古典ときどき現代文学:読書録2025年春号
今秋にウィンドウズ10のサポートが終わるというので、晩夏にでもウィンドウズ11搭載の新パソを買おうと思っていたところ、旧パソのキーボードが今一つ具合の悪いことになったり、朝一にご飯を食べながら配信の映画でも観ようとすると最低でも10分以上待たされる(パソコンは使用期間が長くなると色々遅くなるのは何故?)のに豪を煮やして遂に4、5か月予定より早く購入することに。
ひと月前に25年ぶりに会った元同僚(後輩)にパソコンの話をしたところ、HDDではなくSSD(フラッシュメモリー)タイプが早くて良いよ、と言っていたので、SSDパソにしました。確かに1分前後で、実質待ち時間なしに映画が見られるようになり、便利この上ない。
本稿も既に新パソで書いています。外国ブランドの日本仕様につき、文字の切り替えが少し手間なのが欠点。
さて本論ですが、3か月に一回になってから、モーリス・ルブランと京極夏彦を毎回読んでいますね。僕を読書好きにしたアルセーヌ・ルパンの作者ルブランは毎回2作ずつ再読し、京極は1編ずつ(但しその一編が長い)。いずれにしても、昔読んだものを含めてミステリーの比率が高くなっているのが現状です。
野間宏の大著「青年の輪」(文庫本にすれば4000ページくらいと思う)を1年かけて読了。今回が最後ですね。
それとは対照的に短い芥川賞シリーズも続いていて、毎回3、4人取り上げるので、来年中には新作レベルにまで行ってしまうかも。まあ、kindle が壊れてから図書館に借りる方法を唯一の読書手段としているので、順番が回ってこない新作はリアルタイムには読めないでしょうが、流行を追わない人間故タイミングには拘らない。
大古典は、1600年ほど前の漢籍「世説新語」と1000年ほど前の我が国の「和漢朗詠集」の二つ。3か月の短期間だから少ないとは言えないですね。
「世界の複数性についての対話」なる天文に関する、知る人ぞ知る300余年前の読み物も大古典になりましょうか?
残りは、例によって、映画化された作品が多い(実際に数えたら多いとまでは言えず)。話は既に知っているので新奇性は味わえないものの、脚本家がどのようにいじったか寧ろ映画鑑賞者側のお楽しみがあるわけです。
前口上はこのくらいにしましょう。それでは、リストをご笑覧ください。
オルダス・ハクスリー
「ガザに盲いて」
★★映画でも一時期大流行した複数の時間軸が順不同に提示される形で進む。その時間軸が章名になっているので、その点において解りにくさがない一方、当然煩わしさは残る。主人公は、少年時代からの友人を、その恋人とのキスを敢行することで自殺に追い込んでしまった二十代の時代を経、平和主義に傾いていく。そういう明確なストーリーの合間合間に哲学的な思弁が繰り出され、十分には解読しかねる小説。タイトルは聖書由来らしい。現在大変なことになっているガザとは英語の綴りが違うが、その地域を指しているはず。
「すばらしき新世界」
★★★1950年代に発売された旧字体旧仮名遣いのものしかない上と違って、こちらは新訳が色々と出ている。ディストピアSFで、受精の時点で外観も知能も操作される管理社会。殆どの女性が子供を産まなくとも、特殊な培養で何十人も同じような子供が生まれ、徹底した洗脳教育で、カーストについて何の疑問も持たないように育てられる。主人公バーナードはトップのアルファ階級だがミスで下層階級の外観を持つ二重性で、彼によって野蛮人保護区から文明社会に連れてこられたジョンはその純粋性で、文明社会を少々混乱させる。
辻 邦生
「嵯峨野明月記」
★★★本阿弥光悦、俵屋宗達、角倉素庵という実在の人物が一人一人独白する形式で進行し、信長⇒秀吉⇒家康と変わっていく時代のきな臭さを背景に揺曳せながら、芸術至上主義の立場を浮かび上がらせる。見事な文章と思う。
三島 由紀夫
「宴のあと」
★★★★1950年代に2回知事選に出て落選した社会党の有田八郎とその後妻畔上輝井(あぜがみてるい)をモデルにして、プライバシー侵害で裁判になったことが話題になるが、輝井の心情に焦点を当てて進行する小説として実にがっちりとして短いながらも読み応えがある。また、江戸時代以来(?)日本文学の伝統である着物の描写など見事な美文と言うべし。有田八郎に関するウィキペディアの説明が論理的に変だ。輝井が夫の二度目の出馬の為に資金の担保として自分の料亭をたたもうとしたのが59年であるのに、 “再開でもめて55年に離婚”とある。55年の離婚は恐らく正しいと思われるので、”再開でもめて” というのが余分なのではないか?
劉 義慶(編)
「世説新語」
★★★中国南北朝時代に書かれた個人の説話を大量に集めたもの。ごく短いので大変読みやすいのが良く、教訓になりそうな発言・行動が少なくない。テーマごとに取り上げる為、再三出て来る人物もいる。第14巻【容止篇(美男子の逸話集)】を読んだその日に、NHK「チコちゃん」でそこに所収されている何晏の挿話が紹介された。あらら。
モーリス・ルブラン
「金三角」(再)
★★★★アルセーヌ・ルパンがドン・ルイス・ペレンナというスペイン貴族風の名前で登場する「813」に次ぐ作品。前半はルパンもどきの傷痍軍人が看護婦をする訳あり美女をめぐる陰謀に巻き込まれていく。後半は、悪漢に対して二人が陥る危機をドン・ペレンナが救い、事件を解決する。「オルヌカンの城」に似た二代に渡る謎だが、あれはルパンがほぼ出てこず、サスペンスより愛国冒険劇になりすぎていた。あちらよりは勿論断然面白い。
「三十棺桶島」
★★★引き続きベレンナもので、なかなかペレンナ即ちルパンが登場せず、2/3くらいになって漸く現れる。「金三角」では前半の主人公がルパンもどきの軍人なのでまだ良かったが、こちらは果敢に行動するとは言っても女性なのでちょいとイライラさせられる。奇怪ミステリーと言うべき話も少々大袈裟すぎてどうかと思うところもなくはないが、収斂の仕方がルブランは上手いので、最終的には程々満足してしまう。
F・W・クロフツ
「クロイドン発12時30分」(再)
★★★★フレンチ刑事ものだが、それ以上に倒叙ミステリーとして非常に有名。高校時代に「樽」と共に読んだ時はこちらが相当面白いと思った。当時ほど興奮はしないものの、楽しく読めた。倒叙であるから当然犯人側の行動計画とその遂行が最初にあるわけだが、その意味では「罪と罰」も倒叙ミステリーの要件を含んでいる。
吉村 萬壱
「ハリガネムシ」
★★第129回(2003年上半期)芥川賞受賞作。こういう肉食系ばかりが出て来る生々しい小説は苦手。ハリガネムシはカマキリなどの寄生虫で、やがてカマキリを操って死に至らしめることも多い。風俗嬢と懇ろになって内に心理的ハリガネムシを飼うようになった教師の破滅型人生を綴る。実際に破滅するとは限らないが。
綿矢 りさ
「蹴りたい背中」
★★★★第130回(2003年下半期)芥川賞受賞作その一。軽快な文章である一方、「・・・。」という、僕らが子供の頃に習った西洋文学流の会話表記を採る。いつからか日本文学の鍵括弧内の会話の最後は句点がないのが一般的になったが、この早熟少女は違いましたな。孤独な高校生男女が同病相憐れむ関係になっていく青春小説。孤独と言いながら全く妙な性格なので陰鬱に落ち込まず、疾走感すら感じさせる。この前後の芥川賞受賞作品が精神的にも肉体的にも暴力的で僕の趣味に反するのに対して、この植物性が心地よい。
金原 ひとみ
「蛇にピアス」
★★★上と同時期に受賞した作品で、上記作者が19才、本作作者が20才という若い少女作家というのが話題になりましたな。この辺りから芥川賞を受賞すると大多数の作品がかなり売れるようになった気がする。髪の毛を染めたこともパーマもかけたことがない自然派の僕には全く縁のない世界で興味が持ちにくい。但し、自分の人生に現実感がないということから過激に走るところに普遍性があり、「ハリガネムシ」よりはピンと来る。
カマラ・ライエ
「アフリカの子」
★★★★アフリカでの本来の呼び方ではライエ・カマラらしい。自伝。ギニアのイスラム教徒の少年が、一方では蛇と会話の出来る鍛冶屋の父親の影響を受けながらも都会で教育を受け、やがてフランスへ渡るまで。前半に神秘的な野趣が目立つ。植民地時代のギニアの実情を描いていないと批判されることもあったようだが、無粋と言うべし。それがないほうが普遍的で、日本の子供たちも素直に読める。
ジャメイカ・キンケイド
「アニー・ジョン」
★★★意図したわけではないのに似た傾向の作品が続く。こちらは自伝的小説。カリブ海の英国領アンティグアに生れた少女が、親とりわけ母親との確執を経て成長していく。呪術的な医療などやはり野趣満載である一方、女児同士の交流に面白味がある。恋人とも言っていた女友達がスノッブに落ちた為に縁が遠くなるといったところからも、モデルである作者の孤高さを感じる次第。
野間 宏
「青年の環 第五巻: 炎の場所」
★★★文庫本にすれば4000ページを超えるであろう大著を遂に読了。時代背景はドイツがポーランドに侵攻した1939年9月。部落出身の山師・田口を支点のようにして、彼の悪行に絡んでいる実父を追及する大道出泉と、部落の福利厚生充実に奮闘する市役所職員にして共産主義者・矢花正行の行動を心理の動きスタイルの用法を取り入れて対位法のように進行する。とりわけ出泉の部分はプルーストの如き細かい心理描出が多く、その彼が探偵のように活躍するプロットの部分が面白い。拳銃まで出て来てちょっとハードボイルドだ。戦前を舞台にした別の小説でも拳銃が出て来るので、現在ほどピストルがうるさく取り締まられていないことが伺われるのも興味深い。
京極 夏彦
「狂骨の夢」
★★★★京極夏彦の百鬼夜行シリーズは、謂わば伝奇ミステリーの【進化論】的展開だ。京極堂が “不思議なことは世の中に一つもない” と言うように、とりわけ本作の伝奇部分は科学的に分解されてしまう。京極堂らのスタンスでは、オカルトも心理学も人間の考えた物語であり、京極堂は神道的エクソシストでありながら、そうした物語の上を行くわけである。僕は本作に出てくるような博覧強記的知識や衒学趣味が大好きだから相当面白く読めるが、そうでない人のことも考えて前作までより★一つ少なくする。文章は擬1950年代文だが、“猟奇”や“なんだろう”などは明らかに現在読者に寄せた意味・表現となっている。
鮎川 哲也
「黒いトランク」
★★★松本清張「点と線」より前の時刻表トリック・ミステリーであるが、それよりタイトルが示すようにトランクを使ったトリックを探偵たる鬼貫刑事が解いていくのが妙味。二番目の被害者が彼の昔の恋人の出来の悪い夫であった為、かつての恋人同士が推理し合うなどロマンス気分があるが、後発の松本清張に比べて、戦前の英米本格派に似て潤いを欠くところがある。
仁木 悦子
「暗い日曜日」
★★作者と同じ名前の仁木悦子が探偵役かと思いきや、兄の雄太郎がホームズで彼女はワトソンであった。著名な文学者の死体を発見した悦子に死者の手帖に残された “紫式部” の文字の意味を問われた雄太郎が即答し、呆気なく解決する。仁木兄妹の初出作品かと思ったら大分後の作品でした。短編なのでちょっとした味を楽しむべし。
「猫は知っていた」
★★★昔から知っていた! やっと読みましたよ。間取りが出てくるなど実に古典的。現在でこそ女流のミステリー作家は多いが、その草分け的な仁木悦子は脚が悪くて寝たきり、後年車椅子になった。病院の一室に間借りすることになった仁木兄妹が院長の義母と入院患者一人の同時失踪の真相を解く。二木兄妹もの長編第1作で、やはり妹が語り手兼助手、兄がホームズ役。二木悦子には車椅子探偵ものはないのだろうか?
ギュンター・グラス
「猫と鼠」
★★★語り手が英雄的で荒くれ者の友人について語るところが「グラン・モーヌ(モーヌの大将)」に似ている。さしずめ20世紀ドイツ版といったところ。時代背景が戦中で、反体制的即ち反ナチス的な青春ドラマだ。
ベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネル
「世界の複数性についての対話」
★★★ガリレイの「天文対話」より半世紀後に書かれた天文案内書。この頃になると地動説は科学者の間ではかなり定着していて、女性相手にそれを丁寧に説明するという体裁で進み、“世界の複数性” は地球以外の惑星に生命がいてもおかしくない、という説を意味する。現在では環境上の理由で火星以外に生命がいる可能性は否定されているが、ジュール・ヴェルヌ的SFのパンフレット版のように読める。
アントニー・バージェス
「時計じかけのオレンジ」
★★★★僕が新米映画ファンだった頃大いに騒がれた同名映画の原作。登場人物がぐっと若いので、ある意味映画よりハードでありつつ、穏当な着地をする。そこをどう思うかで評価は分かれよう。アメリカでは映画に近い形で最終章を削って紹介されたらしい(逆に言えば、だから映画は穏当とは言えない終わり方になった)。不良の若者たちはロシア語をベースにしたナッドサット語を使う。僕はTVで再鑑賞した時ロシア語と思い、ハラショーではなく、ホーラショーとした原田眞人の新表記に違和感を覚えたが、通りがかりの人から”ナッドサット語だから、それでいいのだ”と言われ、納得した。
藤原公任(撰)
「和漢朗詠集」
★★★★和歌と日本人の漢詩で成るものと思っていたが、全804編のうち588編選ばれた漢詩に関しては白居易が138編を占めるなど本場の人の手になるものが多い。目的が朗詠と知って納得した。勅撰和歌集同様に、四季から入っていく。項目ごとに本場の漢詩、日本人の漢詩、和歌(短歌)という流れで構成されている。和歌は古今集などに収録された有名なものも数多く採録されるが、漢詩に関してはさすがに殆ど知らない。平安時代に白居易が文学の神のように崇められていたとは聞いていたが、この作品に触れるとそれが確かと知れる。漢詩もなかなか良いものだ。
ジョン・ディクスン・カー
「皇帝のかぎ煙草入れ」(再)
★★★★「幻の女」のようなサスペンス性もある本格ミステリーで、アガサ・クリスティーがトリックに脱帽したと言う。殺人を目撃しながらそれを告白しにくい「私は告白する」的なシチュエーションにあるヒロインが容疑者となる設定がまず面白い。犯人が企てたトリックと偶然生まれたトリックが絡み合う面白味に加え、トリックに関わる巧みなミスリードに唸る。
イーディス・ウォートン
「無垢の時代」
★★映画「エイジ・オブ・イノセンス」の原作。19世紀末から1920年くらいまで、中・上流階級の心理の交錯を丹念に綴る小説群が人気だった。その代表格ヘンリー・ジェイムズ、E・M・フォースター、フォード・マドックス・フォードなどの系列に準するのがこの作品。しかし、序盤で色々な人物の名前が相次いで出て来る人物相関図がなかなか整理できず、一文が長いせいもあって読むのに難儀する。ロシヤ貴族の夫から離れて帰国したエレン・オレンスカ伯爵夫人と結ばれたいと思いつつ、その従妹である婚約者メイとの関係をないがしろにはできない、英国貴族の伝統を引きずる、1870年頃の米国上流社会の柵の中で生きざるを得ない主人公の、同じ立場ながら考え方を異にする従姉妹同士たちとの隠微なやりとりが絶妙で、最後の余韻は抜群。しかし、一番似ているジェイムズのほうが読みやすく、またウォートンでは「歓楽の家」のほうが面白く読めた。因みに、オレンスカはオレンスキーの女性形としては間違いで、オレンスカヤが正しい。
皆川 博子
「双頭のバビロン」
★★★★エリッヒ・フォン・シュトロハイムをモデルにしたゲオルク・フォン・グリースバッハが主人公。大幅にカットされる憂き目に遭う映画は「グリード」そのものではないか。そのカットを行う女丈夫メイベル・ロウはユニヴァーサルのアーヴィング・タルバーグで、この人はフィッツジェラルド「ラスト・タイクーン」の主人公のモデルでもある。ユニヴァーサルはプラネットという名前となってい、皆川女史は念を入れてユニヴァーサルの名をちゃんと繰り出すことで煙幕を張っている。主人公が尊敬するウォーレン・アンドリュースのモデルはD ・W・グリフィスだが、先生はこれもちゃんと名前を出している。その作品「運命の門」は「イントレランス」にほかならない。ゲオルクにはユリアンというシャム双生児の片割れがいて、やがて互いに精神感応をし合って記憶を共有し、彼ら自身も時々どちらの記憶か曖昧になってしまう。京極夏彦「狂骨の夢」と似た設定で、虚実を巧みに織り交ぜた幻想小説の類として双頭ならで相当な読み物だ。やや重い序盤を乗り切れば、あとは一気呵成に読めるはず。読者が映画マニアなら面白さは倍加する。
ひと月前に25年ぶりに会った元同僚(後輩)にパソコンの話をしたところ、HDDではなくSSD(フラッシュメモリー)タイプが早くて良いよ、と言っていたので、SSDパソにしました。確かに1分前後で、実質待ち時間なしに映画が見られるようになり、便利この上ない。
本稿も既に新パソで書いています。外国ブランドの日本仕様につき、文字の切り替えが少し手間なのが欠点。
さて本論ですが、3か月に一回になってから、モーリス・ルブランと京極夏彦を毎回読んでいますね。僕を読書好きにしたアルセーヌ・ルパンの作者ルブランは毎回2作ずつ再読し、京極は1編ずつ(但しその一編が長い)。いずれにしても、昔読んだものを含めてミステリーの比率が高くなっているのが現状です。
野間宏の大著「青年の輪」(文庫本にすれば4000ページくらいと思う)を1年かけて読了。今回が最後ですね。
それとは対照的に短い芥川賞シリーズも続いていて、毎回3、4人取り上げるので、来年中には新作レベルにまで行ってしまうかも。まあ、kindle が壊れてから図書館に借りる方法を唯一の読書手段としているので、順番が回ってこない新作はリアルタイムには読めないでしょうが、流行を追わない人間故タイミングには拘らない。
大古典は、1600年ほど前の漢籍「世説新語」と1000年ほど前の我が国の「和漢朗詠集」の二つ。3か月の短期間だから少ないとは言えないですね。
「世界の複数性についての対話」なる天文に関する、知る人ぞ知る300余年前の読み物も大古典になりましょうか?
残りは、例によって、映画化された作品が多い(実際に数えたら多いとまでは言えず)。話は既に知っているので新奇性は味わえないものの、脚本家がどのようにいじったか寧ろ映画鑑賞者側のお楽しみがあるわけです。
前口上はこのくらいにしましょう。それでは、リストをご笑覧ください。
***** 記 *****
オルダス・ハクスリー
「ガザに盲いて」
★★映画でも一時期大流行した複数の時間軸が順不同に提示される形で進む。その時間軸が章名になっているので、その点において解りにくさがない一方、当然煩わしさは残る。主人公は、少年時代からの友人を、その恋人とのキスを敢行することで自殺に追い込んでしまった二十代の時代を経、平和主義に傾いていく。そういう明確なストーリーの合間合間に哲学的な思弁が繰り出され、十分には解読しかねる小説。タイトルは聖書由来らしい。現在大変なことになっているガザとは英語の綴りが違うが、その地域を指しているはず。
「すばらしき新世界」
★★★1950年代に発売された旧字体旧仮名遣いのものしかない上と違って、こちらは新訳が色々と出ている。ディストピアSFで、受精の時点で外観も知能も操作される管理社会。殆どの女性が子供を産まなくとも、特殊な培養で何十人も同じような子供が生まれ、徹底した洗脳教育で、カーストについて何の疑問も持たないように育てられる。主人公バーナードはトップのアルファ階級だがミスで下層階級の外観を持つ二重性で、彼によって野蛮人保護区から文明社会に連れてこられたジョンはその純粋性で、文明社会を少々混乱させる。
辻 邦生
「嵯峨野明月記」
★★★本阿弥光悦、俵屋宗達、角倉素庵という実在の人物が一人一人独白する形式で進行し、信長⇒秀吉⇒家康と変わっていく時代のきな臭さを背景に揺曳せながら、芸術至上主義の立場を浮かび上がらせる。見事な文章と思う。
三島 由紀夫
「宴のあと」
★★★★1950年代に2回知事選に出て落選した社会党の有田八郎とその後妻畔上輝井(あぜがみてるい)をモデルにして、プライバシー侵害で裁判になったことが話題になるが、輝井の心情に焦点を当てて進行する小説として実にがっちりとして短いながらも読み応えがある。また、江戸時代以来(?)日本文学の伝統である着物の描写など見事な美文と言うべし。有田八郎に関するウィキペディアの説明が論理的に変だ。輝井が夫の二度目の出馬の為に資金の担保として自分の料亭をたたもうとしたのが59年であるのに、 “再開でもめて55年に離婚”とある。55年の離婚は恐らく正しいと思われるので、”再開でもめて” というのが余分なのではないか?
劉 義慶(編)
「世説新語」
★★★中国南北朝時代に書かれた個人の説話を大量に集めたもの。ごく短いので大変読みやすいのが良く、教訓になりそうな発言・行動が少なくない。テーマごとに取り上げる為、再三出て来る人物もいる。第14巻【容止篇(美男子の逸話集)】を読んだその日に、NHK「チコちゃん」でそこに所収されている何晏の挿話が紹介された。あらら。
モーリス・ルブラン
「金三角」(再)
★★★★アルセーヌ・ルパンがドン・ルイス・ペレンナというスペイン貴族風の名前で登場する「813」に次ぐ作品。前半はルパンもどきの傷痍軍人が看護婦をする訳あり美女をめぐる陰謀に巻き込まれていく。後半は、悪漢に対して二人が陥る危機をドン・ペレンナが救い、事件を解決する。「オルヌカンの城」に似た二代に渡る謎だが、あれはルパンがほぼ出てこず、サスペンスより愛国冒険劇になりすぎていた。あちらよりは勿論断然面白い。
「三十棺桶島」
★★★引き続きベレンナもので、なかなかペレンナ即ちルパンが登場せず、2/3くらいになって漸く現れる。「金三角」では前半の主人公がルパンもどきの軍人なのでまだ良かったが、こちらは果敢に行動するとは言っても女性なのでちょいとイライラさせられる。奇怪ミステリーと言うべき話も少々大袈裟すぎてどうかと思うところもなくはないが、収斂の仕方がルブランは上手いので、最終的には程々満足してしまう。
F・W・クロフツ
「クロイドン発12時30分」(再)
★★★★フレンチ刑事ものだが、それ以上に倒叙ミステリーとして非常に有名。高校時代に「樽」と共に読んだ時はこちらが相当面白いと思った。当時ほど興奮はしないものの、楽しく読めた。倒叙であるから当然犯人側の行動計画とその遂行が最初にあるわけだが、その意味では「罪と罰」も倒叙ミステリーの要件を含んでいる。
吉村 萬壱
「ハリガネムシ」
★★第129回(2003年上半期)芥川賞受賞作。こういう肉食系ばかりが出て来る生々しい小説は苦手。ハリガネムシはカマキリなどの寄生虫で、やがてカマキリを操って死に至らしめることも多い。風俗嬢と懇ろになって内に心理的ハリガネムシを飼うようになった教師の破滅型人生を綴る。実際に破滅するとは限らないが。
綿矢 りさ
「蹴りたい背中」
★★★★第130回(2003年下半期)芥川賞受賞作その一。軽快な文章である一方、「・・・。」という、僕らが子供の頃に習った西洋文学流の会話表記を採る。いつからか日本文学の鍵括弧内の会話の最後は句点がないのが一般的になったが、この早熟少女は違いましたな。孤独な高校生男女が同病相憐れむ関係になっていく青春小説。孤独と言いながら全く妙な性格なので陰鬱に落ち込まず、疾走感すら感じさせる。この前後の芥川賞受賞作品が精神的にも肉体的にも暴力的で僕の趣味に反するのに対して、この植物性が心地よい。
金原 ひとみ
「蛇にピアス」
★★★上と同時期に受賞した作品で、上記作者が19才、本作作者が20才という若い少女作家というのが話題になりましたな。この辺りから芥川賞を受賞すると大多数の作品がかなり売れるようになった気がする。髪の毛を染めたこともパーマもかけたことがない自然派の僕には全く縁のない世界で興味が持ちにくい。但し、自分の人生に現実感がないということから過激に走るところに普遍性があり、「ハリガネムシ」よりはピンと来る。
カマラ・ライエ
「アフリカの子」
★★★★アフリカでの本来の呼び方ではライエ・カマラらしい。自伝。ギニアのイスラム教徒の少年が、一方では蛇と会話の出来る鍛冶屋の父親の影響を受けながらも都会で教育を受け、やがてフランスへ渡るまで。前半に神秘的な野趣が目立つ。植民地時代のギニアの実情を描いていないと批判されることもあったようだが、無粋と言うべし。それがないほうが普遍的で、日本の子供たちも素直に読める。
ジャメイカ・キンケイド
「アニー・ジョン」
★★★意図したわけではないのに似た傾向の作品が続く。こちらは自伝的小説。カリブ海の英国領アンティグアに生れた少女が、親とりわけ母親との確執を経て成長していく。呪術的な医療などやはり野趣満載である一方、女児同士の交流に面白味がある。恋人とも言っていた女友達がスノッブに落ちた為に縁が遠くなるといったところからも、モデルである作者の孤高さを感じる次第。
野間 宏
「青年の環 第五巻: 炎の場所」
★★★文庫本にすれば4000ページを超えるであろう大著を遂に読了。時代背景はドイツがポーランドに侵攻した1939年9月。部落出身の山師・田口を支点のようにして、彼の悪行に絡んでいる実父を追及する大道出泉と、部落の福利厚生充実に奮闘する市役所職員にして共産主義者・矢花正行の行動を心理の動きスタイルの用法を取り入れて対位法のように進行する。とりわけ出泉の部分はプルーストの如き細かい心理描出が多く、その彼が探偵のように活躍するプロットの部分が面白い。拳銃まで出て来てちょっとハードボイルドだ。戦前を舞台にした別の小説でも拳銃が出て来るので、現在ほどピストルがうるさく取り締まられていないことが伺われるのも興味深い。
京極 夏彦
「狂骨の夢」
★★★★京極夏彦の百鬼夜行シリーズは、謂わば伝奇ミステリーの【進化論】的展開だ。京極堂が “不思議なことは世の中に一つもない” と言うように、とりわけ本作の伝奇部分は科学的に分解されてしまう。京極堂らのスタンスでは、オカルトも心理学も人間の考えた物語であり、京極堂は神道的エクソシストでありながら、そうした物語の上を行くわけである。僕は本作に出てくるような博覧強記的知識や衒学趣味が大好きだから相当面白く読めるが、そうでない人のことも考えて前作までより★一つ少なくする。文章は擬1950年代文だが、“猟奇”や“なんだろう”などは明らかに現在読者に寄せた意味・表現となっている。
鮎川 哲也
「黒いトランク」
★★★松本清張「点と線」より前の時刻表トリック・ミステリーであるが、それよりタイトルが示すようにトランクを使ったトリックを探偵たる鬼貫刑事が解いていくのが妙味。二番目の被害者が彼の昔の恋人の出来の悪い夫であった為、かつての恋人同士が推理し合うなどロマンス気分があるが、後発の松本清張に比べて、戦前の英米本格派に似て潤いを欠くところがある。
仁木 悦子
「暗い日曜日」
★★作者と同じ名前の仁木悦子が探偵役かと思いきや、兄の雄太郎がホームズで彼女はワトソンであった。著名な文学者の死体を発見した悦子に死者の手帖に残された “紫式部” の文字の意味を問われた雄太郎が即答し、呆気なく解決する。仁木兄妹の初出作品かと思ったら大分後の作品でした。短編なのでちょっとした味を楽しむべし。
「猫は知っていた」
★★★昔から知っていた! やっと読みましたよ。間取りが出てくるなど実に古典的。現在でこそ女流のミステリー作家は多いが、その草分け的な仁木悦子は脚が悪くて寝たきり、後年車椅子になった。病院の一室に間借りすることになった仁木兄妹が院長の義母と入院患者一人の同時失踪の真相を解く。二木兄妹もの長編第1作で、やはり妹が語り手兼助手、兄がホームズ役。二木悦子には車椅子探偵ものはないのだろうか?
ギュンター・グラス
「猫と鼠」
★★★語り手が英雄的で荒くれ者の友人について語るところが「グラン・モーヌ(モーヌの大将)」に似ている。さしずめ20世紀ドイツ版といったところ。時代背景が戦中で、反体制的即ち反ナチス的な青春ドラマだ。
ベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネル
「世界の複数性についての対話」
★★★ガリレイの「天文対話」より半世紀後に書かれた天文案内書。この頃になると地動説は科学者の間ではかなり定着していて、女性相手にそれを丁寧に説明するという体裁で進み、“世界の複数性” は地球以外の惑星に生命がいてもおかしくない、という説を意味する。現在では環境上の理由で火星以外に生命がいる可能性は否定されているが、ジュール・ヴェルヌ的SFのパンフレット版のように読める。
アントニー・バージェス
「時計じかけのオレンジ」
★★★★僕が新米映画ファンだった頃大いに騒がれた同名映画の原作。登場人物がぐっと若いので、ある意味映画よりハードでありつつ、穏当な着地をする。そこをどう思うかで評価は分かれよう。アメリカでは映画に近い形で最終章を削って紹介されたらしい(逆に言えば、だから映画は穏当とは言えない終わり方になった)。不良の若者たちはロシア語をベースにしたナッドサット語を使う。僕はTVで再鑑賞した時ロシア語と思い、ハラショーではなく、ホーラショーとした原田眞人の新表記に違和感を覚えたが、通りがかりの人から”ナッドサット語だから、それでいいのだ”と言われ、納得した。
藤原公任(撰)
「和漢朗詠集」
★★★★和歌と日本人の漢詩で成るものと思っていたが、全804編のうち588編選ばれた漢詩に関しては白居易が138編を占めるなど本場の人の手になるものが多い。目的が朗詠と知って納得した。勅撰和歌集同様に、四季から入っていく。項目ごとに本場の漢詩、日本人の漢詩、和歌(短歌)という流れで構成されている。和歌は古今集などに収録された有名なものも数多く採録されるが、漢詩に関してはさすがに殆ど知らない。平安時代に白居易が文学の神のように崇められていたとは聞いていたが、この作品に触れるとそれが確かと知れる。漢詩もなかなか良いものだ。
ジョン・ディクスン・カー
「皇帝のかぎ煙草入れ」(再)
★★★★「幻の女」のようなサスペンス性もある本格ミステリーで、アガサ・クリスティーがトリックに脱帽したと言う。殺人を目撃しながらそれを告白しにくい「私は告白する」的なシチュエーションにあるヒロインが容疑者となる設定がまず面白い。犯人が企てたトリックと偶然生まれたトリックが絡み合う面白味に加え、トリックに関わる巧みなミスリードに唸る。
イーディス・ウォートン
「無垢の時代」
★★映画「エイジ・オブ・イノセンス」の原作。19世紀末から1920年くらいまで、中・上流階級の心理の交錯を丹念に綴る小説群が人気だった。その代表格ヘンリー・ジェイムズ、E・M・フォースター、フォード・マドックス・フォードなどの系列に準するのがこの作品。しかし、序盤で色々な人物の名前が相次いで出て来る人物相関図がなかなか整理できず、一文が長いせいもあって読むのに難儀する。ロシヤ貴族の夫から離れて帰国したエレン・オレンスカ伯爵夫人と結ばれたいと思いつつ、その従妹である婚約者メイとの関係をないがしろにはできない、英国貴族の伝統を引きずる、1870年頃の米国上流社会の柵の中で生きざるを得ない主人公の、同じ立場ながら考え方を異にする従姉妹同士たちとの隠微なやりとりが絶妙で、最後の余韻は抜群。しかし、一番似ているジェイムズのほうが読みやすく、またウォートンでは「歓楽の家」のほうが面白く読めた。因みに、オレンスカはオレンスキーの女性形としては間違いで、オレンスカヤが正しい。
皆川 博子
「双頭のバビロン」
★★★★エリッヒ・フォン・シュトロハイムをモデルにしたゲオルク・フォン・グリースバッハが主人公。大幅にカットされる憂き目に遭う映画は「グリード」そのものではないか。そのカットを行う女丈夫メイベル・ロウはユニヴァーサルのアーヴィング・タルバーグで、この人はフィッツジェラルド「ラスト・タイクーン」の主人公のモデルでもある。ユニヴァーサルはプラネットという名前となってい、皆川女史は念を入れてユニヴァーサルの名をちゃんと繰り出すことで煙幕を張っている。主人公が尊敬するウォーレン・アンドリュースのモデルはD ・W・グリフィスだが、先生はこれもちゃんと名前を出している。その作品「運命の門」は「イントレランス」にほかならない。ゲオルクにはユリアンというシャム双生児の片割れがいて、やがて互いに精神感応をし合って記憶を共有し、彼ら自身も時々どちらの記憶か曖昧になってしまう。京極夏彦「狂骨の夢」と似た設定で、虚実を巧みに織り交ぜた幻想小説の類として双頭ならで相当な読み物だ。やや重い序盤を乗り切れば、あとは一気呵成に読めるはず。読者が映画マニアなら面白さは倍加する。
この記事へのコメント
「狂骨の夢」は相当面白く読みましたが、「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」に比べると私もワンランク下に置いている感じですね。
次作「鉄鼠の檻」は熱心なファンの中には最高傑作に推す人もいるほどの作品ですが、個人的にはその凄さを完全に理解できてない部分もあります。
映画で例えるなら、イングマール・ベルイマン「野いちご」、マルセル・カルネ「天井桟敷の人々」、ジャン・ルノワール「大いなる幻影」みたいな、私には少し難しい作品という位置付けですね。
こちらもオカピーさんの感想を楽しみにしてます。
ジョン・ディクスン・カーの「皇帝のかぎ煙草入れ」!
昔読んで、このトリックは凄いなぁと感心した作品です。
アガサ・クリスティーが脱帽したのも納得ですね。
☆ 皆川博子 「双頭のバビロン」
もう読まれたのですね! 早っ! 高評価で良かったです。
子供の頃の愛読書ケストナーの「ふたりのロッテ」はさておき、大人になって読んだ双子モノはどれも本当に双子なのか怪しいのばっかりだったような気がします。
「悪童日記」しかり、クリストファー・プリーストの「双生児」、皆川博子の後継者?佐藤亜紀の「バルタザールの遍歴」、そして本作もかなり怪しい…いわゆる信頼できない語り手ってやつでしょうか?
☆ 鮎川哲也 「黒いトランク」
泉谷しげる 「黒いカバン」はここから?
☆ バージェス 「時計じかけのオレンジ」
未読ですが新井潤美の本によると、イギリスでは登場人物の言葉使いで階級がわかってしまうので、そこをはっきりさせない為に何かないかと思案したところ執筆前にソ連旅行をしていたのでロシア語にしたとか… 変な深読みをさせて人騒がせですね。
☆ ジョン・ディクスン・カー
カーター・ディクスンと紛らわしい2つの名前をどう使い分けていたんでしょう。 私的には当たり外れの大きい人です。「妖魔の森の家」とかは傑作らしいですが何が面白いのかさっぱり分かりませんでした。機会があれば御指南下さい。
☆ クロフツ
私も最近読み直しました。と言うか何を読んだのか読んでいないのか記憶になくて、とりあえず樽があっちこっちに漂流していたような記憶だけはありまして。
クロイドン発…は多分未読でしたが、今回読んでまぁ面白いけれど今となってはもうちょっと推敲してスピードアップして欲しい感じがしました。
>「狂骨の夢」
>「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」に比べると私もワンランク下に置いている感じですね。
面白さは変わらないと思いましたが、僕のような変人はともかく、一般読者にはこの情報量はヘヴィーだろう、ということで。
>次作「鉄鼠の檻」
>こちらもオカピーさんの感想を楽しみにしてます。
図書館に分冊版を予約してあります!
>ジョン・ディクスン・カーの「皇帝のかぎ煙草入れ」!
>昔読んで、このトリックは凄いなぁと感心した作品です。
読者の思い込みというものが厳然とあるものだ、と思いました。
>☆ 皆川博子 「双頭のバビロン」
>もう読まれたのですね! 早っ! 高評価で良かったです。
最近は昔のように長期スケジュールを組んでいないので、紹介されたら割合早く読める態勢となっております。
>いわゆる信頼できない語り手ってやつでしょうか?
双子であることは確かと思いますが、信頼できない語り手ではあるかも。
>☆ 鮎川哲也 「黒いトランク」
>泉谷しげる 「黒いカバン」はここから?
違うでしょうよ(笑)
>☆ バージェス 「時計じかけのオレンジ」
>変な深読みをさせて人騒がせですね。
なるほど。
>☆ ジョン・ディクスン・カー
>カーター・ディクスンと紛らわしい2つの名前をどう使い分けていたんでしょう。
作品傾向は余り変わらないような気がしますね。
>「妖魔の森の家」とかは傑作らしいですが何が面白いのかさっぱり分かりませんでした。機会があれば御指南下さい。
高校時代に読みましたが、当時僕もピンと来なかったです。
>☆ クロフツ
>クロイドン発…は多分未読でしたが、今回読んでまぁ面白いけれど今となってはもうちょっと推敲してスピードアップして欲しい感じがしました。
倒叙ものとは言っても本格ミステリー。戦前の本格ミステリーは遅いですね。
アントニー・バージェスの「時計じかけのオレンジ」は、アメリカ版では出版社の意向で最終章が削られており、スタンリー・キューブリック監督は、そのアメリカ版を元に映画化しているので、この原作と映画とでは結末が違うそうですね。
本国イギリス及びヨーロッパ版では、最終章まできちんと付いているそうですが。
映画も衝撃的だったのですが、原作もとにかくパワーのある作品でした。
アレックスたちの極悪非道ぶりもなかなか他に類を見ないものですが、文章にはバージェスの作り出した造語が沢山入っており、それが一種独特な雰囲気を作り上げていますね。
仲間は「ドルーグ」・男の子は「マルチック」、男性は「チェロベック」、女の子は「シャープ」、若い女性は「デボーチカ」、おばあさんは「バブーチカ」。
他にも「デング」「ハラショー」「スコリー」「モロコ」「ベスチ」などなど、ロシア語にヒントを得たという言葉が、饒舌なアレックスの一人語りにふんだんに散りばめられています。
そして、この作品で一番のポイントのように感じられたのは、アレックスが実はクラシック好きだったというところでしょうか。
外でどれだけ暴力を振るっても、自室に戻ると自慢のステレオでモーツァルトの「ジュピター交響曲」やバッハの「ブランデンブルク協奏曲」を聴いているアレックス。
そういった場面に、架空の音楽家や演奏者の名前が素知らぬ顔で混ざっているのが、とても可笑しいですね。
その音楽好きが、アレックスと仲間の反目の原因になり、後のルドビコ療法でも利いてくることになります。
そして、さらに後にはアレックスの変化による音楽の好みの変化も--------。
日本語版では、「デボーチカ」や「デング」といった言葉には「おんな」とか「かね」とかルビが振られていますが、原書にはそういう配慮はないようですね。
新井潤美さんの「不機嫌なメアリー・ポピンズ」に原文が紹介されていましたが、文章にいきなり見知らぬ単語が登場してました。
そのため読者は、文脈から意味を汲み取るしかなく、その解読で気を取られて言われていますね。
日本語版でも、いちいちルビを見るわけですから、原文よりも読みやすくなっているとはいえ、その効果は多少あるかもしれませんね。
>アントニー・バージェスの「時計じかけのオレンジ」は、アメリカ版では出版社の意向で最終章が削られており
文庫本の解説にそう書いてありましたね。
>仲間は「ドルーグ」・男の子は「マルチック」、男性は「チェロベック」、女の子は「シャープ」、若い女性は「デボーチカ」、おばあさんは「バブーチカ」。
>他にも「デング」「ハラショー」「スコリー」「モロコ」「ベスチ」など
ロシア語とは微妙に違いますけど、ロシア語を専攻しましたから、ロシア語由来ではない「シャープ」以外はルビがなくても解りました。一般の方は無理ですから、ルビがあったほうが良いでしょうね。
この綿矢りささんの第129回芥川賞受賞作品の「蹴りたい背中」は、前作の「インストール」に比べると、全体的にまとまりが良くなっているような気がします。
しかし、まとまりが良くなった分、前作の型にはまらない、伸び伸びとしたパワーのようなものが薄れてしまったようにも思えます。
女子高生ハツの自意識過剰ぶりを見ていると、こちらの居心地が悪くなってしまいそうです。
ハツは自分が上手く溶け込む自信がないのを棚に上げて、ひたすら突っ張っています。
他人を傷つけるのは平気だけれど、自分は傷つきたくないという女の子。
今の時代らしさがとてもよく出ていますね。
そんなハツだからこそ、素直に「手をつなぎたい」や「一緒にいたい」ではなく、「蹴りたい」となったのでしょう。
希薄な人間関係の中の、さらに希薄な友情と恋心。
主人公の目線から、さらりとリアルに描かれていますね。
>「インストール」に比べると
ふた昔前に映画版を観たことがありますが、原作の感覚は解らないですねえ。
暇があったら読んでも良いですが、いずれということで。
>他人を傷つけるのは平気だけれど、自分は傷つきたくないという女の子。
>「蹴りたい」となったのでしょう。
心のどこかに、「チコちゃんに叱られる」のキョエちゃんのように、”バカーは大好きって意味だよ”ということもあるかもしれませんね^^
仁木悦子さんの「猫は知っていた」について、コメント致します。
この作品が発表されたのは昭和32年、江戸川乱歩賞が一般公募形式になった最初の受賞作品だそうです。
舞台は昭和30年台始め頃の東京。医院の庭の片隅には防空壕があったり、悦子は「探偵小説」が大好きだったり、元陸軍少将「閣下」が登場したりと、そういう部分は少し古い時代の雰囲気なのですが、実際には全く古さを感じさせない作品ですね。
それどころか、明るく軽やかな文章がとても読みやすく、感覚的には新鮮ささえ感じさせられてしまいました。
とても68年も前に書かれたとは思えないですね。
却って最近の新本格系の作品の方が、古色蒼然とした作品が多いかもしれません。
探偵小説好きな仁木悦子が、兄の雄太郎と一緒に、警察とはまた別の推理を働かせるという形式も、きっとこれが原点となっているのでしょうね。
この兄妹はとにかく仲が良くて、読んでいても気持ちが良いぐらいです。
雄太郎がホームズ、悦子がワトスンという役回りで、試行錯誤をしながら、しかし、とても合理的な思考で、謎を解いていきます。
トリックに使われる小道具こそ、今の時代には到底通用しない物なのですが、しかし、人間の感情自体は今も昔も変わらないもの。
犯人がわかった後の仁木兄妹の心配りがとても心地良く、読後感もとても良かったですね。
>雄太郎がホームズ、悦子がワトスンという役回り
これ以前の本格派にもあったでしょうが、露骨にこれをやったのはこの兄妹のシリーズが最初かもしれませんね。