映画評「身代わり忠臣蔵」

☆☆(4点/10点満点中)
2024年日本映画 監督・河合勇人
ネタバレあり

近年の時代劇はコメディー路線が隆盛である。時代劇をコミカルにするのは良いが、常識未満では困る。

本作はお馴染み忠臣蔵の吉良上野介義央の弟・孝証が身代わりになることになって史実とは少々違う形で起こるドタバタを描く。瓜二つという設定の兄弟にはムロツヨシが扮しているように、喜劇ではなく笑劇即ちギャグ色が強い。
 しかし、開巻後6割辺りからシリアス路線にシフト・チェンジ、“ありゃ韓国スタイルかいな”と思わせておいて、首をラグビーのように扱うブラック・ユーモアがあって、韓国スタイルを免れたのは良い。但し、ちょっと不謹慎ではありましょうな。

作劇上のミスは、大石内蔵助(永山瑛太)に事件の前に美人を侍らせた饗宴を楽しませていること。後の仇討ちの為の陽動作戦として酒宴に明け暮れる偽装をする効果がこの場面があるが為に出て来ない。単なる贅沢なおじさんにしか見えない。この陽動作戦は「忠臣蔵」の肝なのであるから、非常にまずい作劇だ。

義央が死んでしまったので折良く戻っていた瓜二つの孝証=一応実在する模様=を身代わりにさせるアイデアを側用人(林遣都)が案出するところまでは良いとして、お金で釣るのは意味がない。生存中に影武者にしようとする段で提示するのは良いが、義央が死に吉良家の当主とされた孝証にとってそれはほぼ自分の金である。これをするなら、孝証にその旨を言わせたらその奇妙な点が生きたが。
 家臣の一人(寛一郎)の言葉遣い・態度もデタラメだ。「影武者」の影武者と違って、彼はれっきとした吉良家の人間で、当主になった以上(ならなくても、だろうが)上司に当たるわけだから、そんな態度が許されるわけがない。
 大事な影武者を外でうろつかせるのもどうかしている。これでは家臣が阿呆だとしか思えなくなる。こういうのを常識未満と言う。余りにも現代感覚に過ぎるであろう。

逆に、大石と孝証が討ち入りを相談するというアイデアは史実を利用した作品として面白味があるし、死んだ義央が役に立つというアイデアが喜劇の味付けとして大いに機能している。そこで上のラグビーもどきの首の取り合いが出てくる次第。

土橋章宏という人の小説が原作。ご本人は不満と思っているのではないかと想像していたら、当人が脚色もしていました。原作もこの通りの常識未満なのかな。
 ここのところ見られたコメディー時代劇は殆どこの人が原作と脚本を担当しているらしい。そういうことでしたか。一種のシリーズなのですな。

こういう改変ものは、変えて良いところと変えてはいけないところの区分が難しいわけです。

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