映画評「イニシェリン島の精霊」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2022年アイルランド=イギリス=アメリカ合作映画 監督マーティン・マクドナー
ネタバレあり

スリー・ビルボード」で感銘させてくれたマーティン・マクドナー監督の最新作は、恐らく純文学映画ファンの大半を感心させたであろう前回と違って、難しい映画に慣れたベテランでもかなり苦戦するだろう。しかし、イングマル・ベルイマンの諸作と同じで、苦戦はしつつも良い映画であることを直感的に察知できる映画である。
 とにかく本作のモデルとなり、実際にロケーションもされたアラン諸島のイニシュモア島独特の風景を抜群の魅力で捉えている。後1か月あるが、本年度の画面賞(旧撮影賞)は本作で決まり。個人的にはここにより大量得点の要因となった。

1923年、本土(アイルランド)が見える島にぼんやりと暮らす50がらみの牧農民?コリン・ファレルが、70がらみの音楽家である親友ブレンダン・グリースンから突然絶交される。その理由は “お前は退屈だから”。グリースンの絶交への決意は相当なもので、話しかける度にフィドル(バイオリン)を弾くのに重要な指を切断すると宣言し、実行に移す。
 島には強権的な警官ゲイリー・ライドンがいて、知的障碍気味のその息子バリー・キオガンを父親の暴力から守ったという理由だけで、ファレル自身が殴打される。絶交してはいてもそんな関係は許さないとグリースンはライドンに対しそれなりの行動を取る。
 島の中で唯一と言っても良い知的かつ常識的な妹ケリー・コンドンは、そんな兄や閉塞的な島に嫌気がさして島を出る。母親ほどの彼女に懸想していたキオガン君は何故か溺死する。
 恋人のように愛するロバのジェニーがグリースンの指を詰まらせて死んだのを悲しむファレルは、グリースンの家に火を放つ。死んだかと思った彼が生きているのを見たファレルは、彼が死ぬまで諍いはなくならないと信じ続ける。

こんな不条理な設定だから寓意劇であろう。
 一つは、二人の親友の諍いは内戦を意味するのは間違いない。二人の間にしばしば割り込んで強権的な態度を取る警官は英国ということになろう。
 もう一つは、実際の人間関係がちょっとしたことで取り返しがつかないことになり得るということを極端な形で示そうとしたのではないか。これは国家間の戦争にも容易に敷衍することができるから、そうであるとすれば、人間風刺劇と考えるのが妥当。

上の寓意性と完全に切り離すことはできないしてももう少し現実的なドラマとして見ることも可能で、グリースンのあの妙な行動は、20歳ほども若いのに閉塞的な現状に対し何の行動をも起こさないファレルに対する親心のようなものだったのかもしれない。それは、妹が島を出ることにより傍証されているような気がする。

タイトルがインシュリンに見えてしまうのは、僕だけではあるまい。

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