映画評「告白 コンフェッション」

☆☆★(5点/10点満点中)
2024年日本映画 監督・山下敦弘
ネタバレあり

同名コミック(作:福本伸行)の映画化。ホラー寄りのサスペンスである。監督はオフビートな作風で楽しませてくれた山下敦弘だが、畑違いではあるまいか。

その昔大学山岳部の女子部員さゆり(奈緒)を山岳事故で失った青年浅井(生田斗真)が親友ジヨン(ヤン・イクチュン)と共に慰霊登山に出るが、雪山に苦しんで遭難する。
 重傷を負って死を覚悟したのであろうか、 ジヨンが浅井に “さゆりは自分が殺した“ と告げるが、浅井は静かに受け止める。その直後に浅井は山小屋を発見し、ジヨンを連れて避難をし、救助隊を待つことにする。

というお話で、ジヨンが真相を話したことを後悔し、事実を知る唯一の人物である浅井を殺そうとし始めたことから変調し、逃避ホラーとなっていく、という体裁。

行動の不合理性など枝葉末節を難点として挙げる人が多いが、本作で一番肝要なのは、どこから浅井の妄想が始まったかということではあるまいか。僕は相当早めに始まったと思っている。
 携帯がないと言っていたジヨンがこっそり救援を申し込み、 その際に “一人だけ” と彼が言うのを聞いた時に疑心暗鬼という形で始まったのではないかと思う。それ自体が既に妄想であったことも否定できない。ただ、救助隊の要請を考えれば余りに速すぎても展開の整合性に疑問が生じかねない。いずれにしても、観客の解らないうちに妄想が始まっていた可能性が高いのである。
 誰にもそれと認められる明らかな妄想は、救助隊のヘリコプターの音が聞こえ画面が突然不自然に明るくなるところから暫く続くシークエンスだ。これが、多重構造の妄想(妄想の中の妄想)か、並列された妄想のどちらであっても大きな問題にあらず。

何故彼にそうした疑心暗鬼から妄想に進む状態が発生したかと言えば、回想で示されるように事件の真相がジヨンの告白とは違い、彼自身に後ろめたさがあったからである。
 幕切れ直前の、妄想中と考えるには不合理なジヨンの様子から判断すると、それまでのホラーもどきのサスペンスは浅井が勝手に想像していたものと思うのが妥当。先に行動の不合理性が枝葉末節と断言したのは、妄想なのだから当然と考えるべきだからである。

面白いか否か以前に、こういう不明の部分が多いホラー系は余り評価しない。考える面白さがあるので、理屈っぽい左脳人間にも(だからこそ)退屈しにくいのは良いが。

苗字のない女優が増えましたね。パンフレットで奈緒の名を見て、菜々緒と勘違いした。

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