映画評「モン・パリ」(1973年)

☆☆(4点/10点満点中)
1973年フランス映画 監督ジャック・ドミー
ネタバレあり

半世紀前映画館で予告編だけ見て、本編は結局観なかったと記憶する。何年かしてTVで観たが、ジャック・ドミーの監督作品ということを考えると失望の一編だった。今回もその印象は大して変わらない。

パラレル・ワールドの江戸時代で女将軍が君臨する「大奥」という邦画がある。女将軍でも他の役目を女性が担っても全然構わないが、妊娠・出産するのが女性である以上、認知の問題があり、男性が何十人もいる大奥なるものは存在しえないので、馬鹿馬鹿しいことこの上なかった。
 大奥は子供を持つかどうかで待遇に大きな差が出る。父親が誰か解らないのでそれこそ問題である。結局同時に抱えられるのは一人だけで、予備の為にもう一人二人いても良いが、大所帯にするのは全く意味がない。つまり、男が出産する設定にしない限りは噴飯もののお話なのである。妊娠すれば、違う意味でバカバカしくなるので、結局は児戯の域を出ないお話にしかならない。

翻って、こちらは美容院を経営する妻カトリーヌ・ドヌーヴの間に一人の子供がある、自動車の教官マルチェロ・マストロヤンニが妊娠する。しかし、左脳人間にはこれがまるで面白くない。
 何故面白くないかと言えば、専門家がホルモン異常を指摘こそすれ、さすがにないもの(子宮)ができるわけがなく、それを説明しない以上、単なる空騒ぎに終わるのが目に見えるからである。

映画は常識に立脚して初めて成り立つもので、ナンセンス・コメディーとてそれは同じ。常識から外れるからナンセンスと感じられるわけである。しかし、外すのは横の方向であるべきで、下の方向では困る。
 多分本作は「大奥」と違って常識以下ではなく横にずらした程度だろうが、どちらもフェミニズムの為に作られたと容易に解ってしまうのがつまらない。本作の場合、男も妊娠すれば女性の扱いの不平等さが解るだろうってなもんである。
 男性監督のドミーが作っているからその辺の嫌味は少ないような気がするが、底は浅い。ミシェリーヌ・プレールもミレイユ・マチュー(本人役)も出ているというのに何てことだ。

ドミーらしいカラフルな画面が楽しいから、もう少し★を増やそうかとも思ったのだが。

「ジャック・ドゥミの少年期」という邦題によって、従来ドミーだった表記がドゥミに代わった。それ以降実際の発音に近いドゥという表記がフランス映画関係者の間に定着。セシル・ドゥ・フランスなどである。ところが、マルキ・ド・サドもカトリーヌ・ドヌーヴもドゥであるべきところがそのまま、こういう揺れは少々気持ち悪い。僕は実際の発音に近い表記を基本としつつ、人口に膾炙した表記や (英語圏名の場合) 綴りとの間で色々と調整している。例えば、ジェラード・バトラーが実際の発音に近い表記で、綴りを考えてもこれは譲れない。

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