映画評「夕陽に向って走れ」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1969年アメリカ映画 監督エイブラハム・ポロンスキー
ネタバレあり

遅くなりましたが、ロバート・レッドフォード追悼鑑賞ということにします。

高校時代に地上波(ほぼノーカット)吹替え版で観た。その後衛星放送で一回観たかどうか。

明日に向って撃て!」で共演したロバート・レッドフォードとキャサリン・ロスが主演しているので、こんな邦題になったと容易に伺えるが、逃亡西部劇であるという共通点もある。

が、実際の主演はインディアン青年役のロバート・ブレイクで、彼はキャサリンとの結婚を反対したその父親を負傷させ、彼女を連れて岩山地帯を逃亡する。それを追うのが、インディアン居留地の監督官をする女医スーザン・クラークと懇ろでもある保安官補レッドフォードという構図のお話である。
 同時に彼と別の保安官は近くに演説に訪れるタフト大統領の警備もしなければならず、追跡は暫し追跡隊だけとなる。

今となって問題を感じざるを得ないのは、白人男女優がインディアンを演じていることだ。DEIの問題を別にしても、見た目を信じる運命を背負わされている映画では、彼らがインディアンであると見なすのはなかなか厳しいものがある。その点演劇はもっと自由に見ることが許される。
 それでも、最近の時代劇や戦前ミステリーで黒人が白人を演ずるのに比べれば問題は低い。人種差別ではなく、白人が有色人種を演ずる場合は肌を浅黒くするなど白人役でないことが明確だからである。
 僕がこの問題を繰り出すのは常に解りやすさを求める為だ。黒人が白人を演じているということが明確に示されるならそれほど問題にしないはずである。いずれにしても、見た目を現実とする映画で人種を超える配役は厳しい。民族についてはほぼ問題を覚えない。

保安官レッドフォードは現実的な立場の白人で、インディアンへの差別がないわけではなさそうである一方、逃亡者の確保によって名誉栄達など得る気もない。だから、捕えたブレイクを早々に火葬に付してしまうのである。体制に媚びないのはニューシネマ時代の映画人の、ほぼ一貫した態度と言うべし。

レッドフォードの保安官が "Indian" と発言する時対訳は必ず “インディアン” であり、その他の人物が同じ単語を発する時 “先住民” となるのは、彼らに対する意識の差を表現したのかもしれないが、記者のインディアンに対する態度は差別的であったから、そうとも言い切れない。まあ、インディアンという訳語がNHKの放映で出て来るのは珍しいので、良しとする。

画面の左から右に単独で移動するブレイクを捉え、追うレッドフォードを逆方向や縦の構図で、あるいはカメラとの距離を色々と変えて捉える、長い追跡シークエンスの画面がなかなか良い。映画的にはこの辺りが見どころだろう。

リベラルなレッドフォードが嫌っていたにちがいないトランプ大統領が追悼していたのは漫画でしたね。

この記事へのコメント

mirage
2025年10月03日 16:17
こんにちは、オカピーさん。

アメリカン・ニューシネマの時代から、我々映画ファンを限りなく魅了してくれた、アメリカを代表する、リベラル派の二枚目スターのロバート・レッドフォードさんの訃報に接し、謹んで哀悼の意を表したいと思います。

個人的に好きな彼の出演作のベスト10を順不同に列記すると、以下のようになります。
「明日に向って撃て!」「大いなる勇者」「大統領の陰謀」「スティング」「候補者ビル・マッケイ」「コンドル」「ブルベイカー」「追憶」「華麗なるヒコーキ野郎」「モンタナの風に抱かれて」

今回の「夕陽に向って走れ」について、コメント致します。

この映画「夕陽に向って走れ」は、1909年に起きた実話を基にして描いた、アメリカン・ニューウエスタンの隠れた傑作で、かつて"赤狩り"の犠牲となった、エイブラハム・ポロンスキー監督が20年ぶりに撮ったカムバック作品でもありますね。

1909年ということは、西部開拓の英雄的な時代は既に過ぎ去り、生き残ったわずかなインディアンは、アメリカ政府の指定した居留地に押し込められ、しかも「シャイアン」のような勇敢な大脱走を試みる力も、もう持ってはいない時代ということなんですね。

だから、インディアンと保安官の対決をクライマックスにしているアクションものではあるけれども、血沸き肉躍るといったような勇壮なものではありません。

そこにかえって、"西部劇の挽歌"とでもいうか、あるいは、1960年代末のアメリカの姿を現わす西部劇とでもいうような、独特の魅力が生じているような気がします。

インディアンの若者ウイリー(ロバート・ブレーク)が、親の許さぬ恋のもつれから、恋人の父親を殺してしまって、恋人のローラ(キャサリン・ロス)と駆け落ちする。

インディアンの考え方からすれば、これは一種の略奪結婚であるが、保安官のクーパー(ロバート・レッドフォード)は、彼を殺人犯として追わなければならない。

これに、クーパーの恋人でインディアン保護の任にあたっている、女性の人類学者エリザベス(スーザン・クラーク)や、久し振りにインディアン狩りをしているつもりの、地元のボスなどが絡んでくる。

ウイリーは、インディアンが先祖から伝えて来た、逃亡のための様々な知恵を働かせて、追手をまこうとするし、クーパーはまた、親譲りの知恵でこの先を読んでいく。

ローラは、ウイリーを逃がすために死に、クーパーは地元のボスたちの思惑などに悩まされながらもウイリーを追い詰め、そして、奇妙な形をした岩山での一対一の対決になる。

インディアンのウイリーに扮したロバート・ブレークは、「冷血」で、やはりアメリカの社会の秩序の枠の中では、楽しいことなど一つもないみたいな、貧しいチンピラのはみ出し者になりきっていましたが、この映画でも、弱い虐げられたインディアンの切ない意地をよく表現していたと思います。

これをウイリーに心情的にはシンパシーを覚えながらも、仕事として追跡しなければならないというジレンマを抱える、クーパー保安官に扮したロバート・レッドフォードの抑制された静かな演技が、より一層、この映画に深みと切なさを与えているように思います。
オカピー
2025年10月03日 22:21
mirageさん、こんにちは。

>"西部劇の挽歌"

ニューシネマ時代に作られた西部劇は、ニューシネマ西部劇でも、そうではない西部劇でも、そうしたムードを漂わせる作品ばかりでしたねえ。

本作も舞台は20世紀ですからもはや開拓時代ではなく、それと西部劇衰退とを重ねるという、サム・ペキンパーの「砂漠の流れ者」と同じタイプの作品ですね。
十瑠
2025年10月04日 19:21
3日は久しぶりに両親の墓参りに行きまして、ネットにはアクセスしない一日でした。そしたら、思いがけずに懐かしい作品の登場でしたか。

「卒業」でファンになったキャシーちゃんと、「明日に向かって撃て!」のレッドフォードの共演と言う事で映画館に観に行った作品です。
2人の共演を映画雑誌も謳っていましたが、二人が絡むシーンは殆どなく肩透かしをくらったもんです。
赤狩りで不遇をかこったらしいポロンスキーらしい社会派西部劇でしたね。

レッドフォード追悼ということですが、僕のブログでもしばらく彼の記事へのアクセスが増えたのが嬉しかったです。

謹んで 合掌
十瑠
2025年10月04日 19:27
>リベラルなレッドフォードが嫌っていたにちがいないトランプ大統領が追悼していたのは漫画でしたね。

ほんとに(笑)
MLBでは「ナチュラル」の影響で追悼ニュースが流れてましたね。

さて、明日は大谷君の二刀流の出番ですね。楽しみ♪♪
オカピー
2025年10月04日 21:06
十瑠さん、こんにちは。

>二人が絡むシーンは殆どなく肩透かしをくらったもんです。

絡まないどころか、実質的な主演が地味なロバート・ブレイクでしたし。

>僕のブログでもしばらく彼の記事へのアクセスが増えたのが嬉しかったです。

そういう効果がありますね。
僕の場合は、記事が多すぎてほぼチェック不能ですが。

>さて、明日は大谷君の二刀流の出番ですね。楽しみ♪♪

日本のプロ野球より、大リーグに注目が集まる時代になりました。大スターのおかげですね。
 他方、WBCを見るように、TV局が放送に絡めない時代もやってくるかもしれません。その辺が少し心配です。