映画評「ドリーム・シナリオ」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2023年アメリカ=カナダ合作映画 監督クリストファー・ボルグリ
ネタバレあり

ここ数年注目株となったA24などの製作会社が共同で作ったファンタジー・ホラー・コメディーである。現代文明風刺映画であろう。

穏健な生物学教授ニコラス・ケイジが娘を筆頭に様々な人々の夢に現れるようになる。忽ち彼はSNSやTVで沙汰される人気者になるが、ある小事件を契機に彼は「エルム街の悪夢」のフレディのような悪鬼として夢に登場するようになった結果、大学の授業もままならず、レストランからも排除され、愛する妻ジュリアン・ニコルスンも煙たがれて別居しなければならない。

というお話で、彼が人々の夢に現れる契機は不明だが、彼が悪鬼となる契機は、彼を使って多角的に商品を売ろうとする会社の女性社員ディラン・ゲルーラの部屋に行って彼女の行為が気に入らず出て行ってしまったことである。夢の中で何もしないことを不審に思ったケイジ教授が唯一何かをした彼女の夢と違う行動を取ったことが原因である。

現代人は少なからず承認欲求を持つ。彼とて世間で話題になること自体には抵抗がなかったはず。同時にディランが彼から梯子を外されたことで生まれた悪い感情が、ちょっとした承認欲求が原因で(?)人の夢に入る能力を持ってしまった主人公を触媒に、テレパシーのように人々に伝搬する。発端はともかく途中からは集団ヒステリーの類と思われる。
 この事件にけりを付けるのは、彼が娘の通う中学の女教師を怪我させる事件である。彼が実際に “犯行” を起こしたことで現実が夢を食べてしまうという感じであろう。自分の経験から言っても、不安はどうなるか解らないうちが一番良くない。不安が的中して実現してしまえば腹をくくるという新局面に入るので却って楽になることが多かった。但し、この辺の分析は全くテキトーなので信用せぬように。

彼の図らずも手に入れ失った他人の夢に入るという能力と同種の能力を条件付きで可能ならしめる新しいアプリが生み出されるというのが落ち。我々の生きる現実の世界では、好きな夢を見ることができる可能性はあるかもしれないが、他人の夢に入ることは永遠にできないでしょう。

集団ヒステリーは現在を生きる現代人に特有の現象ではない。国粋主義者は国家なるものが成立して以来集団ヒステリー的に国家なるものの幻想を抱いている。

この記事へのコメント

2025年10月08日 18:38
これは楽しめました。子どもの頃読んだ短編SFを思い出しました。
ニコラス・ケイジのおかしな顔がよく活きましたね。
夢の中で何かこわがられるようなことをしても、現実の当人には関係ない筈なんですが、それが通らなくなるんですね。
オカピー
2025年10月08日 21:49
nesskoさん、こんにちは。

>ニコラス・ケイジのおかしな顔がよく活きましたね。

そうですね。
不条理に翻弄されるのが似合う顔!

ラブクラフトの短編を映画化した「カラー・アウト・オブ・スペース -遭遇-」でも不条理に苛まれる役でした。