映画評「メイ・ディセンバー ゆれる真実」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2023年アメリカ映画 監督トッド・ヘインズ
ネタバレあり

1997年に36歳の女性教師が担当する13歳の少年の子供と肉体関係を持って逮捕された事件の報道は新聞で読んで結構憤った。最近のコンプライアンスの観念とは反対に、本当に愛し合っている二人が年齢によって加害者と被害者とに分けられてしまう理不尽さにである。13歳の子供のことだから精神的に幼いことは解るが、この事件に関しては法律を機械的に当てはめるのはどうかと思った次第。

本作はその事件をモチーフにしているが、関係者の名前が違う上に、この映画の時系列に従うと1992年に事件が起きた計算になるので、実話ものではない。日本映画と違って、名前が実際と違う場合、概ねアメリカ映画ではモチーフどまりと考えるべきである。たまに例外もあるが。

36歳の女性教師グレイシー(ジュリアン・ムーア)が13歳の教え子ジョーと関係を持ち、服役中の刑務所で出産した事件から22年後、36歳の美人女優エリザベス(ナタリー・ポートマン)が当時のグレイシーを映画で演ずることになり、綿密な演技設計を立てる為に、今や36歳の中年紳士になったジョー(チャールズ・メルトン)と婚姻生活をし続けているグレイシー、ジョー、子供たち、前夫などに会って非常に綿密なリサーチを敢行する。

というお話で、二人が徐々に似ていく一方、果たしてエリザべスが得た印象は果たして事実に則るものか語る本人以外には解らない(作品によっては本人すら解らないように見えるケースがあるが、本作の場合はそこまでは行かないような気がする)。

ウッディー・アレンに似て、監督のトッド・ヘインズは昔の映画が大好き(「エデンより彼方に」でダグラス・サークの「天はすべて許し給う」、「キャロル」で「逢びき」にオマージュを捧げている)なので、精神をやんだ女優と彼女を看る看護婦が感応してドッペルゲンガーのようになっていくイングマル・ベルイマン監督「ペルソナ」、それ以上にぐっと本作に似ているジュールス・ダッシン監督「女の叫び」を参考にしていると思われる。
 「ペルソナ」の影響下にある「女の叫び」は、女優が子たちを殺した王女メディアの役作りに悩み、子殺しで服役中の女囚に会うことで行き詰まりを打開しようとするうちに両者(厳密にはメディアと女囚)が接近する、という話だった。かなり似ているでしょ?

しかし、本作を含めた3作のうち、一般的に難解と言われるベルイマンの「ペルソナ」が論理性が高く一番僕にはピンと来るのだ。本作は、二人の女性の相互接近という純文学的関心に、真実とは何かという難しい問題を余り論理的ではない形で加えた為に、もやもやしてどうもすっきりしない。
 但し、二つの古典を想起させる内容になっているのはベルイマンもダッシンも大好きな僕は嬉しいし、ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーアの演技合戦は上記二作の大女優陣と伍して見応えがある。

ロバート・デ・ニーロに由来するデニーロ・アプローチという40年前に生れた映画用語があるが、ヒロインの演技設計はエリザベス・アプローチとでも言いたくなる。これに近いことをやる俳優はいるだろうな。

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