映画評「ミツバチと私」
☆☆★(5点/10点満点中)
2023年スペイン映画 監督エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン
ネタバレあり
ミツバチはスペイン映画と縁が深いようで、これもスペイン映画である。
左脳人間には説明が足りず、あるいは省略がしすぎて、もやもやするところが多く、序盤からよく解らない。
フランスに住む一家が、母親アネ(パトリシア・ロペス・アルナイア)の母が暮らすスペインのバスク地方に夏休みを過ごす為にやって来る。子供の一人を途中で拾ったり、父親が消えるところを見ると別居中なのかという疑問が湧く。映画はそれにお構いなく進行し、8歳のココと仇名で呼ばれる少年アイトール(ソフィア・オテロ)が肉体と精神の性の不一致に悩み始める。
髪の毛が長いし柔らかいムードから少女にしか見えなかったココ(バスク語で“僕ちゃん”といった意味らしい)が少年と判るまで結構時間を要す。一般的日本人はココなどと聞いても意味不明ですからね。
祖父から代々芸術に勤しんできた家に生れ自由で進歩的なムードを漂わすアネにしてもトランスジェンダーを認めたくないわけで、進歩的でも自分の家族のことになると事情が変わる場合もあるだろう。ましてスノッブな父親などは終盤帰仏の為に家族を拾いにバスクにやって来ると猛反対の立場を取る。養蜂をしている母親の叔母?だけは少年の自由に任せ、彼もしくは彼女は聖ルシアにちなんでルシアを名乗るようになる。
やがて、アイトール変じてのルシアが行方をくらます。兄が初めてルシアと大声で呼びかける。母親も追従する。父親は “無事なら、名前なんてどうでもよい” と言う。
ここがクライマックスだろう。敢えて発見される場面は省略され、次のショットでは既にルシアは家族に囲まれて横になっている。
名前から言っても明らかに少女のソフィア・オテロが主人公を演じて好演。
現にベルリン映画祭で最優秀女優賞ならぬ最優秀俳優賞を受賞したとの由。同時にこの受賞には問題があり、二つあった俳優の賞が一つになったことで俳優たちの栄誉を受ける可能性が狭くなった。確かに音楽では男女を分ける賞は聞かないが、僕はこういうアイデアは好かない。逆に、トランプみたいな発言も問題外だが。
現在、(トランスジェンダー配慮以前に男女平等の観点から)新聞等でも “女優” という表記はなく “俳優” となっているが、僕は解りやすさを優先して “男優” ”女優” としている。 演出家などスタッフに対する概念として“俳優”という表記もする。
バスク地方の自然を多く取り込んで画面に瑞々しさはあるが、ドラマとしては食い足りない。普遍性が大事であるドラマ映画として、普遍化できる要素が少ないということ。普遍化というのは、90%以上を占めるシスジェンダーの鑑賞者がこの物語を自分と重ねるなど普遍的に見られる要素に欠けるという意味に留まらない。
反面、もう少し解りやすく作って貰えればっと多く☆★を上げたい映画的感覚を内包する作品ではある。結果的に、心優しき人に好意的に見られる可能性は高いと思う。僕は敢えて映画論的に判定したとご理解されたし。
トランプ政権の多様性に関する方針はデタラメだが、パリ協定からの脱退が人類にとっては大問題。環境が良くなっても経済がダメになったら意味がない、と僕の血族の一人は言うが、逆。今人類が取り組んでいるのは環境保全のレベルではなく、生命が存続できるか否かの瀬戸際をいかに乗り越えるかである。次は民主党政権になるのはほぼ確かなので実質3年の脱退(脱退が確定するのは2026年)となるが、それでもこのアメリカの停滞はかなり痛いと専門家は言う。
2023年スペイン映画 監督エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン
ネタバレあり
ミツバチはスペイン映画と縁が深いようで、これもスペイン映画である。
左脳人間には説明が足りず、あるいは省略がしすぎて、もやもやするところが多く、序盤からよく解らない。
フランスに住む一家が、母親アネ(パトリシア・ロペス・アルナイア)の母が暮らすスペインのバスク地方に夏休みを過ごす為にやって来る。子供の一人を途中で拾ったり、父親が消えるところを見ると別居中なのかという疑問が湧く。映画はそれにお構いなく進行し、8歳のココと仇名で呼ばれる少年アイトール(ソフィア・オテロ)が肉体と精神の性の不一致に悩み始める。
髪の毛が長いし柔らかいムードから少女にしか見えなかったココ(バスク語で“僕ちゃん”といった意味らしい)が少年と判るまで結構時間を要す。一般的日本人はココなどと聞いても意味不明ですからね。
祖父から代々芸術に勤しんできた家に生れ自由で進歩的なムードを漂わすアネにしてもトランスジェンダーを認めたくないわけで、進歩的でも自分の家族のことになると事情が変わる場合もあるだろう。ましてスノッブな父親などは終盤帰仏の為に家族を拾いにバスクにやって来ると猛反対の立場を取る。養蜂をしている母親の叔母?だけは少年の自由に任せ、彼もしくは彼女は聖ルシアにちなんでルシアを名乗るようになる。
やがて、アイトール変じてのルシアが行方をくらます。兄が初めてルシアと大声で呼びかける。母親も追従する。父親は “無事なら、名前なんてどうでもよい” と言う。
ここがクライマックスだろう。敢えて発見される場面は省略され、次のショットでは既にルシアは家族に囲まれて横になっている。
名前から言っても明らかに少女のソフィア・オテロが主人公を演じて好演。
現にベルリン映画祭で最優秀女優賞ならぬ最優秀俳優賞を受賞したとの由。同時にこの受賞には問題があり、二つあった俳優の賞が一つになったことで俳優たちの栄誉を受ける可能性が狭くなった。確かに音楽では男女を分ける賞は聞かないが、僕はこういうアイデアは好かない。逆に、トランプみたいな発言も問題外だが。
現在、(トランスジェンダー配慮以前に男女平等の観点から)新聞等でも “女優” という表記はなく “俳優” となっているが、僕は解りやすさを優先して “男優” ”女優” としている。 演出家などスタッフに対する概念として“俳優”という表記もする。
バスク地方の自然を多く取り込んで画面に瑞々しさはあるが、ドラマとしては食い足りない。普遍性が大事であるドラマ映画として、普遍化できる要素が少ないということ。普遍化というのは、90%以上を占めるシスジェンダーの鑑賞者がこの物語を自分と重ねるなど普遍的に見られる要素に欠けるという意味に留まらない。
反面、もう少し解りやすく作って貰えればっと多く☆★を上げたい映画的感覚を内包する作品ではある。結果的に、心優しき人に好意的に見られる可能性は高いと思う。僕は敢えて映画論的に判定したとご理解されたし。
トランプ政権の多様性に関する方針はデタラメだが、パリ協定からの脱退が人類にとっては大問題。環境が良くなっても経済がダメになったら意味がない、と僕の血族の一人は言うが、逆。今人類が取り組んでいるのは環境保全のレベルではなく、生命が存続できるか否かの瀬戸際をいかに乗り越えるかである。次は民主党政権になるのはほぼ確かなので実質3年の脱退(脱退が確定するのは2026年)となるが、それでもこのアメリカの停滞はかなり痛いと専門家は言う。
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