人のお話は本流でないことが解るが、観ている最中はどうなるか解らないので落ち着かないのである。
最後は、現実的な人間には不自然に映るデウス・エクス・マキナの中でも質の良くない部類で、余り楽しめるとは言えない。
監督はレベッカ・ミラー。そんな名前の女優がいたなあと思っていたら、ご本人でありました。
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