映画評「毛皮のビーナス」(1969年)

☆☆(4点/10点満点中)
1969年イタリア=西ドイツ合作映画 監督マッシモ・ダラマーノ
ネタバレあり

マゾヒズムの語源となったオーストリアの作家ザッハー=マゾッホの代表作の映画化。

2016年にロマン・ポランスキーがマゾッホをテーマにした映画「毛皮のヴィーナス」を観た時は原作が群馬県の図書館になく、読んでいなかったが、その何年か後に僕が通っている図書館に入って読んだ。
 いずれにしてもその映画の邦題とほぼ同じなので、混乱なきよう邦題の後に製作年を付けておく。ややこしいことに、この映画のソフトでの題名は「毛皮のヴィーナス」らしい。

日本公開時の上映時間は91分だったようで、今回のWOWOW放映版は5分短く、その影響がはっきり表れている。
 つまり、公開時主人公セヴェリン(レジス・ヴァレ)が精神科医に過去の出来事を語るという入れ子構造だったらしいのに対し、今回のヴァージョンに精神科医は出て来ず、事実上入れ子構造となっていないのである。主人公がナラタージュするところがあるので、その名残りはあるものの、幕切れも普通の恋愛映画的な終了の仕方をしてい、91分版の幕切れとは違う模様。

原作はフロイトが自らの研究を確立するより前の1871年に発表されているのでフロイトに言及することはないが、映画の舞台はほぼ現在(1960年代)に移されているので、フロイト心理学に言及するところがある。

バイエルンのホテルで美人ワンダ(ラウラ・アントネッリ)を見初めた紳士セヴェリンが、結婚した彼女の運転手の振りをして幼少時代の経験から目覚めたマゾヒズム趣味を満足させる。さらに道で拾い上げたブルーノ(ローレン・ユーイング)という男との性交を覗き見して大いに盛り上がる。
 かかる生活に限界を覚えた彼は彼女の許を去るが、ワンダにそっくり(?)の娼婦を発見して前と似たり寄ったりの新生活に入る。

終盤の展開は原作と違う。違っても問題はないものの、展開はやや一人合点である。新たな女性がワンダその人のようにも思えるもはっきりしないし、サディズムとマゾヒズムの呆気ない反転の面白味もうまく扱えていず、すっきりしない。

叙景など画面は半世紀前の映画ならではムードもあるが、西ドイツとの合作扱いながら監督がイタリアのマッシモ・ダラマーノだから僕の嫌いなイタリア式ズームが出て来る。頻度が低くて救われた。

主人公の主観ショットが多く、ワンダが鞭打つところなどでこれを使っている為に凄惨さが回避されている辺りはソフト・ポルノらしい工夫と言って良いだろうか。

ラウラ・アントネッリはこの映画が出世作で、その後もエロ映画が多かったが、「イノセント」(1975年)を見れば解るように実力派。この手の映画では実は役不足(実力に対して役が足りない)で、勿体ないことをしたと思う。

「イノセント」は綺麗なバージョンでは再鑑賞していない。ヴィスコンティはハイビジョン版で保存したい作品が何本も残っているのに、なかなかやってくれませんな。1970年代から80年代にかけて物凄いヴィスコンティ・ブームがあったのが嘘のようだ。

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