映画評「ボブ・マーリー:ONE LOVE」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2024年アメリカ映画 監督レイナルド・マーカス・グリーン
ネタバレあり

1974年エリック・クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」を聞いてレゲエなるジャンルを知り、さらにそのオリジナルを演奏したのがボブ・マーリーというジャマイカのアーティストと知った。
 この頃から日本全体としてもレゲエが知られ、1980年頃サザン・ロックが「恋するマンスリーデイ」でレゲエのポップ化を図った。

その間の1976年、当のマーリー(キングズリー・ベン=アディル)は、祖国ジャマイカのギャングすら関与する政治対立に巻き込まれ、細君リタ(ラシャーナ・リンチ)らと共に狙撃される。幸い全員命に別条なく済み、その直後のコンサートで歌うことで平和を実現することを実践していくのである。
 直後にロンドンに向い、新ギタリストを迎え、新アルバム『エクソダス』を発売、欧州各地で公演を通づけるうちに世界的なスターになり1978年に帰国、危険と言われる中でコンサートを敢行する。このコンサートで、彼は対立する党首二人を握手させるのである。

党首二人がコンサートに来ていたということからして凄いが、彼らを舞台に上げて(上げたのだろうさ)和解の握手をさせるというのは驚かされる。音楽が平和を作るという一例が正にここに実現する。
 そのコンサートの模様は再現されず、実際の写真が紹介されるだけだが、その事実は感嘆するほかないと思う。

マーリーの音楽的変遷への本作の関心は最小限で、音楽的な歩みを知る上では物足りないが、 フラッシュバック的な扱いで、 ハイティーン時代に Simmer Down というスカがレコード会社スタジオ・ワンに気に入られる場面がある。スカからレゲエの進化はマーリー一人の問題ではなく、ジャンルが生まれるという興味があるわけだが、本作にそれを求めるのは無理なようなので、別の音楽ドキュメンタリーに当たるとしよう。

それ以上に問題なのは、当時のジャマイカの政治状況と、マーリーが曲のタイトルにもなっている one love という観念=世界観(音楽が平和を生み出すという着想源か)を得た、聖書をベースにしたらしいラスタファリ(英語ではラスタファライと発音していた)という運動・主義についてある程度知識がないと甚だ解りにくいということ。

時々挿入されるフラッシュバックのタイミングの拙さと、白人の父親が出て来る草焼き(?)のフラッシュバックのくどさも指摘しておきたい。映画としては一流と言えないものの、一定の興味。

マーリー役に選ばれたキングズリー・ベン=アディルは外見は似ていないが、3曲ほど歌っているところを見ると、声や歌い方が似ているということで選ばれたのだと思う。

少女の頃のリタが “unity (you) ではなく inity (I) よ” と言うが、こういう発想は好きではない。言葉遊びだけなら楽しいが、本気で言っているだから困る。トランプがDEIを禁止し、省庁だけでなく、民間にも強要しようとしている。しかも密告しろと脅迫している。トランプが完全なる権力を得たので、痛い目に遭わされる可能性の高い大企業は従う(ふりをする)だろう。こんな政策は4年後に撤回されることを願うが、就業機会均等の為に白人役に有色人種を起用するデタラメ(実は英国映画に多い)がなくなったら映画ファンの為にはなる。何度も言うが、異世界である演劇では構わないというのが僕の立場だ。画面に現れない映画製作現場では人口比に応じて就業機会均等は行われたほうが良い。

この記事へのコメント