映画評「黒い天使」
☆☆★(5点/10点満点中)
1946年アメリカ映画 監督ロイ・ウィリアム・ニール
ネタバレあり
コーネル・ウールリッチ原作ものが続く。本作は日本では劇場未公開で、プライムビデオにて鑑賞。
監督は世界でも珍しいミステリー専門のロイ・ウィリアム・ニール。シャーロック・ホームズもの2本を観たことがある。
先年本作の原作とされる同名ミステリーを読んだので、比べてやろうじゃないかと勇んで見たところ、「幻の女」(1944年)以上の落差があってがっかりした。映画サイトを見るとそれなりに好評だが、僕はとても褒める気になれない。
そもそも原作と同じなのは、歌手(原作は女優)殺しで逮捕されて死刑の執行日が迫る夫の冤罪を晴らそうとする「幻の女」もどきのところだけである。
原作のストーリーはこんな感じ。
夫カーク・マレーの浮気を知った細君アルバータがまずその相手ミア・マーサーの家を訪れ、その死体に遭遇する。部屋で犯人の落としたMのイニシャルの入ったマッチ箱の紙片を発見してそこから立ち去る。夫の会社に電話をかけると夫が女の家に向っていると知り阻止しようとするが果たせない。案の定、夫は警察の御厄介になることになる。
という流れで、大事なのは真犯人の名前の頭文字(ファースト・ネームかファミリー・ネームかは当然特定できない)がMであることで、ヒロインはここから被害者の書き記した電話番号帳を頼りにM(殺人のMを暗示する)を頭文字とする人物を歴訪するのである。
映画は、そもそもMの頭文字を持たない夫カーク・ベネット(ジョン・フィリップス)を逮捕された夫人キャサリン(ジューン・ヴィンセント)が夫の無実を証明しようと動くうちに、食い詰めピアニストのマーティン・ブレア(ダン・デュリエ)に行き当たり、以降彼女に同情したマーティンと共に二人行脚で犯人捜しとなっていく。明らかに「幻の女」に似せた設定変更だわいとちと苦笑い。
原作では被害者の夫であるこの男は早々に消えてしまうのだが、映画は小説に出て来る資産家メイソンの人物像と重なるようにした上で、原作とは全然違う解決方法を持って来る。
医者にコルサコフ症候群と繰り出させて夢落ちのようにするのである。ミステリーとしてはこれ以上ないようなひどい解決方法で、ブレアが真相を知ったとして酒に溺れるような弱い人間が自首に相当する態度を取るだろうか。行動原理として大いに疑問である。
原作でも一応出て来るキャバレーのオウナーに扮するのがピーター(本当はペーター)・ローレで、キャバレーの場面がありローレが出ているおかげでフィルムノワールのムードが強められる一方、二人が犯人と疑ったローレ(役名はマルコで一応M)を調べる為に時間のかかりそうな歌手とピアニストのコンビ誕生という設定は時限サスペンスにふさわしくない。
脚色を担当したロイ・チャンスラーは、珍妙千万だがヌーヴェルヴァーグの連中は褒めた「大砂塵」の原作者。なるほどという気がしないでもないですな。
歴訪ものが人気(?)の現在なら、原作に近づけたと思う。
1946年アメリカ映画 監督ロイ・ウィリアム・ニール
ネタバレあり
コーネル・ウールリッチ原作ものが続く。本作は日本では劇場未公開で、プライムビデオにて鑑賞。
監督は世界でも珍しいミステリー専門のロイ・ウィリアム・ニール。シャーロック・ホームズもの2本を観たことがある。
先年本作の原作とされる同名ミステリーを読んだので、比べてやろうじゃないかと勇んで見たところ、「幻の女」(1944年)以上の落差があってがっかりした。映画サイトを見るとそれなりに好評だが、僕はとても褒める気になれない。
そもそも原作と同じなのは、歌手(原作は女優)殺しで逮捕されて死刑の執行日が迫る夫の冤罪を晴らそうとする「幻の女」もどきのところだけである。
原作のストーリーはこんな感じ。
夫カーク・マレーの浮気を知った細君アルバータがまずその相手ミア・マーサーの家を訪れ、その死体に遭遇する。部屋で犯人の落としたMのイニシャルの入ったマッチ箱の紙片を発見してそこから立ち去る。夫の会社に電話をかけると夫が女の家に向っていると知り阻止しようとするが果たせない。案の定、夫は警察の御厄介になることになる。
という流れで、大事なのは真犯人の名前の頭文字(ファースト・ネームかファミリー・ネームかは当然特定できない)がMであることで、ヒロインはここから被害者の書き記した電話番号帳を頼りにM(殺人のMを暗示する)を頭文字とする人物を歴訪するのである。
映画は、そもそもMの頭文字を持たない夫カーク・ベネット(ジョン・フィリップス)を逮捕された夫人キャサリン(ジューン・ヴィンセント)が夫の無実を証明しようと動くうちに、食い詰めピアニストのマーティン・ブレア(ダン・デュリエ)に行き当たり、以降彼女に同情したマーティンと共に二人行脚で犯人捜しとなっていく。明らかに「幻の女」に似せた設定変更だわいとちと苦笑い。
原作では被害者の夫であるこの男は早々に消えてしまうのだが、映画は小説に出て来る資産家メイソンの人物像と重なるようにした上で、原作とは全然違う解決方法を持って来る。
医者にコルサコフ症候群と繰り出させて夢落ちのようにするのである。ミステリーとしてはこれ以上ないようなひどい解決方法で、ブレアが真相を知ったとして酒に溺れるような弱い人間が自首に相当する態度を取るだろうか。行動原理として大いに疑問である。
原作でも一応出て来るキャバレーのオウナーに扮するのがピーター(本当はペーター)・ローレで、キャバレーの場面がありローレが出ているおかげでフィルムノワールのムードが強められる一方、二人が犯人と疑ったローレ(役名はマルコで一応M)を調べる為に時間のかかりそうな歌手とピアニストのコンビ誕生という設定は時限サスペンスにふさわしくない。
脚色を担当したロイ・チャンスラーは、珍妙千万だがヌーヴェルヴァーグの連中は褒めた「大砂塵」の原作者。なるほどという気がしないでもないですな。
歴訪ものが人気(?)の現在なら、原作に近づけたと思う。
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