映画評「オッペンハイマー」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2023年アメリカ=イギリス合作映画 監督クリストファー・ノーラン
ネタバレあり
広島と長崎への原爆投下に結び付く原爆開発計画マンハッタン計画の指導者となったJ・ロバート・オッペンハイマーの伝記的映画だが、クリストファー・ノーランが映画化した以上、並大抵の伝記になっていないはず、と映画ファンなら想像するだろう。
日本でも他国同様に2023年7月に封切られるべきだったが、被爆者への忖度から公開が延び延びとなり、アカデミー賞作品賞受賞報道直後に輸入が決定されたと記憶する。良くないですな。
兄弟夫婦が共産党員、二度目の妻キティ(エミリー・ブラント)も共産党員だったこともあるオッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は、そうした背景を心配されながらも、マンハッタン計画の技術責任者に選任され、ニューメキシコの砂漠地帯ロスアラモスに研究所を作り、1945年7月に実験を成功させる。
爆弾を積んだジープが去っていくショットがチェーンの音の効果もあって、妙に苦みを感じさせた後、広島への原爆投下成功に関係者が湧き上がるのに反して、本作ではオッペンハイマーはこの時に初めてその威力に対して恐怖を感じたように描かれる。会場で答辞する彼の後ろが揺れて画面全体が光で白っぽくなり、会場にいる美人の皮膚が剥げるような描写を幻想的に映し出す。
日本では、広島・長崎への投下場面がないと一部で批判の声が上がったが、その代りをして十分以上の効果のある表現であると思う。原爆はともかく水爆開発に意味を見出せないオッペンハイマーの一種の苦痛を描く人間劇において、そうした社会派ドラマのような扱いは無粋である。映画にはそれにふさわしいジャンルがあるということを知っておかなければならない。
彼の水爆に対する態度や彼の研究仲間の行為などから、赤狩り時代ということもあって風当たりが強くなってスパイ容疑をかけられる。この容疑自体は証拠なしということになるが、結局原子力委員会から職務停止を言い渡される。彼をそのような方向に持っていった委員ストローズ(ロバート・ダウニー・ジュニア)自身も委員に選任されない憂き目に遭う。
ここに象徴されるのは科学者と政治家は相容れないということだ。
その一環であろう、この公聴会の模様は、オッペンハイマー側から描く際にはカラー、ストローズ側から描く時にはモノクロという差別化が図られている。
劇中、日本は降参しない(ので原発投下が必要)と言う意見が述べられたかと思うと、終盤には負けが決まっていた日本に原爆を落とした(必要のない殺傷をした)という無念の意見も出て来る。良識のあるアメリカ人はこの思いに苦しんだにちがいない。オッペンハイマーがそうした人々を象徴する。原爆開発と原爆投下とは彼にとっては全く別次元のものだ。
一度作られ複数の国で持っている以上、核兵器をゼロにすることはもはやできない。人類は何とも厄介なものを作ったものだ。
ストローズの委員選任に反対した一人として後のケネディー大統領の名前が挙げられている。そのケネディーの一族から反ワクチンの変な人物が現れた。僕の友人に反ワクチン派がいて、電話をかける度にかなり長くその話をされて苦笑させる。彼に言わせるとコロナ・ワクチンが脳梗塞と心筋梗塞を増やしている、と言う。メジャーのメディアからも、心筋炎になる可能性があるとは聞いた。しかるに、現状では、梗塞が増やしたと彼らの言う死亡者数が、ワクチンが減らしたと仮想されるコロナによる死亡者を上回るというデータは出ていないだろう。少なくとも2023年の発表では前年から平均寿命はプラスに転じている。これはワクチンがコロナの死亡者をある程度までに抑えたからと思う。それでも2023年は3万人がコロナで亡くなったと聞く。
2023年アメリカ=イギリス合作映画 監督クリストファー・ノーラン
ネタバレあり
広島と長崎への原爆投下に結び付く原爆開発計画マンハッタン計画の指導者となったJ・ロバート・オッペンハイマーの伝記的映画だが、クリストファー・ノーランが映画化した以上、並大抵の伝記になっていないはず、と映画ファンなら想像するだろう。
日本でも他国同様に2023年7月に封切られるべきだったが、被爆者への忖度から公開が延び延びとなり、アカデミー賞作品賞受賞報道直後に輸入が決定されたと記憶する。良くないですな。
兄弟夫婦が共産党員、二度目の妻キティ(エミリー・ブラント)も共産党員だったこともあるオッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は、そうした背景を心配されながらも、マンハッタン計画の技術責任者に選任され、ニューメキシコの砂漠地帯ロスアラモスに研究所を作り、1945年7月に実験を成功させる。
爆弾を積んだジープが去っていくショットがチェーンの音の効果もあって、妙に苦みを感じさせた後、広島への原爆投下成功に関係者が湧き上がるのに反して、本作ではオッペンハイマーはこの時に初めてその威力に対して恐怖を感じたように描かれる。会場で答辞する彼の後ろが揺れて画面全体が光で白っぽくなり、会場にいる美人の皮膚が剥げるような描写を幻想的に映し出す。
日本では、広島・長崎への投下場面がないと一部で批判の声が上がったが、その代りをして十分以上の効果のある表現であると思う。原爆はともかく水爆開発に意味を見出せないオッペンハイマーの一種の苦痛を描く人間劇において、そうした社会派ドラマのような扱いは無粋である。映画にはそれにふさわしいジャンルがあるということを知っておかなければならない。
彼の水爆に対する態度や彼の研究仲間の行為などから、赤狩り時代ということもあって風当たりが強くなってスパイ容疑をかけられる。この容疑自体は証拠なしということになるが、結局原子力委員会から職務停止を言い渡される。彼をそのような方向に持っていった委員ストローズ(ロバート・ダウニー・ジュニア)自身も委員に選任されない憂き目に遭う。
ここに象徴されるのは科学者と政治家は相容れないということだ。
その一環であろう、この公聴会の模様は、オッペンハイマー側から描く際にはカラー、ストローズ側から描く時にはモノクロという差別化が図られている。
劇中、日本は降参しない(ので原発投下が必要)と言う意見が述べられたかと思うと、終盤には負けが決まっていた日本に原爆を落とした(必要のない殺傷をした)という無念の意見も出て来る。良識のあるアメリカ人はこの思いに苦しんだにちがいない。オッペンハイマーがそうした人々を象徴する。原爆開発と原爆投下とは彼にとっては全く別次元のものだ。
一度作られ複数の国で持っている以上、核兵器をゼロにすることはもはやできない。人類は何とも厄介なものを作ったものだ。
ストローズの委員選任に反対した一人として後のケネディー大統領の名前が挙げられている。そのケネディーの一族から反ワクチンの変な人物が現れた。僕の友人に反ワクチン派がいて、電話をかける度にかなり長くその話をされて苦笑させる。彼に言わせるとコロナ・ワクチンが脳梗塞と心筋梗塞を増やしている、と言う。メジャーのメディアからも、心筋炎になる可能性があるとは聞いた。しかるに、現状では、梗塞が増やしたと彼らの言う死亡者数が、ワクチンが減らしたと仮想されるコロナによる死亡者を上回るというデータは出ていないだろう。少なくとも2023年の発表では前年から平均寿命はプラスに転じている。これはワクチンがコロナの死亡者をある程度までに抑えたからと思う。それでも2023年は3万人がコロナで亡くなったと聞く。
この記事へのコメント
>広島・長崎への投下場面がない
ぎゃくにそれがよかったというか、ポルノ的になるのを避けて、なおかつ原爆のおそろしさを描くのに成功していたと見ました。
政府のプロジェクトで新兵器開発、となると、スパイの心配が出てくるのも分かりました。冷戦期はソ連の脅威から、赤狩りが起こるんですね、それが政治の世界の争いに利用されたりする。どろどろしてましたね。
オッペンハイマーが若い頃、共産主義が若いインテリの間で進歩的な思想として流行っていたんですね。彼を取り調べる年配のメンバーがそのことを覚えていて理解を示したりするのもおもしろかったです。
>原爆のおそろしさを描くのに成功していたと見ました。
そうですね。
非難者の言わんとするところは、アメリカ人にもっと原爆の恐ろしさを知らせるべきだということでしょうが、そういうのは一般のアメリカ人は観ないですし、ドキュメンタリーでアメリカにも一応紹介されていますよ。観るのは殊勝な方ばかりでしょうが。
>政府のプロジェクトで新兵器開発、となると、スパイの心配が出てくるのも分かりました。
これは当然ありうべき状態だったでしょうね。
>冷戦期はソ連の脅威から、赤狩りが起こるんですね
まずい時に大変な新兵器が作られたわけです。
>オッペンハイマーが若い頃、共産主義が若いインテリの間で進歩的な思想として流行っていたんですね。
1920年代30年代に流行り、若い時のフーバーが徹底的に取り締まったので、労働運動の激しいようなのをやる人間は一掃されました。FBIが巨大になる理由にもなりましたね。
平和主義的な人々はGHQなどにも少なからずいたようですが、赤狩りはそういう連中もターゲットに。
3時間の長尺作品につき、この休日にやっと観られました。
この作品に関しては、オカピーさんが言いたいことを言ってくれています。
広島や長崎の描写がないから駄目だ!という批判が多いのは困りものですね。
オッペンハイマーの苦悩が十二分に描かれた本作を観て、そのような的外れな意見が出てくるのは悲しいことです。
しかも、素人ならともかく、プロの批評家と言われる人まで同じようなことを言っているのは如何なものかと思いましたね。
>3時間の長尺作品につき、この休日にやっと観られました。
長い映画は、まとまった時間がないと、なかなか観られません。
時間があると思われている僕にしても、再鑑賞の場合、2時間を超えると躊躇しますよ。
>広島や長崎の描写がないから駄目だ!という批判が多いのは困りものですね。
nesskoさんへのコメントでも書いたように、被爆者に寄り添うスタンスの知識人は、アメリカ映画である本作を通してアメリカ人にもっと原爆の悲惨さを伝えてほしいという意識があると思います。しかし、それを打ち出したら見る人は減りますよ。
また、意識の高いアメリカ人は、ドキュメンタリーで既に観ているはずですので、殆ど無意味でしょう。
意味の無いことの為に映画の純度を下げてしまうくらい勿体ないことはないです。
少なくともこの辺りは解って欲しいのですが。