映画評「湖の女たち」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2023年日本映画 監督・大森立嗣
ネタバレあり
吉田修一の社会派ミステリーを大森立嗣が自ら脚色して映画化した力作だが、思いが強すぎて空回りしてしまった感じ。
湖に近い介護施設(病院内施設?)で101歳の男性が人工呼吸器の不調で突然死する。
刑事の浅野忠信と部下・福士蒼汰は殺人と見て、一番可能性の高い介護士・財前直見の犯行と決めつけ、冤罪覚悟で自白調書を取ろうとする。大ベテラン浅野がかくも人権無視するようになった要因は、17年前の薬害事件を権力の圧力によってつぶされたことにある。
その薬害事件を調べる若い雑誌記者・福地桃子は、被害者が80年前に731部隊の生体実験に絡んだ元軍人と掴み、未亡人三田佳子によれば、部隊に絡んでロシア人と日本人の子供を殺した少年がかの薬害事件にも絡んでいる。しかし、薬害事件はまたも圧力で解明できないまま頓挫し、彼女は17年前の浅野と同じ無力感に苛まれる。
彼女は、謎の投稿動画から、介護施設で働くベテラン職員根岸季衣の孫娘が事件に絡んでいると踏むが、浅野が極秘で調べたルートの監視カメラの映像からは証拠らしきものが出て来ない。
浅野と福士は、かの介護士から暴力的な自白強要で訴えられると自ら認めて失職する。
実話を色々と取り込んでいる。
Allcinemaの投稿者K氏は2003年の滋賀県での不審死事件をモデルと踏み2016年と推測できる舞台設定は731に合わせる為だろうと考えているが、残念ながらそれは見当違いで、 “生産性のない人間は死ぬべきだ” という主張に対する反発を明確に主題としていることを考えると、2016年相模原市障碍者施設大量殺人が第一のモデルである。だから2016年なのである。ミステリーの要素として2003年の事件も考慮されただろう。
その他2018年に杉田水脈議員が【新潮45】廃刊に至らしめた“LGBTは生産性がない”事件がほぼそのまま採用され、それに根岸季衣の孫娘が共鳴しているところまで美人記者は掴むのだが、惜しいかな証拠がない。彼女には満州で子供たちが犠牲者を連れて行く80年前の場面と、生物部の生徒たちが施設に向う場面がオーヴァーラップする。
このテーマを考える時、何かしらの欲求不満を抱えている福士刑事が、取り調べの最中に見出した介護士松本まりかのマゾ気質を絡めて関係がエスカレーションしていく様をあそこまで丁寧に描く必要があったか疑問である。生と死をめぐって色々と共鳴し合う終盤の場面群の一つを成しているところに多少意味を感じる程度。
僕は “くだらない” といった表面的な理解に留まる人が多い世評よりはずっと買うが、この二人の関係がかなり不快な気持を惹起するので、大いにマイナスになったと言わざるを得ない。
彼女が車を刑事の車にぶつけたり、敢えて男性刑事の前で肩脱ぎするのは彼女のマゾヒズムが起こしたものと後になって僕は気づかされたし、終盤犯人だと自白するのは勿論自虐である(ここに至ればその瞬間に理解できる)。心理学的にはつまらなくはないが、やはり内容を混乱させるだけなので大幅に削減すべきであったと思う。
「ゲルマニウムの夜」を作った大森監督は勿論原作者の吉田修一にもそういう悪趣味なところがある。
この題名に吉田喜重監督「女のみずうみ」を思い出す人は、相当の映画マニアですな。
2023年日本映画 監督・大森立嗣
ネタバレあり
吉田修一の社会派ミステリーを大森立嗣が自ら脚色して映画化した力作だが、思いが強すぎて空回りしてしまった感じ。
湖に近い介護施設(病院内施設?)で101歳の男性が人工呼吸器の不調で突然死する。
刑事の浅野忠信と部下・福士蒼汰は殺人と見て、一番可能性の高い介護士・財前直見の犯行と決めつけ、冤罪覚悟で自白調書を取ろうとする。大ベテラン浅野がかくも人権無視するようになった要因は、17年前の薬害事件を権力の圧力によってつぶされたことにある。
その薬害事件を調べる若い雑誌記者・福地桃子は、被害者が80年前に731部隊の生体実験に絡んだ元軍人と掴み、未亡人三田佳子によれば、部隊に絡んでロシア人と日本人の子供を殺した少年がかの薬害事件にも絡んでいる。しかし、薬害事件はまたも圧力で解明できないまま頓挫し、彼女は17年前の浅野と同じ無力感に苛まれる。
彼女は、謎の投稿動画から、介護施設で働くベテラン職員根岸季衣の孫娘が事件に絡んでいると踏むが、浅野が極秘で調べたルートの監視カメラの映像からは証拠らしきものが出て来ない。
浅野と福士は、かの介護士から暴力的な自白強要で訴えられると自ら認めて失職する。
実話を色々と取り込んでいる。
Allcinemaの投稿者K氏は2003年の滋賀県での不審死事件をモデルと踏み2016年と推測できる舞台設定は731に合わせる為だろうと考えているが、残念ながらそれは見当違いで、 “生産性のない人間は死ぬべきだ” という主張に対する反発を明確に主題としていることを考えると、2016年相模原市障碍者施設大量殺人が第一のモデルである。だから2016年なのである。ミステリーの要素として2003年の事件も考慮されただろう。
その他2018年に杉田水脈議員が【新潮45】廃刊に至らしめた“LGBTは生産性がない”事件がほぼそのまま採用され、それに根岸季衣の孫娘が共鳴しているところまで美人記者は掴むのだが、惜しいかな証拠がない。彼女には満州で子供たちが犠牲者を連れて行く80年前の場面と、生物部の生徒たちが施設に向う場面がオーヴァーラップする。
このテーマを考える時、何かしらの欲求不満を抱えている福士刑事が、取り調べの最中に見出した介護士松本まりかのマゾ気質を絡めて関係がエスカレーションしていく様をあそこまで丁寧に描く必要があったか疑問である。生と死をめぐって色々と共鳴し合う終盤の場面群の一つを成しているところに多少意味を感じる程度。
僕は “くだらない” といった表面的な理解に留まる人が多い世評よりはずっと買うが、この二人の関係がかなり不快な気持を惹起するので、大いにマイナスになったと言わざるを得ない。
彼女が車を刑事の車にぶつけたり、敢えて男性刑事の前で肩脱ぎするのは彼女のマゾヒズムが起こしたものと後になって僕は気づかされたし、終盤犯人だと自白するのは勿論自虐である(ここに至ればその瞬間に理解できる)。心理学的にはつまらなくはないが、やはり内容を混乱させるだけなので大幅に削減すべきであったと思う。
「ゲルマニウムの夜」を作った大森監督は勿論原作者の吉田修一にもそういう悪趣味なところがある。
この題名に吉田喜重監督「女のみずうみ」を思い出す人は、相当の映画マニアですな。
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