映画評「関心領域」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2023年イギリス=ポーランド=アメリカ合作映画 監督ジョナサン・グレイザー
ネタバレあり
アカデミー賞の作品賞と国際長編映画賞という二つの作品賞候補になり、後者を受賞した話題作だが、ユダヤ人が出てこないホロコーストものというアングルが評価されたものと思う。ユダヤ人の強いアメリカでは受賞しやすかったかもしれない。尤も、カンヌでもグランプリ(2番目の作品賞)を取っている。
アウシュヴィッツ収容所の隣に居を構える、所長ルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーゲル)一家を牧歌的に捉え、その中で何気なく恐ろしい言葉を語らせる。時に牧歌的な風景の外から収容所での不穏な音が聞こえ、その狭間で遺灰をめぐる箇所などドッキリとするショットがインサートされる。
知識がある程度あり敏感な人ならゾッとする映画であろう。題名が逆説的に示しているが、収容所で行われていることに対するヘス家の無関心ぶりがテーマで、隣で毎日相当数の人々が毒殺され焼却されているというのに、ヘス夫人(サンドラ・ヒュラー)は夫が別所へ赴任することを嫌がり、自分はこの土地を楽天と思い離れようとしない。自分の理想的な生活以外に関心を持たない鈍感ぶりは恐ろしいという外ない。
本編中背景音楽らしきものがないのは収容所からの音に鑑賞者の関心を向けさせる為である。
ソラリゼーションのように見えるモノクロ映像はサーモグラフィーらしいが、実は意味を掴みかねていた。2回目は、レジスタンスの少女がリンゴなどを運んで埋めている様子を描いているらしい。
あるいは、本編が始まる前と終わった後の音楽付き無映像など、こういう気取った若しくは芸術ぶったところに辟易する鑑賞者が日本には多いようである。
イングマル・ベルイマンやフェデリコ・フェリーニの映画が時に芸術映画と言われるが、そんなことはなく大体においてそれらは純文学映画と表現すべきだ。本作は内容において純文学映画であるが、表現に実験的即ち芸術映画的なところを含み、時に一人合点になりすぎるところがある。
反面、英国のジョナサン・グレイザーは固定のロング・ショットの監督で、それを長回しで撮ることが多い。このスタイルは冷淡さを帯びるから、主題の展開にふさわしく感じられる。スタイルと主題が見事にマッチしていると言って良い。
世界には自分の知らないところで色々な不都合がある。鑑賞者におかれては自分以外のことにも関心を向けましょうというところまで敷衍しようという狙いがあるのかもしれないが、そこまで理解できる人はどのくらいいるだろうか?
この半世紀くらいで【他人事】が “たにんごと” と誤って読まれるようになったせいか、【自分事】という言い方が生れた。僕らが子供の頃は【我が事】と言っていた。僕が気にしている他の言葉の問題よりは小さなことだが、関心という意味で思い出した。
因みに、主人公はヒトラーの盟友であるルドルフ・ヘスとは別人。オリジナルでの綴りが違うので、同姓でもない。
昨日 IMDb に行ったら久しぶりにログアウト状態だった。ログインしようとすると、昔のEメール・アドレスへ認証コードが送られるので、続行できない。仕方なく新規にアカウントを作ったが、こうなると既に投票を行った1万数千本の投票結果が確認できない。これが僕にとって重要なのは既に観たか否か即座に確認できることだが、それが不可になった。二重認証システムには困らせられることが多い。旧アカウントでログインする方法がないものか、それが僕の関心領域です。
2023年イギリス=ポーランド=アメリカ合作映画 監督ジョナサン・グレイザー
ネタバレあり
アカデミー賞の作品賞と国際長編映画賞という二つの作品賞候補になり、後者を受賞した話題作だが、ユダヤ人が出てこないホロコーストものというアングルが評価されたものと思う。ユダヤ人の強いアメリカでは受賞しやすかったかもしれない。尤も、カンヌでもグランプリ(2番目の作品賞)を取っている。
アウシュヴィッツ収容所の隣に居を構える、所長ルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーゲル)一家を牧歌的に捉え、その中で何気なく恐ろしい言葉を語らせる。時に牧歌的な風景の外から収容所での不穏な音が聞こえ、その狭間で遺灰をめぐる箇所などドッキリとするショットがインサートされる。
知識がある程度あり敏感な人ならゾッとする映画であろう。題名が逆説的に示しているが、収容所で行われていることに対するヘス家の無関心ぶりがテーマで、隣で毎日相当数の人々が毒殺され焼却されているというのに、ヘス夫人(サンドラ・ヒュラー)は夫が別所へ赴任することを嫌がり、自分はこの土地を楽天と思い離れようとしない。自分の理想的な生活以外に関心を持たない鈍感ぶりは恐ろしいという外ない。
本編中背景音楽らしきものがないのは収容所からの音に鑑賞者の関心を向けさせる為である。
ソラリゼーションのように見えるモノクロ映像はサーモグラフィーらしいが、実は意味を掴みかねていた。2回目は、レジスタンスの少女がリンゴなどを運んで埋めている様子を描いているらしい。
あるいは、本編が始まる前と終わった後の音楽付き無映像など、こういう気取った若しくは芸術ぶったところに辟易する鑑賞者が日本には多いようである。
イングマル・ベルイマンやフェデリコ・フェリーニの映画が時に芸術映画と言われるが、そんなことはなく大体においてそれらは純文学映画と表現すべきだ。本作は内容において純文学映画であるが、表現に実験的即ち芸術映画的なところを含み、時に一人合点になりすぎるところがある。
反面、英国のジョナサン・グレイザーは固定のロング・ショットの監督で、それを長回しで撮ることが多い。このスタイルは冷淡さを帯びるから、主題の展開にふさわしく感じられる。スタイルと主題が見事にマッチしていると言って良い。
世界には自分の知らないところで色々な不都合がある。鑑賞者におかれては自分以外のことにも関心を向けましょうというところまで敷衍しようという狙いがあるのかもしれないが、そこまで理解できる人はどのくらいいるだろうか?
この半世紀くらいで【他人事】が “たにんごと” と誤って読まれるようになったせいか、【自分事】という言い方が生れた。僕らが子供の頃は【我が事】と言っていた。僕が気にしている他の言葉の問題よりは小さなことだが、関心という意味で思い出した。
因みに、主人公はヒトラーの盟友であるルドルフ・ヘスとは別人。オリジナルでの綴りが違うので、同姓でもない。
昨日 IMDb に行ったら久しぶりにログアウト状態だった。ログインしようとすると、昔のEメール・アドレスへ認証コードが送られるので、続行できない。仕方なく新規にアカウントを作ったが、こうなると既に投票を行った1万数千本の投票結果が確認できない。これが僕にとって重要なのは既に観たか否か即座に確認できることだが、それが不可になった。二重認証システムには困らせられることが多い。旧アカウントでログインする方法がないものか、それが僕の関心領域です。
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