映画評「SOMEWHERE」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2010年アメリカ=イギリス=フランス=イタリア=日本合作映画 監督ソフィア・コッポラ
ネタバレあり

昨日の映画評で、ソフィア・コッポラのような観照的即実的な作風は、実話ものには合わないと間接的に述べたが、彼女自身のオリジナル脚本による本作がそれをある程度裏付けているように思う。続けて観た実録もの2本よりは映画を観る楽しみを感じる。

彼女の映画の例に洩れず、梗概は非常に簡単に済む。

お金も名声もあるハリウッド・スターのスティーヴン・ドーフは実は孤独で鬱屈している。ある時別れた妻から、長期不在にするからと11歳の娘エル・ファニングの面倒を託される。
 しかし、これが彼にとって何よりの僥倖で、きちんとしたレディーに育った娘が可愛くてたまらず、幸福感に満ちる。
 娘と別れた後再び孤独に陥った彼は、しかし、愛車フェラーリを荒野で乗り捨てると達観し若しくは何かを決意したような明るい表情で歩き出す。

映画の構成としては、冒頭もしくは序盤にフェラーリで荒野を空しくぐるぐる廻っているショットと対称的に呼応するが、こういうのが僕のようなタイプの映画ファンの映画的な興味をそそるわけである。

娘と別れた後何を考えたかと言えば、恐らくは非常に単純なことで、娘と過ごす時間を増やすことに注力しようということだろう。また、ある人が言うように、これは別れた妻が彼に授けたセラピーだったのかもしれない。そう思うと、僕の頬も緩んでくる。

エル・ファニングの魅力で見られるところの多い作品と言うべきで、一般的な意味で面白い映画とは言えない。一般映画ファンは言うまでもなく、ミニシアター系の映画が好きな映画マニアでも半分くらいは楽しまないだろう。
 かく言う僕も必要以上に長尺に見えるショットやシーンで時々注意力が散漫になったが、かと言ってその長さが絶対的に不要ともこの手の映画については言い難い。ジャンル映画と純文学系作品でショットの長さの意味合いが全然異なる。その長さ自体が主張であったりするのだ。

ミニシアター系映画がお好きな方はどうぞ。

今月は観るべき洋画が少なく鑑賞本数が邦画より少なく、本来洋画ファンの僕にとって悩みの種。WOWOWのせいでこの傾向がどんどんひどくなっている。悩みと言えば、4月後半から花粉症がひどい。僕の敵はスギではなくイネだ。もう1か月くらい続くだろうか。

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