映画評「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2019年カナダ=アメリカ合作映画 監督ダニエル・ロアー
ネタバレあり
大学生になりたての頃初めて買ったザ・バンドのアルバムは、『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』(1968年)である。
音楽好きの間で評判が良かったからだが、ビートルズとほぼ同世代の平均年齢26歳の若者たちがやっている音楽とはとても思えず、余りに渋くてピンクならでピンと来なかった。だからこそ何度も聴くうちに良くなってきた。それも年数を重ねて中年とも言える年になってからだったような気がする。
メンバーのうち殆どの曲を書いたロビー・ロバートスン(ギター)、リヴォン・ヘルム(ドラムス)、リック・ダンコ(ベース)の名は憶え、他の二人は知らずにいた。
名曲「ザ・ウェイト」の歌声は、写真のイメージから髭ぼうぼうのガース・ハドスン(ピアノ、キーボード)と勝手に想像していたが、実はヘルムで、ダンコも部分的に歌っている。
ザ・バンドにはもう一人リチャード・マニュエルというキーボーディストがい、ざっと調べたところこの人が一番歌っているかもしれない。ロバートスンはまともにリード・ヴォーカルを取った曲が一つもない。
本作は、そのロバートスンの立場からザ・バンドの歴史を綴ったドキュメンタリーである。
アメリカのロックンローラー、ロニー・ホーキンズのバックバンド(ザ・ホークス)の一員としてドラムを叩いていたのがヘルム。時代の変遷で落ち目となってカナダへ行った際にヘルム以外のメンバーがバックバンドから脱退、ホーキンズがカナダで集めたのが上に挙げたメンバーだったという経緯がある。
そして1965年にボブ・ディランと縁が出来て、フォーク・ロックに転じたディランの後ろで弾き、保守的なディラン・ファンにブーイングされるうちに、ディランの隠遁地ニューヨーク州ウッドストックに大きなピンクの家を見つけ、ここでディランと共に音楽制作を行うようになる。その音源は1975年に共同名義で発表される『ザ・ベースメント・テープス』で聴ける。
その時とその後作った曲を集めて改名したザ・バンドの名で発表したのがその名も『ミュージック・フロム・ビック・ピンク』というわけでござる。
次の『ザ・バンド』(1969年)がプロの間では一番評判が良い(個人的にはファースト・アルバムのほうが好み)だが、この頃からバンドのメンバーは例に洩れず、麻薬に溺れるようになっていく。ロバートスンだけは一切手を付けなかったと言い、その辺りも絡めて、メンバーの間に亀裂が入って行ったらしい。
「ザ・ウェイト」でヴォーカルだけでなく素晴らしく印象的なドラムスを叩いているヘルムは、アレンジに大いに活躍したのに著作権料が貰えないことで、ロバートスンとの距離を空けていったらしい。アレンジに著作権料が発生しないのは世の決まりであるが、他のバンドでも同じもめごとがあったような気がする。
こうして行き詰り、ロバートスンは解散を宣言、ボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェル、エリック・クラプトン、ヴァン・モリスン、ニール・ヤングなど豪華メンバーを揃えての最終公演を行う。この映画にも出演しているマーティン・スコセッシが音楽ドキュメンタリー「ラスト・ワルツ」として仕上げている。
その後ロバートスンなしでザ・バンドは活動を再開するが、殆どの曲を書いていたロバートスンのいないザ・バンドは意味なしという立場、と言うか、ロバートスン側の立場で作られているので、全く触れられていない。
一番最初にそして一番重く麻薬に溺れたマニュエルは1986年に自死し、ダンコも99年に死去した。
2012年ロバートスンは、一方的に恨まれたヘルムの臨終の際に駆けつけたらしい。ぐっと来させるものがあったデス。そのロバートスンもこの映画の製作より後2023年に亡くなった。
インタビュイーとしてラスト・ワルツにも出演したクラプトン、モリスンの他にジョージ・ハリスン(アーカイブ出演)、ブルース・スプリングシティーンが登場する。ビートルズが “ゲット・バック・セッションズ” で「ザ・ウェイト」を軽く演奏しているのは必ずしもおちゃらけではなかったようだ。
ザ・バンドのバンド史を習うに良いドキュメンタリーと思う。少なくとも専ら聴くだけだった僕には大いに役に立った。
バンド名の“ザ”を省略するのが僕の通例であるが、ザ・バンドは省略すると一般名詞バンドと区別がつけにくいのでザ・バンドとするのデス。上で一ヶ所だけある“バンド”は一般名詞ですよん。
2019年カナダ=アメリカ合作映画 監督ダニエル・ロアー
ネタバレあり
大学生になりたての頃初めて買ったザ・バンドのアルバムは、『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』(1968年)である。
音楽好きの間で評判が良かったからだが、ビートルズとほぼ同世代の平均年齢26歳の若者たちがやっている音楽とはとても思えず、余りに渋くてピンクならでピンと来なかった。だからこそ何度も聴くうちに良くなってきた。それも年数を重ねて中年とも言える年になってからだったような気がする。
メンバーのうち殆どの曲を書いたロビー・ロバートスン(ギター)、リヴォン・ヘルム(ドラムス)、リック・ダンコ(ベース)の名は憶え、他の二人は知らずにいた。
名曲「ザ・ウェイト」の歌声は、写真のイメージから髭ぼうぼうのガース・ハドスン(ピアノ、キーボード)と勝手に想像していたが、実はヘルムで、ダンコも部分的に歌っている。
ザ・バンドにはもう一人リチャード・マニュエルというキーボーディストがい、ざっと調べたところこの人が一番歌っているかもしれない。ロバートスンはまともにリード・ヴォーカルを取った曲が一つもない。
本作は、そのロバートスンの立場からザ・バンドの歴史を綴ったドキュメンタリーである。
アメリカのロックンローラー、ロニー・ホーキンズのバックバンド(ザ・ホークス)の一員としてドラムを叩いていたのがヘルム。時代の変遷で落ち目となってカナダへ行った際にヘルム以外のメンバーがバックバンドから脱退、ホーキンズがカナダで集めたのが上に挙げたメンバーだったという経緯がある。
そして1965年にボブ・ディランと縁が出来て、フォーク・ロックに転じたディランの後ろで弾き、保守的なディラン・ファンにブーイングされるうちに、ディランの隠遁地ニューヨーク州ウッドストックに大きなピンクの家を見つけ、ここでディランと共に音楽制作を行うようになる。その音源は1975年に共同名義で発表される『ザ・ベースメント・テープス』で聴ける。
その時とその後作った曲を集めて改名したザ・バンドの名で発表したのがその名も『ミュージック・フロム・ビック・ピンク』というわけでござる。
次の『ザ・バンド』(1969年)がプロの間では一番評判が良い(個人的にはファースト・アルバムのほうが好み)だが、この頃からバンドのメンバーは例に洩れず、麻薬に溺れるようになっていく。ロバートスンだけは一切手を付けなかったと言い、その辺りも絡めて、メンバーの間に亀裂が入って行ったらしい。
「ザ・ウェイト」でヴォーカルだけでなく素晴らしく印象的なドラムスを叩いているヘルムは、アレンジに大いに活躍したのに著作権料が貰えないことで、ロバートスンとの距離を空けていったらしい。アレンジに著作権料が発生しないのは世の決まりであるが、他のバンドでも同じもめごとがあったような気がする。
こうして行き詰り、ロバートスンは解散を宣言、ボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェル、エリック・クラプトン、ヴァン・モリスン、ニール・ヤングなど豪華メンバーを揃えての最終公演を行う。この映画にも出演しているマーティン・スコセッシが音楽ドキュメンタリー「ラスト・ワルツ」として仕上げている。
その後ロバートスンなしでザ・バンドは活動を再開するが、殆どの曲を書いていたロバートスンのいないザ・バンドは意味なしという立場、と言うか、ロバートスン側の立場で作られているので、全く触れられていない。
一番最初にそして一番重く麻薬に溺れたマニュエルは1986年に自死し、ダンコも99年に死去した。
2012年ロバートスンは、一方的に恨まれたヘルムの臨終の際に駆けつけたらしい。ぐっと来させるものがあったデス。そのロバートスンもこの映画の製作より後2023年に亡くなった。
インタビュイーとしてラスト・ワルツにも出演したクラプトン、モリスンの他にジョージ・ハリスン(アーカイブ出演)、ブルース・スプリングシティーンが登場する。ビートルズが “ゲット・バック・セッションズ” で「ザ・ウェイト」を軽く演奏しているのは必ずしもおちゃらけではなかったようだ。
ザ・バンドのバンド史を習うに良いドキュメンタリーと思う。少なくとも専ら聴くだけだった僕には大いに役に立った。
バンド名の“ザ”を省略するのが僕の通例であるが、ザ・バンドは省略すると一般名詞バンドと区別がつけにくいのでザ・バンドとするのデス。上で一ヶ所だけある“バンド”は一般名詞ですよん。
この記事へのコメント
とうとうご覧になりましたね! この日が来るのが怖かった! (笑)
でもスルーするわけにはいかないけれど、書き出したら支離滅裂でエンドレスになってしまうし。と言っても黙ってはいられない… 困った婆です。
公開時、解散時の諸事情やバンドの音をしらなかった若い人が良かったと言っていたので、バンドの音楽は聴けば聴くほど深くて滋味があるので聴いて欲しいけれど、この映画でロビーロバートソンが語っているストーリーを鵜呑みにはしないでねっと言っておきました。ロビーはワーナーブラザーズの重役の椅子と引き換えに The Bandを売った男ですからね。
日本ではイギリスのバンドが雑誌のグラビアでも映えるということもあってか
大きく取り上げられて、十代の人気を集め、
アメリカのバンドになると、とくに本格派は見た目にむとんちゃくなこともあって、通でないとよく知らないということが多かった記憶があります。
ただ、20代になると、総じてアメリカのバンドの方が演奏力は高いのではないかということが分かってきますね。ポップミュージックの魅力はそれだけではないので、だからアメリカの方がいいともいえませんけど。
自分はある時期からブラックミュージックの方に関心が向きました。
>ロビーロバートソンが語っているストーリーを鵜呑みにはしないでね
麻薬に一切手を付けなかったという辺りから、少々眉唾ものと感じ始めましたが、欧米において麻薬絡みはそうそう嘘は付けないような気もします。
セカンド・アルバム以降の話があやしいということですね?
>ロビーはワーナーブラザーズの重役の椅子と引き換えに The Bandを売った男ですからね。
それで、以前「ラスト・ワルツ」を激しく批判していたわけですね。
合点しました^^
>アメリカのバンドになると、
>通でないとよく知らないということが多かった記憶があります。
僕は名前だけは色々と知っていましたが、サザン・ロックやブルース・ロックのバンドはラジオのリクエストでもかかることが少なく、自分がレコードを買えるようになるまでは余り聴かなかったですね。
70年代前半までブリティッシュ・ロックはメロディー指向でした。その辺りもメロディー派の多い日本人には受けたのでしょう。
>自分はある時期からブラックミュージックの方に関心が向きました。
僕は、60年代までのブラックミュージックは全て好きですが、70年代に入ってファンクが入って来ると、好き嫌いができましたかね。
「ミュージシャンズミュージシャン」と良く言われるザ・バンドはどっちかというと元少年のファンが多いと思っていましたが…でも私の知り合い女性にはバンド好きがいますけどね。類は友を呼ぶってやつですか。
余談ですが、アラウンド古希が何人か寄ってレコードかけようか、となったら締めは”Born to be wild” で大盛り上がりで、なかなか面白い景色ですよ。
オカピー先生がご近所ならお誘いしたいです! 怖がらなくて大丈夫です。 ^^
>コメントしているのが女性2人ってのがちょっと意外で面白いですね。
以前なら、確実にコメントしそうな男性陣も数名いらしましたが、もう数年以上音信不通。以前ならもっと盛り上がっただろうなあ。
>ザ・バンドはどっちかというと元少年のファンが多いと思っていましたが
そう思います。
男は見た目は殆ど関係ないですからね。
>オカピー先生がご近所ならお誘いしたいです! 怖がらなくて大丈夫です。
隣県くらいなら、出かけますが^^