映画評「ルート29」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2024年日本映画 監督・森井勇佑
ネタバレあり
曲者映画「こちらあみ子」で劇場映画デビューを果たした森井勇佑監督の第2作は再び原作もので、原作者は違う(前作は今村夏子、本作は中尾太一)のに、また舟(本作ではカヌー)に乗った異世界の住人が出て来る。死生に興味を示す姿勢(洒落か)も変わらない。今調べたところ、原作の「ルート29、解放」は詩集だそうだから、監督の趣味を入れる余地が多そうだ。
鳥取の施設(精神病院)で掃除をしている時に掃除婦・綾瀬はるかが、入所者の市川実日子から、12歳くらいの娘・大沢一菜をここに連れて来るように頼まれる。いとも簡単に姫路市の河原にいる少女(男児かと思いました)を発見し、伝言を伝え、二人で国道29号線を旅することになる。
が、途中で犬を探す老婦人・伊佐山ひろ子に車を盗まれ、徒歩で施設まで目指す羽目に陥る。その途中で逆さになった乗用車を目撃、中から老人・大西力を救い、三人で山を歩いていると、今度は厭世的な紳士・高良健吾と息子と出会う。それを過ぎると、久しぶりに小学教師をする姉を訪れ、一日泊まり、翌朝出かける。
その後少女は勝手に町に繰り出し、はるかちゃんは初めて孤独を感じ、懸命に探す。かくしてやっと会わせるに至った母親は「私は死んでいる」と言って去っていく。目的を達成した二人は警察に赴く。一菜ちゃんには何かの係累があった為(当然ですな)、誘拐騒動になっていたのだ。
他人との一般的な触れ合いを求めていなかった二人が、旅を続けるうちに、相手の存在が重要になっているのに気付く、というのが主題。二人の間に絆ができただけでなく、恐らく他人に対する考えも多少変わった、と僕は推測する。
「あみ子」同様、この映画も客観のように見えて、実はハルや綾瀬はるか演ずるのり子の主観であるショットがあるのではないか。二人が見る老人と共に去るカヌーの人々(恐らく異世界の人々、キツネの類)や大きな魚はヒロインたちの主観であると気付きやすいが、もっと解りにくく潜んでいる可能性もある。
煙草を使った映画言語の扱いも面白い。殆ど固定カメラの中で二か所だけある移動撮影の一番目のほうで、修学旅行生と思われる三人の男女生徒がビルの合間にある喫煙所に行き、そこで綾瀬はるかが初登場。その彼女が大沢一菜に存在に気付かれるのも煙草が原因。他にも煙草を吸う場面が多いが、映画的にはこの二つが抜群だ。
先述したようにカメラはほぼ固定で、上述の序盤以外に、終盤近くでもう一回だけ移動撮影が使われる。頻度が低いから却って印象に残る。
監督の死生観は必ずしもよく解らないのだが、本作の場合死生は精神的な意味合いが濃厚だ。頻繁に出て来る時計もかなり重要な要素で、生命の限りある時間を考えると死生と関係があると考えられるも、整理しきれない。
煙草を使った映画言語と言えば、即座に宮崎駿の「風立ちぬ」を想起する。厳密に言えば、あちらは煙草の煙だが。
2024年日本映画 監督・森井勇佑
ネタバレあり
曲者映画「こちらあみ子」で劇場映画デビューを果たした森井勇佑監督の第2作は再び原作もので、原作者は違う(前作は今村夏子、本作は中尾太一)のに、また舟(本作ではカヌー)に乗った異世界の住人が出て来る。死生に興味を示す姿勢(洒落か)も変わらない。今調べたところ、原作の「ルート29、解放」は詩集だそうだから、監督の趣味を入れる余地が多そうだ。
鳥取の施設(精神病院)で掃除をしている時に掃除婦・綾瀬はるかが、入所者の市川実日子から、12歳くらいの娘・大沢一菜をここに連れて来るように頼まれる。いとも簡単に姫路市の河原にいる少女(男児かと思いました)を発見し、伝言を伝え、二人で国道29号線を旅することになる。
が、途中で犬を探す老婦人・伊佐山ひろ子に車を盗まれ、徒歩で施設まで目指す羽目に陥る。その途中で逆さになった乗用車を目撃、中から老人・大西力を救い、三人で山を歩いていると、今度は厭世的な紳士・高良健吾と息子と出会う。それを過ぎると、久しぶりに小学教師をする姉を訪れ、一日泊まり、翌朝出かける。
その後少女は勝手に町に繰り出し、はるかちゃんは初めて孤独を感じ、懸命に探す。かくしてやっと会わせるに至った母親は「私は死んでいる」と言って去っていく。目的を達成した二人は警察に赴く。一菜ちゃんには何かの係累があった為(当然ですな)、誘拐騒動になっていたのだ。
他人との一般的な触れ合いを求めていなかった二人が、旅を続けるうちに、相手の存在が重要になっているのに気付く、というのが主題。二人の間に絆ができただけでなく、恐らく他人に対する考えも多少変わった、と僕は推測する。
「あみ子」同様、この映画も客観のように見えて、実はハルや綾瀬はるか演ずるのり子の主観であるショットがあるのではないか。二人が見る老人と共に去るカヌーの人々(恐らく異世界の人々、キツネの類)や大きな魚はヒロインたちの主観であると気付きやすいが、もっと解りにくく潜んでいる可能性もある。
煙草を使った映画言語の扱いも面白い。殆ど固定カメラの中で二か所だけある移動撮影の一番目のほうで、修学旅行生と思われる三人の男女生徒がビルの合間にある喫煙所に行き、そこで綾瀬はるかが初登場。その彼女が大沢一菜に存在に気付かれるのも煙草が原因。他にも煙草を吸う場面が多いが、映画的にはこの二つが抜群だ。
先述したようにカメラはほぼ固定で、上述の序盤以外に、終盤近くでもう一回だけ移動撮影が使われる。頻度が低いから却って印象に残る。
監督の死生観は必ずしもよく解らないのだが、本作の場合死生は精神的な意味合いが濃厚だ。頻繁に出て来る時計もかなり重要な要素で、生命の限りある時間を考えると死生と関係があると考えられるも、整理しきれない。
煙草を使った映画言語と言えば、即座に宮崎駿の「風立ちぬ」を想起する。厳密に言えば、あちらは煙草の煙だが。
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