映画評「赤い家」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1947年アメリカ映画 監督デルマー・デーヴィズ
ネタバレあり
最近はWOWOWに頼ると洋画の本数が減ってしまうので、鋭意プライムビデオで旧作を探している。未見の作品は色々あるも,、めぼしいものは少なくなってきた。
本作は風景の捉え方が優れているデルマー・デーヴィズ監督のスリラー。
典型的ではないものの、1940年代に流行っていたニューロティック(異常心理)・スリラーと言って良いのではないかと思う。少し勘違いしている人がいるが、60年代に流行ったものはサイコ・スリラー、サイコ・ホラーである。似ているが映画史的には分けられる。
ある地方。卒業時期と農繁期が重なる為に男子生徒の卒業が遅れるという土地柄である。
ティビー(ジュリー・ロンドン)というステディのガールフレンドを持つ生徒ネイス(ロン・マカリスター)は、同窓生メグ(アリーン・ロバーツ)が養女として育てられている農家に手伝いに行く。主人は足の悪いピート(エドワード・G・ロビンスン)で、訳ありの過去があるらしく、その過去に巻き込まれていると思しき妹エレン(ジュディス・アンダースン)の甲斐甲斐しい世話を受けている。
ピートはメグに赤い家の呪いがあるから近くの森には入るなと言明してい、それは男友達のネイスにも伝えられる。が、若い二人は冒険心に駆られて、ティビーを含めて森に入る冒険を敢行する。
実際にネイスが襲われる事件もあるが、実は赤い家に記憶を呼び起こされたくないピートが、ティビーに色目を使っている若者テラー(ロリー・カルフーン)に金を払って脅させていたのである。
若者たちによる暴挙が続くうちピートは時に精神の安定を失うようになり、メグを捉まえてジーニーなどと呼びかけたりし、悲劇的な結末を引き起こすことになる。
プライムビデオのパブリックドメイン枠の例に洩れず画質は悪いが、デーヴィズが地方色を生かすべく捉えた風景が魅力的であることは何とか伺える。
ロビンスンの異常心理と、若者たちの青春謳歌ぶりのギャップが面白い趣向となっているが、作者側が主眼としたであろう異常心理がかき回す事件の顛末は存外凡庸で余り大したことはない。寧ろ青春模様とりわけメグの、密かに好意を寄せているのであろうネイスとティビーの様子を伺う様子をナイーヴに捉えた部分が秀逸と言って良い出来栄え。
その意味において本作をデビュー作とする線の細いアリーン・ロバーツがなかなか頑張っていると思う。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985年)でブレイクしたリー・トンプスンに似ているかもしれない。
見る前は本格ミステリーの古典「赤い館の秘密」の映画化と思いました。本当でっせ。
1947年アメリカ映画 監督デルマー・デーヴィズ
ネタバレあり
最近はWOWOWに頼ると洋画の本数が減ってしまうので、鋭意プライムビデオで旧作を探している。未見の作品は色々あるも,、めぼしいものは少なくなってきた。
本作は風景の捉え方が優れているデルマー・デーヴィズ監督のスリラー。
典型的ではないものの、1940年代に流行っていたニューロティック(異常心理)・スリラーと言って良いのではないかと思う。少し勘違いしている人がいるが、60年代に流行ったものはサイコ・スリラー、サイコ・ホラーである。似ているが映画史的には分けられる。
ある地方。卒業時期と農繁期が重なる為に男子生徒の卒業が遅れるという土地柄である。
ティビー(ジュリー・ロンドン)というステディのガールフレンドを持つ生徒ネイス(ロン・マカリスター)は、同窓生メグ(アリーン・ロバーツ)が養女として育てられている農家に手伝いに行く。主人は足の悪いピート(エドワード・G・ロビンスン)で、訳ありの過去があるらしく、その過去に巻き込まれていると思しき妹エレン(ジュディス・アンダースン)の甲斐甲斐しい世話を受けている。
ピートはメグに赤い家の呪いがあるから近くの森には入るなと言明してい、それは男友達のネイスにも伝えられる。が、若い二人は冒険心に駆られて、ティビーを含めて森に入る冒険を敢行する。
実際にネイスが襲われる事件もあるが、実は赤い家に記憶を呼び起こされたくないピートが、ティビーに色目を使っている若者テラー(ロリー・カルフーン)に金を払って脅させていたのである。
若者たちによる暴挙が続くうちピートは時に精神の安定を失うようになり、メグを捉まえてジーニーなどと呼びかけたりし、悲劇的な結末を引き起こすことになる。
プライムビデオのパブリックドメイン枠の例に洩れず画質は悪いが、デーヴィズが地方色を生かすべく捉えた風景が魅力的であることは何とか伺える。
ロビンスンの異常心理と、若者たちの青春謳歌ぶりのギャップが面白い趣向となっているが、作者側が主眼としたであろう異常心理がかき回す事件の顛末は存外凡庸で余り大したことはない。寧ろ青春模様とりわけメグの、密かに好意を寄せているのであろうネイスとティビーの様子を伺う様子をナイーヴに捉えた部分が秀逸と言って良い出来栄え。
その意味において本作をデビュー作とする線の細いアリーン・ロバーツがなかなか頑張っていると思う。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985年)でブレイクしたリー・トンプスンに似ているかもしれない。
見る前は本格ミステリーの古典「赤い館の秘密」の映画化と思いました。本当でっせ。
この記事へのコメント
一瞬、僕も思いましたよ(笑)
でも。スリラーというので違うかなと。
ミルンのこの本は子供の頃から大好きなんですけど映画化は難しいですよね。真犯人に関わるそのネタゆえに。
博士はどう思われます?
私はジミヘンの Red House を連想しましたよ!
> 本当でっせ。
これはちょっとなぁ… どやろ?
今時、でっせっていうかなぁ?
正しい言い方は「ほんまでっせ」です。 ^_^
なんか「夫婦善哉」が観たなってきましたわ。 ほなまた〜
>ミルンのこの本は子供の頃から大好きなんですけど映画化は難しいですよね。
叙述トリックと人物トリックはなかなか難しいですね。
わが邦の「十角館の殺人」というのが叙述トリック+クローズド・サークルものですが、日テレが放映した映像版(Hulu制作?)はそこそこ上手くやっていました。
「アクロイド殺人事件」のTV映画版を観たことがありますが、叙述トリックそのものが際どさから言っても、最初から無理な映像化でしたね。
>正しい言い方は「ほんまでっせ」です。 ^_^
言われてみると、そうですね^^;
ネットで調べますと、確かに若い人は“でっせ”は使わないと書かれています。
“でっせ”は、江戸弁?の“ですぜ”の方言ではないかなあ。こちらも使われたのは1960年代くらいまでかもしれません。日活アクション辺りでよく聞いた記憶があります。
群馬県では、“ですよ”だから、何の面白味もない。