映画評「ヒッチコックの映画術」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
2022年イギリス映画 監督マーク・カズンズ
ネタバレあり
「ストーリー・オブ・フィルム 111の映画旅行」で僕を唸らせたマーク・カズンズが、アルフレッド・ヒッチコックを映像で論じて見せた。ヒッチコックを愛する僕が喜ばないわけがない。しかし、余りにも情報が多すぎてどうまとめて良いものか解らない。
凄いと言おうか、おとぼけも極ると言うべきは、実際にはヒッチコックは40年以上も前に亡くなっているのに、脚本・ナレーション:アルフレッド・ヒッチコックと冒頭に出すところである。(ドラマ)映画は嘘を上手く見せてなんぼというところに最大の価値があるわけで、それに関してカズンズ自身がヒッチコックを借りて、実践したわけである。
フィクショナルのところがあるドキュメンタリーという点で興味深いが、ヒッチコック論を述べる時これほど面白い仕掛けはないのではないか。
映画は上手く嘘をついて何ぼと言ったが、勘違いして貰っては困るのは、現実に立脚していなければならない。007やイーサン・ハントの活躍がいかに非現実に見えても、観客が手に汗を握って見るのはそこにきちんとした現実が横たわっているからである。これが嘘を上手くつくという意味である。科学的に多少の嘘があっても条件反射的に嘘だと思わせなければ大体OKである。
とは言っても、平安時代に現代人がタイムスリップしてすぐにコミュニケーションが取れてしまうなどというのはデタラメと言うべきで、条件反射的に嘘だと思わない観客が余りに常識を欠いているのである。同じ日本人と思うのは決定的に非常識である。古文であれほど苦労したと言うのに。しかも、実際には古文を読む以上に難しいことに、当時の発音は現代と大分違うので現代人の耳では聞きとれない筈だ。古文の専門家がタイムスリップしたとしても到底(すぐには)理解できないのではないか? 江戸時代なら古文の専門家なら理解できるだろう。
あるいは、就業機会均等を理由に歴史劇などに有色人種が白人役に配役されるのも認めがたい嘘である。何度も言うが、異世界であることを観客が承知している演劇では良くても、観客がスクリーンで行われていることは一種現実であると前提で見ている映画ではダメである。例えば、まだ歴史を勉強していない子供がエリザべス1世の時代に黒人の(俳優演ずる)英国大使が出てくれば、当時黒人の大使がいたと信じてしまう可能性がある。字幕等で事前に事実関係を知らせるのであれば問題ない。
閑話休題。
本編では【逃避】【欲望】【孤独】【時間】【充実】【高さ】とテーマが分けられているが、ヒッチコックと言えば当然【逃避】を扱う量が多くなる。それと内容的に関連するのが【欲望】【孤独】【充実】である。
技術的に面白いのは【時間】と最後の【高さ】だ。登場人物の状況によって時間が極めて重要になるわけで、ヒッチコックの映画にこれほど時計が出て来るかとびっくりしたが、御大は自在に時間を延ばしたり縮めたりして登場人物を大いにいびっている。実に面白い。
【高さ】は純粋に技術的な部分が多いが、僕が高校時代に「鳥」で感じたように “神の視点” に繋がっている。多くカズンズの意見であろう(但し彼は “ヒッチコックの視点” とする。監督が小説家同様神であるのも確か)が、 ヒッチコックが実際にそれらしいことを言っている(「鳥」)場合もある。この辺は実際に観て貰うに如くはないので、ざっくりと述べるに留めましょう。
ここに出て来る映像の一々が一つの例外もなく、今の若者風に言うとやばい(テンションが上がるの意)。とにかく美しい。階段を登場人物がただ上るだけのショットが美しい。これはヒッチコックが天才であるからだが、御大ほどでなくても、能力のある作家が撮ったショットは、断片的にそして意味を付加(説明)されて見れば、身震いするほど素晴らしいものに感じられるはずである。それを知らせてくれる点でカズンズの一連の仕事は評価されるべきと思う。
ヒッチコック・ファンは100%観るべし。そこまで行かなくても映画ファンを自認するなら観ないと損をする。
実力に比して世評は余り高くない。多分トリュフォーがヒッチコック御大にインタビューした「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」をきちんと読んだ人でないと理解しきれないのかもしれない。勿体ないなあ。これは本年断トツの1位である。初見で満点を付けた映画は、ブログを始めてからは初めてなのだから。ベスト選出には除外するのが僕のポリシーであるドキュメンタリーであっても、ある種のフィクションでもある以上、本年度の1位の位置は揺るがない。
2022年イギリス映画 監督マーク・カズンズ
ネタバレあり
「ストーリー・オブ・フィルム 111の映画旅行」で僕を唸らせたマーク・カズンズが、アルフレッド・ヒッチコックを映像で論じて見せた。ヒッチコックを愛する僕が喜ばないわけがない。しかし、余りにも情報が多すぎてどうまとめて良いものか解らない。
凄いと言おうか、おとぼけも極ると言うべきは、実際にはヒッチコックは40年以上も前に亡くなっているのに、脚本・ナレーション:アルフレッド・ヒッチコックと冒頭に出すところである。(ドラマ)映画は嘘を上手く見せてなんぼというところに最大の価値があるわけで、それに関してカズンズ自身がヒッチコックを借りて、実践したわけである。
フィクショナルのところがあるドキュメンタリーという点で興味深いが、ヒッチコック論を述べる時これほど面白い仕掛けはないのではないか。
映画は上手く嘘をついて何ぼと言ったが、勘違いして貰っては困るのは、現実に立脚していなければならない。007やイーサン・ハントの活躍がいかに非現実に見えても、観客が手に汗を握って見るのはそこにきちんとした現実が横たわっているからである。これが嘘を上手くつくという意味である。科学的に多少の嘘があっても条件反射的に嘘だと思わせなければ大体OKである。
とは言っても、平安時代に現代人がタイムスリップしてすぐにコミュニケーションが取れてしまうなどというのはデタラメと言うべきで、条件反射的に嘘だと思わない観客が余りに常識を欠いているのである。同じ日本人と思うのは決定的に非常識である。古文であれほど苦労したと言うのに。しかも、実際には古文を読む以上に難しいことに、当時の発音は現代と大分違うので現代人の耳では聞きとれない筈だ。古文の専門家がタイムスリップしたとしても到底(すぐには)理解できないのではないか? 江戸時代なら古文の専門家なら理解できるだろう。
あるいは、就業機会均等を理由に歴史劇などに有色人種が白人役に配役されるのも認めがたい嘘である。何度も言うが、異世界であることを観客が承知している演劇では良くても、観客がスクリーンで行われていることは一種現実であると前提で見ている映画ではダメである。例えば、まだ歴史を勉強していない子供がエリザべス1世の時代に黒人の(俳優演ずる)英国大使が出てくれば、当時黒人の大使がいたと信じてしまう可能性がある。字幕等で事前に事実関係を知らせるのであれば問題ない。
閑話休題。
本編では【逃避】【欲望】【孤独】【時間】【充実】【高さ】とテーマが分けられているが、ヒッチコックと言えば当然【逃避】を扱う量が多くなる。それと内容的に関連するのが【欲望】【孤独】【充実】である。
技術的に面白いのは【時間】と最後の【高さ】だ。登場人物の状況によって時間が極めて重要になるわけで、ヒッチコックの映画にこれほど時計が出て来るかとびっくりしたが、御大は自在に時間を延ばしたり縮めたりして登場人物を大いにいびっている。実に面白い。
【高さ】は純粋に技術的な部分が多いが、僕が高校時代に「鳥」で感じたように “神の視点” に繋がっている。多くカズンズの意見であろう(但し彼は “ヒッチコックの視点” とする。監督が小説家同様神であるのも確か)が、 ヒッチコックが実際にそれらしいことを言っている(「鳥」)場合もある。この辺は実際に観て貰うに如くはないので、ざっくりと述べるに留めましょう。
ここに出て来る映像の一々が一つの例外もなく、今の若者風に言うとやばい(テンションが上がるの意)。とにかく美しい。階段を登場人物がただ上るだけのショットが美しい。これはヒッチコックが天才であるからだが、御大ほどでなくても、能力のある作家が撮ったショットは、断片的にそして意味を付加(説明)されて見れば、身震いするほど素晴らしいものに感じられるはずである。それを知らせてくれる点でカズンズの一連の仕事は評価されるべきと思う。
ヒッチコック・ファンは100%観るべし。そこまで行かなくても映画ファンを自認するなら観ないと損をする。
実力に比して世評は余り高くない。多分トリュフォーがヒッチコック御大にインタビューした「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」をきちんと読んだ人でないと理解しきれないのかもしれない。勿体ないなあ。これは本年断トツの1位である。初見で満点を付けた映画は、ブログを始めてからは初めてなのだから。ベスト選出には除外するのが僕のポリシーであるドキュメンタリーであっても、ある種のフィクションでもある以上、本年度の1位の位置は揺るがない。
この記事へのコメント
トリュフォーの本を”キチンと”とは言えないけれど一応読んだ人間としてコレはそそられますな。
ヒッチさんの作品は内容がミステリーなだけに、純粋に技術的な話がしやすいですよね。
映画館で見た「フレンジー」を今でも思い出しては唸ってしまう十瑠なのです。
>博士の力が入った文章なのにコメントが・・。
いつものことですが(笑)
観ていない人が案外多いのかも?
>トリュフォーの本を”キチンと”とは言えないけれど一応読んだ人間として
説明されて見ると、元々素晴らしい映像の一々が倍増されて美しいのですよ。ヒッチコック好きでなくても、それは感じられるはずなのですが。初期のサイレント映画の画面があんなに素晴らしかったとは(僕が持っているソフトに比べて物理的に綺麗ということがあるにせよ)。
>ヒッチさんの作品は内容がミステリーなだけに、純粋に技術的な話がしやすいですよね。
そうなのです。
>映画館で見た「フレンジー」を今でも思い出しては唸ってしまう十瑠なのです。
あれは凄かった。僕も大のお気に入り。最初の空撮からの導入部と、カメラがバックしていくところ。
私もヒッチコックのファンでありながら本作を未見でしたので、今回ようやく観ました。
これは楽しいヒッチコック分析映画ですね。
ヒッチコック御大が自身の作品について語るという、嘘の設定が面白いです。
世評が振るわないのは、この設定が気に入らない人が多いのかも知れないですが、こういう楽しい嘘なら全然問題ないでしょう。
それにしても、取り上げられる映像の数々は何もかもが美しくて、ヒッチコック作品を再鑑賞したい強い衝動に駆られました。
私が一番好きなのは「めまい」!
それに続いて「疑惑の影」「海外特派員」「鳥」「北北西に進路を取れ」がベスト5です。
と言っても、ヒッチコックは本当に傑作が多く、大好きな作品も多すぎて、もはや選びきれません。
>世評が振るわないのは、この設定が気に入らない人が多いのかも知れない
そうかもしれません。
こういうところに余り潔癖になる必要もないと思いますがね。
>取り上げられる映像の数々は何もかもが美しくて、ヒッチコック作品を再鑑賞したい強い衝動に駆られました。
本当に。
幸い、代表的作品は全てハイビジョンで持っています^^v
>私が一番好きなのは「めまい」!
>それに続いて「疑惑の影」「海外特派員」「鳥」「北北西に進路を取れ」がベスト5です。
全く同感。
これらは映像表現の極北ですね。
相変わらず探し物は出てこないので早々に諦めて図書館で借りたが復刻版が出てからでも、もう20年も経っている。
1950年代から60年代にかけてあちこちに書いた記事のスクラップなんだが、中には初出が1964年3月号「高2コース」っていうのがあって、タイトルが『ヒッチコックは、ほんとうによく映画を知っている』というヒッチファンもJJファンも泣いて喜びそうなやつなんだ。
ヒッチ来日時にJJおじさんが緊張したからか、「趣味は何ですか?」というしょーもない質問をして「何を聞くねん。映画に決まっとるやろ!」と一喝されたと告白してたのが面白かった。
以上、植草甚一の文体模写に挑戦しましたが、やはり最後は関西人体質を暴露してしまいました。
思い返せば、人生で一番最初に覚えた映画監督の名前がヒッチコックでしたね。
もちろんテレビのヒッチコック劇場です。
なんでも日本では1957年からテレビ放映されたこのシリーズ、当初は一般家庭にテレビが普及していなかったのでJJ氏も毎週放映時間になると街のテレビのある飲食店を探して彷徨っておられたようで、隔世の感がありますなぁ…
>スクラップブックシリーズに「ヒッチコック万歳!」
恥ずかしながら植草甚一の名はよく知りながらも、本としては読んだことはないので、この本借りてきますデス。
>植草甚一の文体模写に挑戦しましたが、やはり最後は関西人体質を暴露してしまいました。
あははは。
今度借りて来る本で、どこまで頑張れたか把握したいと思います^^
>人生で一番最初に覚えた映画監督の名前がヒッチコックでしたね。
僕もそうじゃないかなあ。
こちらは「スクリーン」で憶えたと思います。
植草甚一は10歳くらい年上のヒッチコックより半年くらい早く亡くなっていますね。最後の作品まで観られたのは良かったです。
その何年か後、彼の所有するジャズのレコードをタモリが買い取ったと、購読していた「月刊テレパル」なる音楽雑誌で知りました。タモリの持っているオーディオ機器が凄くて、聴きに行きたくなったものです。
ヒッチコックやアガサ・クリスティーは、いかにも英国、英国のよさを感じさせてくれる作家ですが、西洋全体で観ると、ドイツやフランスなど大陸系の文化と補完し合うようなものかもしれないですね。
>若い頃ワイマール共和国で、ムルナウのそばで映画作りを学んだとあって
その関係もあって、サイレント時代は、訛りを気にする必要がないので、ドイツの俳優を起用したこともありました。
>ワイマールは当時の西洋文化の中心地だったんだろうな
少なくとも、映画は世界のトップでした。
ナチスのせいでドイツは謂わば映画後進国となり果て、復活するまで30年くらいかかりました。
>西洋全体で観ると、ドイツやフランスなど大陸系の文化と補完し合うようなものかもしれないですね。
少し離れるかもしれませんが、ビートルズが現在のような形での成功があったのも、極論すれば、ドイツ時代の修行のおかげと思います。それもあってか、彼らは「抱きしめたい」「シー・ラブズ・ユー」のドイツ語バージョンを作っていますね。
髪型その他、ドイツの女性写真家アストリッド・ヒルヒヘアから得るところも多いようです。
上ではまちがえてました、すいません!
わざわざ有難うございました。
かく言う僕も、アストリッド・キルヒヘア(キルヒャー)をヒルヒヘアと書いてしまいました^^;