映画評「ディア・ファミリー」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2024年日本映画 監督・月川翔
ネタバレあり
実話に基づくフィクションと最後に謳っているが、実話と思って良いのではないか。
日本の実話ものが真に胸を打たないのは登場人物(や団体名その他)を実名で出さないことにあると思うが、町工場の一社長を主人公とするこの映画における忖度は解らないでもない。それでも実名で出すのがスタンダードとなっていない邦画では実名と仮名の差が生きて来ない。
原作は清武英利。一時期読売ジャイアンツの球団経営を任されていた人物で、先般亡くなったオウナー渡辺恒雄とのいざこざも多少記憶している。
話は1973年頃から始まり、次女佳美が難病に属する心臓病を患ってい、その余命が10年程と知った町工場の社長坪井(大泉洋)が人工心臓という手があることを知り、各大学がその製作に手を焼いているのを見て、糟糠の妻陽子(菅野美穂)と二人の娘の支援を得、自ら人工心臓の開発・製造に取り掛かる。
が、見事な製品が完成しても、結局有用なものになる見込みがないと知らされ絶望するも、人工心臓プロジェクトからいち早く抜けた若手医療従事者富岡(松村北斗)のバルーン・カテーテルへの関心を知る。それは難しい心臓病を治す決定打にはならず補助止まりと知りつつ、高校を卒業した佳美(福本莉子)の“自分の心臓はもう大丈夫(恐らくこれ以上頑張っても無駄の意味)だから、他の人の為に役立って”という言葉に押されて、日本人に合ったカテーテル開発・製造に邁進する。
というお話が、主に2002年にバルーン・カテーテル開発の功績による叙勲の授賞式から巻き戻す形で進行するが、回想形式が珍しく上手く機能している。
その貢献の一つが、彼にインタビューする女性記者(有村架純)登場である。カテーテルによって助けられた患者の一人(恐らく最初に出て来る少女)で、その為に彼女は坪井社長に感謝を表明するのだが、 “その言葉は佳美に送ってくれ” と言う坪井の返事が、 “ディア・ファミリー” という題名の意味を明らかにし、感動的である。
記者の発言はカテーテルによって救われた全患者を代表する言葉であろうし、この病気に限らず病気克服の為に様々な開発に尽力する人々へのエールとして普遍的な意味を持つ。
Allcinema 投稿者二人の “けれんのない” と “けれん(のある)” という対照的な意見はどちらも正しいような気がする。
大衆受けする作りであるも、通俗に落ちない程度の大衆迎合的な作りという意味である。例えば、回想形式映画特に邦画のそれにありがちな同じショットの再利用を避けるなど、扱いが非常にスマートなのである。大泉の坪井が一人だけ逆に階段を歩いている寓意的ショットも映画的で良い。
大昔のお涙頂戴とは隔世の感がある。
この映画に出て来る教授も結局は金銭と栄誉願望のしがらみから抜け出せない人だが、トランプはそれをもっと極端にしたようなものだろう。ウクライナ停戦を実現したらノーベル平和賞と(周囲が)言っているが、侵略されたウクライナが到底納得しない今の形ではそれに価しない。アメリカが負担した今までの援助金は民主主義防衛の必要経費であって、それに見返りを求めることは野暮だ。しかし、国家経営を企業経営とごっちゃにしている彼にその言は通じない。
2024年日本映画 監督・月川翔
ネタバレあり
実話に基づくフィクションと最後に謳っているが、実話と思って良いのではないか。
日本の実話ものが真に胸を打たないのは登場人物(や団体名その他)を実名で出さないことにあると思うが、町工場の一社長を主人公とするこの映画における忖度は解らないでもない。それでも実名で出すのがスタンダードとなっていない邦画では実名と仮名の差が生きて来ない。
原作は清武英利。一時期読売ジャイアンツの球団経営を任されていた人物で、先般亡くなったオウナー渡辺恒雄とのいざこざも多少記憶している。
話は1973年頃から始まり、次女佳美が難病に属する心臓病を患ってい、その余命が10年程と知った町工場の社長坪井(大泉洋)が人工心臓という手があることを知り、各大学がその製作に手を焼いているのを見て、糟糠の妻陽子(菅野美穂)と二人の娘の支援を得、自ら人工心臓の開発・製造に取り掛かる。
が、見事な製品が完成しても、結局有用なものになる見込みがないと知らされ絶望するも、人工心臓プロジェクトからいち早く抜けた若手医療従事者富岡(松村北斗)のバルーン・カテーテルへの関心を知る。それは難しい心臓病を治す決定打にはならず補助止まりと知りつつ、高校を卒業した佳美(福本莉子)の“自分の心臓はもう大丈夫(恐らくこれ以上頑張っても無駄の意味)だから、他の人の為に役立って”という言葉に押されて、日本人に合ったカテーテル開発・製造に邁進する。
というお話が、主に2002年にバルーン・カテーテル開発の功績による叙勲の授賞式から巻き戻す形で進行するが、回想形式が珍しく上手く機能している。
その貢献の一つが、彼にインタビューする女性記者(有村架純)登場である。カテーテルによって助けられた患者の一人(恐らく最初に出て来る少女)で、その為に彼女は坪井社長に感謝を表明するのだが、 “その言葉は佳美に送ってくれ” と言う坪井の返事が、 “ディア・ファミリー” という題名の意味を明らかにし、感動的である。
記者の発言はカテーテルによって救われた全患者を代表する言葉であろうし、この病気に限らず病気克服の為に様々な開発に尽力する人々へのエールとして普遍的な意味を持つ。
Allcinema 投稿者二人の “けれんのない” と “けれん(のある)” という対照的な意見はどちらも正しいような気がする。
大衆受けする作りであるも、通俗に落ちない程度の大衆迎合的な作りという意味である。例えば、回想形式映画特に邦画のそれにありがちな同じショットの再利用を避けるなど、扱いが非常にスマートなのである。大泉の坪井が一人だけ逆に階段を歩いている寓意的ショットも映画的で良い。
大昔のお涙頂戴とは隔世の感がある。
この映画に出て来る教授も結局は金銭と栄誉願望のしがらみから抜け出せない人だが、トランプはそれをもっと極端にしたようなものだろう。ウクライナ停戦を実現したらノーベル平和賞と(周囲が)言っているが、侵略されたウクライナが到底納得しない今の形ではそれに価しない。アメリカが負担した今までの援助金は民主主義防衛の必要経費であって、それに見返りを求めることは野暮だ。しかし、国家経営を企業経営とごっちゃにしている彼にその言は通じない。
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