映画評「コンセント/同意」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2023年フランス=ベルギー合作映画 監督ヴァネッサ・フィロ
ネタバレあり
ヴァネッサ・スプリンゴラなる閨秀作家のスキャンダラスな自伝の映画化。日本なら実名で映画などにはならない。その辺が欧米はやはり違う。基本的に僕はこうしたスタンスを評価する。
1985年、13歳の文学少女ヴァネッサ(キム・イジュラン)は、母親(レティシア・カスタ)が編集者を務める関係で、当時名を成していた中年作家ガブリエフ・マツネフ(ジャン=ポール・ルーヴ)と知り合い、やがてそこはかとなくすり寄ってきた小児性愛者の作家の巧みな口舌にほだされて、相手と相思相愛であると思い込む。この間、周囲の騒動や母親の忠告などに心が揺れ、若者との交流を図ったりするが、堂々と実体験を発表しTVで臆面もなく語る作家の老獪な心理作戦に翻弄されて袋小路に入ってしまう。
この後映画は突然2013年に飛んで、中年にさしかかったヴァネッサ・スプリンゴラ(エロディ・ブーシェ)を登場させる。かつての傷をさほど引きずっていないようで、この時点で自身を相対化できたから、2020年にこの小説を発表するに至るのだろう。まずはその無事を祝福したい。
監督が原作者と同じファースト・ネームを持つヴァネッサ・フィロなので、名前をいじって自らの体験を綴ったのかと一瞬思ったが、別人でした。この手のお話らしくハンディ・カメラを多用して少女の行状を活写しなかなか瑞々しく、字足らず的なところがあるも、それなりにきちんとまとめている。
子供を可愛らしいと思うのは犯罪でもなんでもない。ライオンですら子供のうちは可愛い。そこに性的な要素が加わると犯罪となる。外見では解らないから、僕のようなただの老人ですら昔のような感覚で子供に近づけないのが現在である。
三日前に読み終えたばかりの京極夏彦「鉄鼠の檻」にも小児性愛者の隠遁者が出て来る。この隠遁者は自分を恥じているから同情の余地があるのに対し、こちらの文士は自慢たらしくそれを公表する厚顔無恥ぶりである。
さすがに現在ではこれは御法度であり、出版社はマツネフ(原作の中ではGとぼかされるも関係者には明らかだったようだ)の著作を販売停止にしているとのこと。この人物の実績は小児性愛絡みでさほどのものはないようなので問題はなさそうだが、巨人の実績が一つの性的事件で無にされるのはあってはならないと思う。人間性と実績は切り離すべきだろう。
犯罪者と病人と障碍者の区別は難しい。同性愛者はかつて犯罪者・精神障碍者であり、そして近年、特殊ではないとされるようになった。小児性愛者は現在蛇蝎のように嫌われる。いつか障碍者と扱われる日は来るのだろうか?
2023年フランス=ベルギー合作映画 監督ヴァネッサ・フィロ
ネタバレあり
ヴァネッサ・スプリンゴラなる閨秀作家のスキャンダラスな自伝の映画化。日本なら実名で映画などにはならない。その辺が欧米はやはり違う。基本的に僕はこうしたスタンスを評価する。
1985年、13歳の文学少女ヴァネッサ(キム・イジュラン)は、母親(レティシア・カスタ)が編集者を務める関係で、当時名を成していた中年作家ガブリエフ・マツネフ(ジャン=ポール・ルーヴ)と知り合い、やがてそこはかとなくすり寄ってきた小児性愛者の作家の巧みな口舌にほだされて、相手と相思相愛であると思い込む。この間、周囲の騒動や母親の忠告などに心が揺れ、若者との交流を図ったりするが、堂々と実体験を発表しTVで臆面もなく語る作家の老獪な心理作戦に翻弄されて袋小路に入ってしまう。
この後映画は突然2013年に飛んで、中年にさしかかったヴァネッサ・スプリンゴラ(エロディ・ブーシェ)を登場させる。かつての傷をさほど引きずっていないようで、この時点で自身を相対化できたから、2020年にこの小説を発表するに至るのだろう。まずはその無事を祝福したい。
監督が原作者と同じファースト・ネームを持つヴァネッサ・フィロなので、名前をいじって自らの体験を綴ったのかと一瞬思ったが、別人でした。この手のお話らしくハンディ・カメラを多用して少女の行状を活写しなかなか瑞々しく、字足らず的なところがあるも、それなりにきちんとまとめている。
子供を可愛らしいと思うのは犯罪でもなんでもない。ライオンですら子供のうちは可愛い。そこに性的な要素が加わると犯罪となる。外見では解らないから、僕のようなただの老人ですら昔のような感覚で子供に近づけないのが現在である。
三日前に読み終えたばかりの京極夏彦「鉄鼠の檻」にも小児性愛者の隠遁者が出て来る。この隠遁者は自分を恥じているから同情の余地があるのに対し、こちらの文士は自慢たらしくそれを公表する厚顔無恥ぶりである。
さすがに現在ではこれは御法度であり、出版社はマツネフ(原作の中ではGとぼかされるも関係者には明らかだったようだ)の著作を販売停止にしているとのこと。この人物の実績は小児性愛絡みでさほどのものはないようなので問題はなさそうだが、巨人の実績が一つの性的事件で無にされるのはあってはならないと思う。人間性と実績は切り離すべきだろう。
犯罪者と病人と障碍者の区別は難しい。同性愛者はかつて犯罪者・精神障碍者であり、そして近年、特殊ではないとされるようになった。小児性愛者は現在蛇蝎のように嫌われる。いつか障碍者と扱われる日は来るのだろうか?
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