映画評「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2017年日本映画 監督・湯浅弘章
ネタバレあり

吃音者が出て来る映画はよくある。しかし、吃音をテーマに吃音者を主役にした映画は余り観た記憶がない。そんな珍しいタイプの本作は、押見修造なる漫画家のコミックの実写映画化である。

数年前にWOWOWに出ていたが、当時は今ほどは観たい映画がないわけでもないので、観なかった。今年NHK-BSが出したのを録画し、観たい映画がない時期を見計らって観てみた。

ヒロイン志乃(南沙良)は家や一人でいる時は普通に喋れるが、他人の聞き手がいると吃って全く喋れず、進学したばかりの高校の教室で浮いてしまう。そんな中、偶然起きた小事件の結果、性格きつめの女生徒・加代(蒔田彩珠)と親しくなる。彼女は音楽好きなのに音痴という弱点があり、同病相憐れむ関係ということが判って来る。逆に志乃は歌では吃らないし、加代より遥かに歌が上手い。
 加代は躊躇する志乃を押し切って文化祭でフォーク・デュオとして演奏を披露することにし、思い切って外で演奏を始める。加代自身も外で演奏するには勇気が必要だったようだ。そうこうするうちに夏休み最後の日(?)に、お調子者で以前志乃をからかった菊地(萩原利久)と遭遇、意外にも自分を仲間に入れてくれと頼む。彼もまた孤独だったのである。
 しかし、その直後から自信を持ち始めたように見えた志乃がおかしくなり、コンビ解消を一方的に宣言する。加代も遂には諦め、結局一人で舞台に立つ。

甘い友情ドラマにしなかったのが良い。
 志乃の態度急変が解りにくいと言えば解りにくいが、加代の演奏が終わった直後に突然ほぼスムーズに話した志乃の言葉をヒントにすると、夏休みが終わりいよいよ本番が近づいたので “逃げた” ということではないだろうか。親友加代は勿論菊地とは関係ない自分の内なる問題であったのである。

文化祭の後、彼女に飲み物を差し出す第三の友人候補が現れたところで終わり。こうした人が次々と出て来ることで、彼女の吃音は改善していくだろう。

どんな状態でも吃る吃音者もいるだろうが、緊張した時に口がこわばって上手く喋れないという人が多いだろうと想像する。かく言う僕も、過度に緊張すると軽度ながら吃る。適度な緊張は寧ろプラスに働き、一番スムーズに話せる。映画に出て来る担当教師の推測は妥当である。
 しかし、志乃の中にあったのは自分を追い込む自分である。吃音者は多くこれに近いことも感じると思う。吃ると思うと余計吃る悪循環に陥るのである。

わがコミュニティーに班長になっても定期的な会合に出てこない人がいた。対人恐怖症ではないが、人が大勢いるところには出られない人だったのである。僕より幾つか年下だが、子供の頃一応知っていた。山にある我が家の畑の下に住んでいるという関係で、本年5月に生れて初めて彼と話した。3か月後に熱中症で孤独死(母親は施設で健在)したのを9月に知って驚いた。最初で最後の会話であった。

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