映画評「秋が来るとき」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2024年フランス映画 監督フランソワ・オゾン
ネタバレあり
フランソワ・オゾンは傾向はあるが、結構多様な作品をものすから、サムライと言っても良いし、鬼才と言っても良い。純文学寄りだから俊才という感じかもしれないが。
フランスの地方都市。80歳の老婦人ミシェル(エレーヌ・ヴァンサン)は同世代の親友たる老婦人マリ=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)ときのこ狩りをし、折しもやって来た不仲の娘ヴァレリー(リュディヴィーヌ・サニエ)と孫ルカ(ガルラン・エルロス)に饗応する。彼女とキノコ嫌いのルカは食べず唯一食したヴァレリーが中毒に遭う。
退院した娘はルカを母から遠ざけて電話にも出ない。孫をこよなく愛するミシェルはこれにがっかりするが、それを知ったマリ=クロードの出所したばかりの息子ヴァンサン(ピエール・ロタン)がパリに住むヴァレリーを訪れ、説得しようとする。
映画は直後にミシェルが電話を受けて、ヴァレリーの墜落死を知る、という見せ方をする。ミステリー的な純文学であろうか、それとも純文学的なミステリーであろうか。
どちらであるにしても、映画のムードや描写のタッチはジョルジュ・シムノンの「メグレ警視」ものに近い。人間の心情に傾倒しトリックや謎解きには大して興味を示さない作風なのであるが、この映画の場合は、ヴァレリーの死について自殺か事故か殺人か分からせず、女刑事(ソフィー・ギルマン)の登場によりヴァンサンによる殺人に傾くも、ミシェルもルカもヴァンサンについて(観客にとって)明らかな偽証をする。とは言え、画面では状況証拠レベルの範囲でしか描写されないので、あくまで殺人は警察の推測にすぎない。但し、自殺でないことだけは大概の観客が理解しうる。
数年後、老母を癌で失ったヴァンサンはミシェルの面倒を見ている。この二人を訪れたルカの言葉 “きのこは前から好き” も謎めく。ルカは弱者に差別的な母親より、中年時代まで娼婦をしていたと判明しても祖母が好きだったと僕が思う所以である。ヴァンサンは言うまでもない。ミシェルは妙に二人を惹き付けるのである。ミシェルの手管の結果かどうか僕には何とも言えぬ。
翻って、ミシェルは恐らく罪悪感から死んだ娘の幻影を再三見る。そして、ヴァレリーは死後ずっと彼女にとっての死神になっていたのであろうか、紅葉の散る森の中で、ミシェルは彼女と和解して息絶える。
オゾンが秋を人生の残照と重ねているのは言うまでもないが、主題は結局親子の問題なのではないか。ミシェルの立場からすれば残酷な言葉を放った娘を遂に許したと僕は読み取りたい。
ミステリー的には、誰かが誰かを護っている、と理解したくなる作劇である。
ヴァンサンをミシェルとルカが護ろうとしたのは間違いないが、それは犯人と確信しているからではないだろう。また、きのこ事件に関しては他の二人がミシェルを護っているようにも感じられる。自分がマイノリティーであると自認するこの三人全員が互いに心理的な共犯関係にあると思って良いのではないか。
きのこ臭い話、ではなく、きな臭い話でした。
2024年フランス映画 監督フランソワ・オゾン
ネタバレあり
フランソワ・オゾンは傾向はあるが、結構多様な作品をものすから、サムライと言っても良いし、鬼才と言っても良い。純文学寄りだから俊才という感じかもしれないが。
フランスの地方都市。80歳の老婦人ミシェル(エレーヌ・ヴァンサン)は同世代の親友たる老婦人マリ=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)ときのこ狩りをし、折しもやって来た不仲の娘ヴァレリー(リュディヴィーヌ・サニエ)と孫ルカ(ガルラン・エルロス)に饗応する。彼女とキノコ嫌いのルカは食べず唯一食したヴァレリーが中毒に遭う。
退院した娘はルカを母から遠ざけて電話にも出ない。孫をこよなく愛するミシェルはこれにがっかりするが、それを知ったマリ=クロードの出所したばかりの息子ヴァンサン(ピエール・ロタン)がパリに住むヴァレリーを訪れ、説得しようとする。
映画は直後にミシェルが電話を受けて、ヴァレリーの墜落死を知る、という見せ方をする。ミステリー的な純文学であろうか、それとも純文学的なミステリーであろうか。
どちらであるにしても、映画のムードや描写のタッチはジョルジュ・シムノンの「メグレ警視」ものに近い。人間の心情に傾倒しトリックや謎解きには大して興味を示さない作風なのであるが、この映画の場合は、ヴァレリーの死について自殺か事故か殺人か分からせず、女刑事(ソフィー・ギルマン)の登場によりヴァンサンによる殺人に傾くも、ミシェルもルカもヴァンサンについて(観客にとって)明らかな偽証をする。とは言え、画面では状況証拠レベルの範囲でしか描写されないので、あくまで殺人は警察の推測にすぎない。但し、自殺でないことだけは大概の観客が理解しうる。
数年後、老母を癌で失ったヴァンサンはミシェルの面倒を見ている。この二人を訪れたルカの言葉 “きのこは前から好き” も謎めく。ルカは弱者に差別的な母親より、中年時代まで娼婦をしていたと判明しても祖母が好きだったと僕が思う所以である。ヴァンサンは言うまでもない。ミシェルは妙に二人を惹き付けるのである。ミシェルの手管の結果かどうか僕には何とも言えぬ。
翻って、ミシェルは恐らく罪悪感から死んだ娘の幻影を再三見る。そして、ヴァレリーは死後ずっと彼女にとっての死神になっていたのであろうか、紅葉の散る森の中で、ミシェルは彼女と和解して息絶える。
オゾンが秋を人生の残照と重ねているのは言うまでもないが、主題は結局親子の問題なのではないか。ミシェルの立場からすれば残酷な言葉を放った娘を遂に許したと僕は読み取りたい。
ミステリー的には、誰かが誰かを護っている、と理解したくなる作劇である。
ヴァンサンをミシェルとルカが護ろうとしたのは間違いないが、それは犯人と確信しているからではないだろう。また、きのこ事件に関しては他の二人がミシェルを護っているようにも感じられる。自分がマイノリティーであると自認するこの三人全員が互いに心理的な共犯関係にあると思って良いのではないか。
きのこ臭い話、ではなく、きな臭い話でした。
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