映画評「あの歌を憶えている」
☆☆★(5点/10点満点中)
アメリカ=メキシコ=チリ=ドイツ合作映画 監督ミシェル・フランコ
ネタバレあり
メキシコの俊才ミシェル・フランコの作品としては一番後味が良い。タッチもこの監督にしてはソフトな感じがする。が、ヒロインの行動が人間の行動原理的に理解しにくいところがあり、納得感が薄い。
ソーシャル・ワーカーのジェシカ・チャステインは断酒会に通っている。シングル・マザーの彼女がこうなった理由は大分後に判って来る。ある時同窓会から帰って来る時ずっと後を付けて来る同級生がいるので、慎重に帰って来て鍵を閉める。翌朝彼女は家の前で眠っている元同級生について殆ど警戒もなく接近して、どこかに連絡する。その男ピーター・サースガードは若年性の認知症で、弟ジョシュ・チャールズが引取りに現れる。
問題はここ、即ち、ヒロインが殆ど警戒せずに同級生とは言え不審な男に接近するのがまず妙すぎるのである。ただ、彼女の仕事がソーシャルワーカーであると知れば、彼女の経験則から何らかの疾患を抱えた人物と推測したと理解できないわけではないが、この時点で彼女の仕事を僕らは知らない。
彼女はサースガードが昔自分を性的虐待をした男の仲間と勘違いする。娘の調べでこれは彼女の全くの誤解である(物理的に二人は会ったことがない)と判る。
観客がチャールズが男の弟と知る前に、姪を名乗る女性が現れ、週に一回伯父に付き添ってくれないかと依頼する。この流れからチャールズがサースガードの兄弟と理解する方もいらっしゃるだろうが、かなり不親切な流れと言わなければならない。どうもこの監督は帰納法ではなく、演繹的に説明する癖があるようである。
ここまでは不親切と言うか、ぎくしゃくした展開ぶりで、首を傾げざるを得ない感じだが、二人が客とケアラーといった関係になってからは大分落ち着く。
娘(孫娘)が気にしていた母親が少女時代に突然転校させられた理由が、祖母ジェシカ・ハーパーとの不仲の理由でもあり、そこまで小出しにされていた一家をめぐる案件が突然明らかになる。母親(祖母)が父親(祖父)による性的虐待を訴える娘(母親)を嘘つきと決めつけて追い出す形で転校させたのである。
ここに至って映画は俄然焦点が合う。ヒロインは忘れたい記憶を引きずってい、方や男は憶えていたいことを憶えていられない、という対照の構図である。男の認知症は忘れたい記憶を持つ女性にハイライトを当てる為に用意されたギミックのような感じさえして来る。
この男が忘れない歌というのが、今年の新譜「Relay~杜の詩」で桑田佳祐(サザンオールスターズ)が巧みに借用したプロコム・ハルム「青い影」A Whiter Shade of Paleで、 しつこいくらいに繰り返される。さらにその元ネタの一つになったバッハの「G線上のアリア」までかかる。プロコル・ハルムを愛する松任谷由実はこの映画を観ただろうか?
題名が「憶えている」と僕を喜ばせた(常用漢字をぶっ飛ばせ)のに、字幕は常用漢字の縛りに逆らえず “覚えている” である。どう考えても “覚” に “記憶する” の意味はない。訓読みの覚書という熟語があるが、これを思い出す為のメモという意味であって決して記憶を指さない。(1)覚えるのを覚える、(2)覚えるのを覚える、(3)覚えるのを覚える、(4)覚えるのを覚える。以上の4つは意味が違うが、区別がつきますか? 漢字は瞬間的に意味が把握できるのが良いとされるのに、これでは解らんだろうに、馬鹿らしいことに漢字審議会?が戦前からの伝統を頑なに護っている。理解を速くできるようにする為に記憶するという意味では “憶える” を使うこととすべきである。
アメリカ=メキシコ=チリ=ドイツ合作映画 監督ミシェル・フランコ
ネタバレあり
メキシコの俊才ミシェル・フランコの作品としては一番後味が良い。タッチもこの監督にしてはソフトな感じがする。が、ヒロインの行動が人間の行動原理的に理解しにくいところがあり、納得感が薄い。
ソーシャル・ワーカーのジェシカ・チャステインは断酒会に通っている。シングル・マザーの彼女がこうなった理由は大分後に判って来る。ある時同窓会から帰って来る時ずっと後を付けて来る同級生がいるので、慎重に帰って来て鍵を閉める。翌朝彼女は家の前で眠っている元同級生について殆ど警戒もなく接近して、どこかに連絡する。その男ピーター・サースガードは若年性の認知症で、弟ジョシュ・チャールズが引取りに現れる。
問題はここ、即ち、ヒロインが殆ど警戒せずに同級生とは言え不審な男に接近するのがまず妙すぎるのである。ただ、彼女の仕事がソーシャルワーカーであると知れば、彼女の経験則から何らかの疾患を抱えた人物と推測したと理解できないわけではないが、この時点で彼女の仕事を僕らは知らない。
彼女はサースガードが昔自分を性的虐待をした男の仲間と勘違いする。娘の調べでこれは彼女の全くの誤解である(物理的に二人は会ったことがない)と判る。
観客がチャールズが男の弟と知る前に、姪を名乗る女性が現れ、週に一回伯父に付き添ってくれないかと依頼する。この流れからチャールズがサースガードの兄弟と理解する方もいらっしゃるだろうが、かなり不親切な流れと言わなければならない。どうもこの監督は帰納法ではなく、演繹的に説明する癖があるようである。
ここまでは不親切と言うか、ぎくしゃくした展開ぶりで、首を傾げざるを得ない感じだが、二人が客とケアラーといった関係になってからは大分落ち着く。
娘(孫娘)が気にしていた母親が少女時代に突然転校させられた理由が、祖母ジェシカ・ハーパーとの不仲の理由でもあり、そこまで小出しにされていた一家をめぐる案件が突然明らかになる。母親(祖母)が父親(祖父)による性的虐待を訴える娘(母親)を嘘つきと決めつけて追い出す形で転校させたのである。
ここに至って映画は俄然焦点が合う。ヒロインは忘れたい記憶を引きずってい、方や男は憶えていたいことを憶えていられない、という対照の構図である。男の認知症は忘れたい記憶を持つ女性にハイライトを当てる為に用意されたギミックのような感じさえして来る。
この男が忘れない歌というのが、今年の新譜「Relay~杜の詩」で桑田佳祐(サザンオールスターズ)が巧みに借用したプロコム・ハルム「青い影」A Whiter Shade of Paleで、 しつこいくらいに繰り返される。さらにその元ネタの一つになったバッハの「G線上のアリア」までかかる。プロコル・ハルムを愛する松任谷由実はこの映画を観ただろうか?
題名が「憶えている」と僕を喜ばせた(常用漢字をぶっ飛ばせ)のに、字幕は常用漢字の縛りに逆らえず “覚えている” である。どう考えても “覚” に “記憶する” の意味はない。訓読みの覚書という熟語があるが、これを思い出す為のメモという意味であって決して記憶を指さない。(1)覚えるのを覚える、(2)覚えるのを覚える、(3)覚えるのを覚える、(4)覚えるのを覚える。以上の4つは意味が違うが、区別がつきますか? 漢字は瞬間的に意味が把握できるのが良いとされるのに、これでは解らんだろうに、馬鹿らしいことに漢字審議会?が戦前からの伝統を頑なに護っている。理解を速くできるようにする為に記憶するという意味では “憶える” を使うこととすべきである。
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