映画評「異人たちとの夏」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1988年日本映画 監督・大林宣彦
ネタバレあり
リメイクがファンタジーと素直に言い難く、親子の交流より本人の苦悩ばかり印象に残ってどこかすっきりしなかったので、35年ぶりにこちらのオリジナル再鑑賞することにした。実はNHKが山田洋次が選んだ邦画をやった時に取り上げられ保存版を作っていたが、今回WOWOWの配信で観た。
夜になると二人だけになってしまうビルに住む40歳の脚本家・風間杜夫が、もう一人の住人である妖艶な美人・名取裕子の訪問を受けるが、離婚した妻との関係でご機嫌斜めであった為追い返してしまう。
間もなく浅草の寄席に出かけた際に28年前に34歳で交通事故死した父親・片岡鶴太郎に声を掛けられ、一緒に自宅に行く。32歳で一緒に死んだ母親・秋吉久美子にも歓迎され、その気分の良さに足繁く通うことになる。
その気分の良さもあってくだんの美人とも昵懇の関係になるが、彼女は両親に会うことを止めろと言い、恐ろしく疲弊した彼の顔を鏡に映し出す。彼女の言葉に従って、別れを告げに出かけた足で両親をすきやきを御馳走する。両親はやがて静かに消えていく。
季節はお盆のある真夏であるし、両親は、悪霊の正体を最後に見せる名取裕子ともども亡霊と考えるのが妥当だが、実家の跡地を訪問する最後の場面を見ると家自体が亡霊であったと考えたくなる。
他方、彼が別れを告げに行ったその日に両親が姿を消すことを考えると、孤独な生活から来る郷愁と両親への慕情が生み出した彼自身の幻想であるという考え方も成り立とう。
いずれにしても、リメイクが「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」に似て、彼自身の自問自答かと考えたくならないでもない後味を考えると、ぐっとファンタジーなのがやはり良い。
ヒロインと両親との影響関係が逆だったという種明かしもうまい。但し、ヒロインを少し悪霊的にしすぎた憾みはある。
前回両親が現在の僕より若くて元気だった時に観た時も主人公の親への思いに胸を揺すぶられたが、両親がいなくなってしまった現在見るとその感銘は比較にならない。互いに仲が良く嫌な思いをさせられたことが殆どなかった両親との生活を思い出して感涙し、もう一度だけで良いから話をしてみたいと思った。それを考えると、良い両親に恵まれた人間にとって普遍的な“ (今は亡き) 親を恋うる記”の映画であると言うべし。
細かい点では、昭和33~35(1958~1960)年であるはずの両親の家の家電(電灯を除く)が1970~80年代前後のものばかりだったり、片岡鶴太郎の父親が最新の自動販売機で最新のビールを当たり前のように買ったりするのは少々首を傾げさせる。幽霊だから最新のビールを買っても良いかもしれないが、亡霊である筈の家の中は駄目ではあるまいか?
東京で幽霊、青森で地震、妙義で山火事、我が家で漏水。これから土地を掘る工事開始です。
1988年日本映画 監督・大林宣彦
ネタバレあり
リメイクがファンタジーと素直に言い難く、親子の交流より本人の苦悩ばかり印象に残ってどこかすっきりしなかったので、35年ぶりにこちらのオリジナル再鑑賞することにした。実はNHKが山田洋次が選んだ邦画をやった時に取り上げられ保存版を作っていたが、今回WOWOWの配信で観た。
夜になると二人だけになってしまうビルに住む40歳の脚本家・風間杜夫が、もう一人の住人である妖艶な美人・名取裕子の訪問を受けるが、離婚した妻との関係でご機嫌斜めであった為追い返してしまう。
間もなく浅草の寄席に出かけた際に28年前に34歳で交通事故死した父親・片岡鶴太郎に声を掛けられ、一緒に自宅に行く。32歳で一緒に死んだ母親・秋吉久美子にも歓迎され、その気分の良さに足繁く通うことになる。
その気分の良さもあってくだんの美人とも昵懇の関係になるが、彼女は両親に会うことを止めろと言い、恐ろしく疲弊した彼の顔を鏡に映し出す。彼女の言葉に従って、別れを告げに出かけた足で両親をすきやきを御馳走する。両親はやがて静かに消えていく。
季節はお盆のある真夏であるし、両親は、悪霊の正体を最後に見せる名取裕子ともども亡霊と考えるのが妥当だが、実家の跡地を訪問する最後の場面を見ると家自体が亡霊であったと考えたくなる。
他方、彼が別れを告げに行ったその日に両親が姿を消すことを考えると、孤独な生活から来る郷愁と両親への慕情が生み出した彼自身の幻想であるという考え方も成り立とう。
いずれにしても、リメイクが「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」に似て、彼自身の自問自答かと考えたくならないでもない後味を考えると、ぐっとファンタジーなのがやはり良い。
ヒロインと両親との影響関係が逆だったという種明かしもうまい。但し、ヒロインを少し悪霊的にしすぎた憾みはある。
前回両親が現在の僕より若くて元気だった時に観た時も主人公の親への思いに胸を揺すぶられたが、両親がいなくなってしまった現在見るとその感銘は比較にならない。互いに仲が良く嫌な思いをさせられたことが殆どなかった両親との生活を思い出して感涙し、もう一度だけで良いから話をしてみたいと思った。それを考えると、良い両親に恵まれた人間にとって普遍的な“ (今は亡き) 親を恋うる記”の映画であると言うべし。
細かい点では、昭和33~35(1958~1960)年であるはずの両親の家の家電(電灯を除く)が1970~80年代前後のものばかりだったり、片岡鶴太郎の父親が最新の自動販売機で最新のビールを当たり前のように買ったりするのは少々首を傾げさせる。幽霊だから最新のビールを買っても良いかもしれないが、亡霊である筈の家の中は駄目ではあるまいか?
東京で幽霊、青森で地震、妙義で山火事、我が家で漏水。これから土地を掘る工事開始です。
この記事へのコメント
見たときは、主人公と両親の交流にじーんときましたが、
次に見たときは名取裕子が演じた女性の孤独もすごいものがあると思いました
>名取裕子が演じた女性の孤独もすごいものがある
だからこその、あの悪霊ぶりなんでしょうね。
僕はちょっとやりすぎと思いましたが、言いたかったことは解ります。
片岡鶴太郎の父親が最新の自動販売機で最新のビールを当たり前のように買ったりするのは少々首を傾げさせる。幽霊だから最新のビールを買っても良いかもしれないが、亡霊である筈の家の中は駄目ではあるまいか?
これは原作がそうなっているのです。引用しますと
冷蔵庫も古くない。魔法瓶もプッシュ式だ。あ、ロックスというあのテナントビルのカレンダーがあるじゃないか。父や母であるはずがない。 (新潮文庫 P.53)
と言う事で小道具さんの怠慢ではなく原作に忠実なのでした。
文章で読めば、息子の動揺振りを強調していて気にはならないですね。
ちょっとだけ拾い読みするつもりで本を探し出しましたが、やっぱり初めから読み直す事にしました。
>文章で読めば、息子の動揺振りを強調していて気にはならないですね。
この辺りは映画が苦手とするところで、余り説明的になるとつまらないし、この映画化のようにその辺りの説明がないと、僕のような左脳人間の突っ込みが入って来てしまう。
器用な人であれば、それを察することができるかもしれませんが、僕には無理でした^^;