映画評「二つの季節しかない村」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2023年トルコ=フランス=ドイツ=スウェーデン=カタール合作映画 監督ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
ネタバレあり
「雪の轍」という些か晦渋だが手応えを感じたトルコの監督ヌリ・ビルゲ・ジェイランを観るのはこれで三本目。
いずれも3時間近辺の長尺の作品で、対立軸を打ち出しながら進める手法は同じである。ただ、本作の対立軸はちと解りにくい。邦題の “二つの季節しかない” というのがちょっとしたヒントであろうし、それが同時に人生の少年と中高年の対立・対照を暗示していることはぼん暗な僕でも解る。
トルコ。希望する場所ではなく辺鄙な土地の小学校に赴任している男性美術教師デニズ・ジェリオウルは、教え子の美少女エジェ・バージにこっそり贈り物をするなどし、やがて巡り巡って手に入れた彼女のラヴレターを本人から返せと言われるが、“もう捨てた”と偽って応じない。
そのことが原因であろうか、間もなくジェリオウルと同僚ムサブ・エキジが生徒により告発されるという事件が起きる。教育支部長が判断でその段階で止まるが、二人はそれを支部長に伝えた校長に不信感を覚えると共に、ジェリオウルは依怙贔屓してきたエジェに対する態度を180度変え、何の落ちももない彼女を廊下に立たせたりする。
これと並行して、知り合いから見合い相手として紹介された運動家の女教師メルヴェ・ディズダルと親しくなると共に、彼女と同郷者であるエキジを交えて、三人は友情関係を育てていく。
トルコの教育はイスラム教のイメージを覆す進歩性があると感じさせる。これは収穫である。女性の教育・就職に否定的なアフガニスタンのタリバンとは180度くらい違う。トルコがアフガニスタンより発展する理由はここにあるだろう。
後半の長い対話で、自爆テロに遭って片足を失ったメルヴェが行動する人であるに対して、主人公ジェリオウルは諦観に陥りやすく、先に進めぬ低回的な人物であることが見えて来、元々の性格に加えて辺鄙な土地でくすぶる閉塞感と相まって、子供に対しても大人げない態度を取る狭量な人物になってしまったのではないかと想像させる。
雪が消えると突然夏になる土地柄のように、転任が決まって嬉しくないはずのない彼は、誰にも訪れる内なる砂漠(への憂い)に思いを馳せる。瑞々しい少女たちの将来への心配は、勿論彼の自身の現在に対する心境である。
好評の方にも不評の方にも、主人公の性格に対する悪口が目立つ。自分が完璧などと思わない限り、この主人公程度は平均から大きく逸脱するものではない。
いきなり主人公の性格を断罪し、彼がどうしてこういう言動をするのか、どうしてこういう人物になったか思いを馳せないなら、ドラマ映画を観る価値はないだろう。お話ばかりを追っても退屈するだけである。
基本的に1ショット、1シーンが長い。ワンカット・ワンシーンの場面も多い。
人物の対話シーンも基本は長回しであるが、固定でそれを引き(ロング)で撮り続けるかと思えば、普通の切り返しをしたり、あるいはカメラ目線かと思わせておいて実は頭越しに話者を捉え、あるいはすぐ横に並んでいる話者を撮るのにパンではなく、短くショットを切ったりする。案外優柔なスタイルで色々と見せる。
僕は、内容が把握しづらい映画の時は画面に向かうことが多い。すると主題やモチーフが突然見えて来ることがある。
日本でも、教師が肩に手を置いただけで身体的暴力とされることもありうる、と聞く。どちらが先か知らないが、これがモンスター・ペアレンツを生む背景であり、モンスター・ペアレンツがこういう状況を進めるという悪循環があるかもしれない。
2023年トルコ=フランス=ドイツ=スウェーデン=カタール合作映画 監督ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
ネタバレあり
「雪の轍」という些か晦渋だが手応えを感じたトルコの監督ヌリ・ビルゲ・ジェイランを観るのはこれで三本目。
いずれも3時間近辺の長尺の作品で、対立軸を打ち出しながら進める手法は同じである。ただ、本作の対立軸はちと解りにくい。邦題の “二つの季節しかない” というのがちょっとしたヒントであろうし、それが同時に人生の少年と中高年の対立・対照を暗示していることはぼん暗な僕でも解る。
トルコ。希望する場所ではなく辺鄙な土地の小学校に赴任している男性美術教師デニズ・ジェリオウルは、教え子の美少女エジェ・バージにこっそり贈り物をするなどし、やがて巡り巡って手に入れた彼女のラヴレターを本人から返せと言われるが、“もう捨てた”と偽って応じない。
そのことが原因であろうか、間もなくジェリオウルと同僚ムサブ・エキジが生徒により告発されるという事件が起きる。教育支部長が判断でその段階で止まるが、二人はそれを支部長に伝えた校長に不信感を覚えると共に、ジェリオウルは依怙贔屓してきたエジェに対する態度を180度変え、何の落ちももない彼女を廊下に立たせたりする。
これと並行して、知り合いから見合い相手として紹介された運動家の女教師メルヴェ・ディズダルと親しくなると共に、彼女と同郷者であるエキジを交えて、三人は友情関係を育てていく。
トルコの教育はイスラム教のイメージを覆す進歩性があると感じさせる。これは収穫である。女性の教育・就職に否定的なアフガニスタンのタリバンとは180度くらい違う。トルコがアフガニスタンより発展する理由はここにあるだろう。
後半の長い対話で、自爆テロに遭って片足を失ったメルヴェが行動する人であるに対して、主人公ジェリオウルは諦観に陥りやすく、先に進めぬ低回的な人物であることが見えて来、元々の性格に加えて辺鄙な土地でくすぶる閉塞感と相まって、子供に対しても大人げない態度を取る狭量な人物になってしまったのではないかと想像させる。
雪が消えると突然夏になる土地柄のように、転任が決まって嬉しくないはずのない彼は、誰にも訪れる内なる砂漠(への憂い)に思いを馳せる。瑞々しい少女たちの将来への心配は、勿論彼の自身の現在に対する心境である。
好評の方にも不評の方にも、主人公の性格に対する悪口が目立つ。自分が完璧などと思わない限り、この主人公程度は平均から大きく逸脱するものではない。
いきなり主人公の性格を断罪し、彼がどうしてこういう言動をするのか、どうしてこういう人物になったか思いを馳せないなら、ドラマ映画を観る価値はないだろう。お話ばかりを追っても退屈するだけである。
基本的に1ショット、1シーンが長い。ワンカット・ワンシーンの場面も多い。
人物の対話シーンも基本は長回しであるが、固定でそれを引き(ロング)で撮り続けるかと思えば、普通の切り返しをしたり、あるいはカメラ目線かと思わせておいて実は頭越しに話者を捉え、あるいはすぐ横に並んでいる話者を撮るのにパンではなく、短くショットを切ったりする。案外優柔なスタイルで色々と見せる。
僕は、内容が把握しづらい映画の時は画面に向かうことが多い。すると主題やモチーフが突然見えて来ることがある。
日本でも、教師が肩に手を置いただけで身体的暴力とされることもありうる、と聞く。どちらが先か知らないが、これがモンスター・ペアレンツを生む背景であり、モンスター・ペアレンツがこういう状況を進めるという悪循環があるかもしれない。
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