映画評「ジョイランド わたしの願い」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2022年パキスタン=アメリカ合作映画 監督サーイム・サディック
ネタバレあり
パキスタン映画を観るのは初めてである。そもそも殆ど輸入されていない。近年映画に触れる形態が多様化しているので、全く初めての紹介というわけでもなさそうだが、隣国インド映画に比べると歴然の差がある。
厳密には、純然たるパキスタン映画ではなく、アメリカの資本もはいっているようで、脚本において米国人と思しき女性が兼脚本の監督サーイム・サーディクをサポートしている。
現在、パキスタン第2の都市ラホール(人口1000万人を超える。パキスタンは旧首都のカラチ、暫定首都ラワルピンディ、首都イスラマバード+ハイデラバードしか知りませんでした。僕が地図をよく眺めていた小学生=今で言う博士ちゃんもどき=までの時代ラホールはさほど大都市ではなかったのではないか)。
妻を失っている当主の下、長男夫婦とその子供たち、次男夫婦が暮らす大家族のお話で、主人公は妻ムムターズ(ラスティ・ファルーク)に働かせて家で家事に精を出すしかない次男ハイダル(アリ・ジュネ―ジョー)で、終わってみればこの夫婦二人が主役と判って来る構成だ。
イスラム教の国であるから基本的には家父長制・父権主義の家は当たり前で、その意味では平均的な家であろうが、ハイダルは当主である父に就職して子供を作れと口を酸っぱくして言われている。
知人の紹介で何とか就業したものの、それは劇場で踊るトランスジェンダー女性ビバ(アリーナ・ハーン)のバックダンサーで、劇場に勤めること自体が感心できないことらしいので、ましてヤクザな仕事に過ぎないダンサーになったとは口が裂けても言えない。
そんな閉塞感を覚える状況で、ハイダルはビバと懇ろになっていく。しかし、ビバは自分が女性と思っているので、彼の取った男色行為の態度が許せず、絶交してしまう。
大家族における位置に(夫の怪しい行動が加わり)閉塞感を覚えるのは妻ムムターズも同じで、折角待望の男児を妊娠したというのに “遅かった” と言って自死してしまう。
エアコン設置に対する彼の発言に対しての応えであるが、エアコン設置が閉塞感打開の象徴となっていたようである。
また、自死する前にムムターズが姪たちと鬼ごっこをする場面があるが、これは果たして無邪気な遊びだったのだろうか? 僕は敢えて流産しようとしたように見えて仕方がないのだが。
アメリカが製作に絡んでいることもあるのだろうか、インドのマサラ・ムービーとは違ってミュージカル仕立てはない。劇場での踊りが紹介されているので同じ文化圏ではあるなあと思うものの、あくまで現実の舞台をカメラに収めているという体裁であるから、映画上の意味は全く違う。
本作は父権主義の保守性が青年層を追い込んでいるパキスタン社会の一部を捉えた社会派映画である。その父権主義はイスラム教由来のものかもしれないが、イスラム教圏独自のものとは言い難い。実際この映画にイスラム教の匂いを殆ど感じなかったのである。
幕切れは両義的と言うべし。そのままハイダルは海の藻屑になってしまうのかもしれないし、海に行ったことがない彼が海に行ったことは(その前に見合い相手に会っていることを考えると)更なる未来を示しているとも考えられる。 ←完全なケアレス・ミス。訂正いたします。
ハイダルとビバとの描写は余り気に入らない。トランスジェンダーとシスジェンダーの友情に留めれば、どろどろした印象を伴わずに、社会のトランスジェンダーへの偏見と人間関係の多様性を同時に描けたと思う。
因みに、僕が幼少時代を過ごした昭和の半ば頃まで、大家族風景は日本の田舎でも似たようなものだった。ただ兄弟夫婦が同居するというのは余り聞いたことがない。
父権主義は程度の差こそあれ、我が国にも存在する。ごく僅かとは言え少子化対策になり経済効果もある選択制夫婦別姓が制度化されないのは、10%いるかどうかといった程度の保守議員のせい。彼らが色々ごちゃごちゃ言及する懸念は建前で、家父長制への拘りがベースになっているのは間違いない。しかし、日本の家父長制の原点である儒教は強制的夫婦別姓(昔の武士は正式には姓+苗字だったので、日本で単純に比較するのは本来無理筋。足利も徳川も厳密には姓ではなく苗字。彼らは元々藤原姓で、徳川は源に変えた。姓の場合は、 “~の” という言い方をする)なのだが。自民党のそれとは違う、維新による旧姓通称使用のアイデアは選択制夫婦別姓と同じ効果があるか。パスポートは旧姓一本にできると聞いたので、併記に伴う国際面における諸問題は発生しないかもしれない。これは結構大きい。アイデンティティの問題は人によって異なるだろう。
2022年パキスタン=アメリカ合作映画 監督サーイム・サディック
ネタバレあり
パキスタン映画を観るのは初めてである。そもそも殆ど輸入されていない。近年映画に触れる形態が多様化しているので、全く初めての紹介というわけでもなさそうだが、隣国インド映画に比べると歴然の差がある。
厳密には、純然たるパキスタン映画ではなく、アメリカの資本もはいっているようで、脚本において米国人と思しき女性が兼脚本の監督サーイム・サーディクをサポートしている。
現在、パキスタン第2の都市ラホール(人口1000万人を超える。パキスタンは旧首都のカラチ、暫定首都ラワルピンディ、首都イスラマバード+ハイデラバードしか知りませんでした。僕が地図をよく眺めていた小学生=今で言う博士ちゃんもどき=までの時代ラホールはさほど大都市ではなかったのではないか)。
妻を失っている当主の下、長男夫婦とその子供たち、次男夫婦が暮らす大家族のお話で、主人公は妻ムムターズ(ラスティ・ファルーク)に働かせて家で家事に精を出すしかない次男ハイダル(アリ・ジュネ―ジョー)で、終わってみればこの夫婦二人が主役と判って来る構成だ。
イスラム教の国であるから基本的には家父長制・父権主義の家は当たり前で、その意味では平均的な家であろうが、ハイダルは当主である父に就職して子供を作れと口を酸っぱくして言われている。
知人の紹介で何とか就業したものの、それは劇場で踊るトランスジェンダー女性ビバ(アリーナ・ハーン)のバックダンサーで、劇場に勤めること自体が感心できないことらしいので、ましてヤクザな仕事に過ぎないダンサーになったとは口が裂けても言えない。
そんな閉塞感を覚える状況で、ハイダルはビバと懇ろになっていく。しかし、ビバは自分が女性と思っているので、彼の取った男色行為の態度が許せず、絶交してしまう。
大家族における位置に(夫の怪しい行動が加わり)閉塞感を覚えるのは妻ムムターズも同じで、折角待望の男児を妊娠したというのに “遅かった” と言って自死してしまう。
エアコン設置に対する彼の発言に対しての応えであるが、エアコン設置が閉塞感打開の象徴となっていたようである。
また、自死する前にムムターズが姪たちと鬼ごっこをする場面があるが、これは果たして無邪気な遊びだったのだろうか? 僕は敢えて流産しようとしたように見えて仕方がないのだが。
アメリカが製作に絡んでいることもあるのだろうか、インドのマサラ・ムービーとは違ってミュージカル仕立てはない。劇場での踊りが紹介されているので同じ文化圏ではあるなあと思うものの、あくまで現実の舞台をカメラに収めているという体裁であるから、映画上の意味は全く違う。
本作は父権主義の保守性が青年層を追い込んでいるパキスタン社会の一部を捉えた社会派映画である。その父権主義はイスラム教由来のものかもしれないが、イスラム教圏独自のものとは言い難い。実際この映画にイスラム教の匂いを殆ど感じなかったのである。
ハイダルとビバとの描写は余り気に入らない。トランスジェンダーとシスジェンダーの友情に留めれば、どろどろした印象を伴わずに、社会のトランスジェンダーへの偏見と人間関係の多様性を同時に描けたと思う。
因みに、僕が幼少時代を過ごした昭和の半ば頃まで、大家族風景は日本の田舎でも似たようなものだった。ただ兄弟夫婦が同居するというのは余り聞いたことがない。
父権主義は程度の差こそあれ、我が国にも存在する。ごく僅かとは言え少子化対策になり経済効果もある選択制夫婦別姓が制度化されないのは、10%いるかどうかといった程度の保守議員のせい。彼らが色々ごちゃごちゃ言及する懸念は建前で、家父長制への拘りがベースになっているのは間違いない。しかし、日本の家父長制の原点である儒教は強制的夫婦別姓(昔の武士は正式には姓+苗字だったので、日本で単純に比較するのは本来無理筋。足利も徳川も厳密には姓ではなく苗字。彼らは元々藤原姓で、徳川は源に変えた。姓の場合は、 “~の” という言い方をする)なのだが。自民党のそれとは違う、維新による旧姓通称使用のアイデアは選択制夫婦別姓と同じ効果があるか。パスポートは旧姓一本にできると聞いたので、併記に伴う国際面における諸問題は発生しないかもしれない。これは結構大きい。アイデンティティの問題は人によって異なるだろう。
この記事へのコメント
> ムムターズが姪たちと鬼ごっこをする場面
これは果たして無邪気な遊びだったのだろうか? 僕は敢えて流産しようと
おっしゃる通りだと思います。
パーティーの後片付けの時もわざと高いところの飾り物を取ろうと飛び上がって兄嫁に止められていました。
>海に行ったことがない彼が海に行ったことは(その前に見合い相手に会っていることを考えると)更なる未来を示しているとも考えられる。
“見合い相手” あれは死んだ奥さんとの最初の出会いを思い出している場面だと思います。 唇の上に大きなホクロがありましたし、「結婚しても働きたい。結婚式のメイクは自分でしたい」と言ってるので同一人物です。
残念ながら彼は覚悟の入水でしょうね…
日本でも子供のない女性は石女と蔑まれたり、中国由来でしょうが“三年子なきは去る” とか酷い時代がついこの前迄続いていましたね。
>> ムムターズが姪たちと鬼ごっこをする場面
>おっしゃる通りだと思います。
これは良かったのですが、
>唇の上に大きなホクロがありましたし、「結婚しても働きたい。結婚式のメイクは自分でしたい」と言ってるので同一人物です。
これで失敗しました^^;
僕は理解力・読解力は人後に落ちない自信あるのですが、いつ頃からか集中力が散漫になり、この手のケアレス・ミスが多くなりましたねえ。
映像(画像)記憶が悪いのは自信があります。顔が憶えられない障碍の人とはレベルは違いますが、それのごく軽いやつですかね。
で、まだWOWOWに配信がありましたので、チェックしましたら、列車に乗っているところから夜の場面になるのを見るだけでも回想に入ったのが解ります(汗)。俳優たちの顔も若そうに見えますが、同じ俳優のようです。
>残念ながら彼は覚悟の入水でしょうね…
上の前提を踏まえると当然そうなりますよね。
>中国由来でしょうが“三年子なきは去る” とか酷い時代がついこの前迄続いていましたね。
仰る通り。
この手の古い日本の習慣・風潮については、何故か保守と見なされる若手議員に限って嘘をつく。
オカピー先生は思考回路を張り巡らしすぎて誤解が生じたのではないでしょうか?
あの回想場面、うちの場合、相方が「あっ、奥さんがまた出てきたやん」
M 「思い出してんのちゃう?」 相方 「あっ、そうか」 という超単純な反応で終わりました。^_^ アホが2人よって助けあってます。
どんなけアホかというと、
M パキスタンって分離させられて西と東に分かれてるとこか?
あ…えぇ?
M ヒンズー教はインドやな? パキスタンは?
イスラム教やろ。
M でも女の人、ベール被ってないやん。
被ってる人もいるで
M 女のひとはみんな美人やけど男はなんか怪しいな。
…
M パキスタンってホッケーの試合で乱闘するとこやんな?
乱闘すんのはアイスホッケーやろ。
世界史の知識が60年ほど前で止まったままの知性や教養のかけらもない映画鑑賞タイムでございます。 でもアホな事ばっかり言いつつも暗い展開にどっぷり疲れて相方はふて寝してしまいました。 私は鑑賞中に時々ウトウトしていたので割とスッキリしていましたけど。
こんな体たらくな日本国ですがイスラム圏に生まれなくて良かったとしみじみ思いました。
>オカピー先生は思考回路を張り巡らしすぎて誤解が生じたのではないでしょうか?
そんなことはないですが、この映画の場合、細君の死の後に、父親が再婚の話をしたようなしなかったような。
>世界史の知識が60年ほど前で止まったままの知性や教養のかけらもない映画鑑賞タイムでございます。
楽しそうで良いです。
僕は映画は一人で観るので。
>こんな体たらくな日本国ですがイスラム圏に生まれなくて良かったとしみじみ思いました。
それは絶対的にそう思います。
日本にいるイスラム教徒には何の問題も感じませんけど。
但し、一人の為に学校の給食をめぐって騒動が起こるとしたら問題かもしれません。その要求に応えない場合は差別と言って良いのか、ということです。