映画評「コット、はじまりの夏」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2022年アイルランド映画 監督コルム・バレード
ネタバレあり

アイルランドのクレア・キーガンという女性作家の小説を映画化した児童もの。監督はドキュメンタリー出身のコルム・バレード。

1981年アイルランドの地方。4人姉妹の3番目の9歳コット(キャサリン・クリンチ)が、5人目の子供が生まれる為出産を終えるまで、母親の従妹アイリン(キャリー・クロウリー)とその夫ショーン(アンドリュー・ベネット)の家に預けられる。アイリンは優しいが、ショーンは大して言葉を発せず少し気難しそうだ。現に酪農家屋を案内しているうちに姿を消した時にコットは彼に大声で叱られる。
 
 これは本作の重要な要素であるこの家の秘密への伏線となっている。
 アイリンが近隣の葬儀の為に不在になる時に半日ほど預かってくれたお喋りおばさんから、コットは夫婦が息子を溺死で失っていたことを知る。ショーンは子供がいなくなることにトラウマがあるのである。
 また、この映画は沈黙の大切さを基調にし、登場人物の殆どが寡黙であるだけに、このおばさんのお喋りぶりがコントラストして大いに効き、映画の次への展開へのモーメントにもなっていて巧みである。

コットは優しいアイリン以上に、そこはかとない挙止で姪への思いを伝えて来るショーンの内面を理解して距離を縮めていく。彼女をとろいと言うお喋りおばさんは彼女の真の利発さを理解していない。子供が無事生まれたので、夫婦はコットを返しに彼女の家にやって来る。

この最後のシークエンスと、最後のシーンが頗る秀逸だ。
 いよいよ夫婦が帰っていく。二人への愛情の迸りを禁じえず、車まで暫く距離のある小道をコットは疾走する。夫婦の家で疾走していたショットが映画的にここで生かされる。その後を追って欲望に流されやすく少々出来の悪い実父(マイケル・パトリック)が追いかけて来る。ショーンと抱き合いつつ “ダッド” とコットはつぶやく。

この幕切れそして “ダッド” という単語のつぶやきは両義的で、何とも言えない。僕はこの言葉自体は実父のことを指していると思う。一番考えられる今後の可能性は、夫婦は一旦二人だけで家に帰る。そして後日コットの両親に養子に迎える希望を告げると思う。5人も子供がいて、決して豊かではない両親が手放す可能性は高いだろう。ぐうたらダディがお金のことを言い出すかもしれないが。

僕は、結論を観客任せにするスタイルを余り買わないが、本作はある程度先が見えるので、この手法が効果を上げていると思って評価したい。本年度のわがベスト10に入るのがほぼ確実な秀作。

何故彼女だけが預けられたかという(ことを説明しないことに)疑問を呈する人がいた。恐らく上の二人はミドルティーン近辺で面倒を見て貰うには及ばず、コットの下は3歳くらいだから他人様に預けさせるには問題があるからだろう。推して知るべしといったレベルの問題ではないかと思う。

この記事へのコメント

モカ
2026年02月13日 18:51
こんにちは。

これは良かったです。
去年か一昨年に見た際、2度見しましたが、今日また観てしまいました。


原作本が最近翻訳出版されたのを知って早速図書館に予約をいれましよ。この原作はアイルランドですが、イギリスは児童文学の宝庫ですね。
映画の中ではスイスのハイジを読んでいましたが、作者はきっとハイジが好きなんでしょうね。
同じ様な味わいの本で「おやすみなさいトムさん」とトム繋がりで「トムは真夜中の庭で」を思い出しました。
児童書ですがどちらも良い本ですので未読でしたらお試しください。

オカピー
2026年02月13日 22:07
モカさん、こんにちは。

良かったですよね。
僕も年寄になって年寄が主人公の映画にじーんとしてしまうことが多くなりましたが、こういう児童ものにも良い作品が毎年出てきますね。

>原作本

「あずかりっ子」というタイトルなんですね。
映画になるとどうしても人気上昇となり、予約多数です。

>「おやすみなさいトムさん」
>「トムは真夜中の庭で」

児童ものは嫌いではないけれど、何を読んで良いか解らない状態なので、結果的に余り読んで来なかったです。
リストに入れておきます。